第四十六話:光の粒
湖畔を離れ、二人は都市へ向かう電車の中にいた。
窓の外を流れる景色は、徐々に人工的なものへと変化していく。柚は、慣れ親しんだはずの都市の風景を、新しい目で見ていた。
隣の湊は、慣れた手つきでカメラのデータを確認している。柚は、静かに彼の肩に寄りかかったまま、その小さな画面を覗き込んだ。
湊がスクロールを止め、一枚の写真を見せた。それは、雨上がりのアスファルトを写した一枚だった。
写真の全体は静かなグレーのトーンだが、水たまりの表面には、街路灯の光が反射し、いくつもの小さな、まばゆい光の粒となって散っていた。
湊は、その写真が好きだと言った。
「この光の粒、綺麗ですよね。水たまりが、夜の星空を映しているみたいで」
柚は、その光の粒を、じっと見つめた。
湊が言うように、それは確かに美しく、世界に溢れる命の輝きのようだった。
だが、柚の再生した心は、その光の粒に、別の、より深い意味を見出していた。
(これは、涙だわ)
愛された記憶がない頃の柚の涙は、孤独と痛みの象徴であり、人に見られることを恐れるものだった。しかし、今、この写真の光の粒は、痛みではなく、優しさを帯びている。
それは、世界が溢れる愛に耐えきれず、静かに流した涙のように見えた。
光の粒一つ一つが、誰かの優しさ、小さな共鳴、そして見返りを求めない愛の比喩だった。
「…私には、涙に見えます」と、柚は静かに言った。
湊は、画面から目を上げ、柚の顔を見た。彼は驚いたように、しかし、深い納得とともに頷いた。
「…そうか。涙、ですね」
湊は、柚の隣に座り直し、彼女の髪にそっと触れた。
「僕が撮っていたのは、世界の美しさじゃなくて、世界が柚さんを愛しているという証拠の、愛の涙だったのかもしれない」
その言葉が、柚の胸を、温かい波となって満たした。
湊の写真術は、彼の不器用な優しさそのものだった。彼は、柚に直接「愛している」と伝える代わりに、世界というキャンバスを使って、柚の存在を肯定し続けていたのだ。
柚は、もう涙を流さない。その代わりに、彼女の心の奥では、愛された実感が、光の粒となって静かに弾けていた。




