第四十話:魂の交わり
夜が再び訪れていた。
民宿の部屋は、湖畔から昇る月光だけが、淡く照らしている。電気を点けずとも、お互いの存在は、呼吸の熱と、鼓動のリズムによって、はっきりと感じられた。
柚は、先ほどの朝の光の中で、湊の胸に触れた時の透明な体温を、まだ掌に残していた。
湊は、柚を布団に横たえさせた。彼は、そっと柚の身体の上に覆いかぶさる。それは、重みではなく、安堵を運ぶ影だった。
二人の肌と、衣擦れの音が、夜の沈黙の中で、微かな共鳴を生む。
柚は、恐怖も、恥じらいも感じなかった。そこにあったのは、「この人に、すべてを預けたい」という、人生で初めての、完全な受容の衝動だけだった。
柚は、湊の首筋に手を回し、自分から彼を、静かに引き寄せた。
唇が触れ合う。それは、激しい奪い合いではなく、長い旅の果てに辿り着いた、乾いた大地に染み込む、一筋の清流のようなキスだった。
湊は、柚の髪を撫でる手を止め、柚の頬に、自らの涙が触れた。彼の不器用で、まっすぐな愛が、その一滴に凝縮されていた。
彼は、柚の身体を、壊れ物を扱うように、丁寧に、丁寧に抱きしめた。
肌の境界が、溶けていく。
肉体の接触は、愛を確かめ、魂を互いに開放する儀式となった。
(私は、消える)
柚の理性も、孤独の城も、湊の温もりの奔流の中で、砂の城のように静かに崩れていった。
彼と柚の身体は、一つの波紋となり、夜の湖面に広がる。
肌は優しくふれあい、微かな肌のふれあいに身体が反応する。それはふたりの呼吸だった。
柚の中に湊の温もりを感じる。柚の中から愛が漏れ、湊を柚の温もりで包んでいく。
ふたりの身体の重みが、ふたりを安心で包む。
そこにはふたりの身体と、柚の心、湊の魂が、ひとつの光となって、融合する奇跡があった。
柚は、目を閉じながら、全身で感じていた。
「愛されている」という、世界の美しさそのものを。
(私は、愛だった)
(最初から、この世界に、愛されている存在だったのだ)
二人の呼吸は、完全に溶け合い、沈黙の音となった。
そして、世界は、静かに止まった。
彼らの魂がひとつになった夜。
それは、柚にとっての、誕生の夜だった。




