第三十一話:やわらかな朝
目が覚めたとき、柚は光の中にいた。
部屋全体が朝の淡い光で満たされている。カーテンの隙間から差し込む光の筋には、微細な塵の粒が、まるで希望の欠片のように浮遊していた。
柚は、自分の体が、誰かの確かな重みに包まれていることに気づく。
湊だった。
彼は、昨日抱きしめ合った、あの場所から、少しも離れずに、柚を腕の中に納めたまま、静かに眠っている。柚の耳元には、湊の穏やかな寝息が、規則正しい波のように聞こえていた。
(この安堵は、何だろう)
目覚めても、そこにあったのは、後悔や自己嫌悪、あるいは急激な熱情ではなく、静かで、ゆるぎない幸福だった。
柚は、そっと視線を上げ、湊の寝顔を見つめた。昨夜、愛を前に震えていた臆病な彼は、今はただ、無防備な少年のようだ。その寝顔は、無垢な信頼そのものであり、柚の胸の奥を、ちくりと、しかし優しく刺した。
柚が、静かに体を起こし、湊の腕から抜け出した。
夜が明けたとはいえ、湖畔の朝は冷たい。肌に触れる空気の温度が、昨夜の彼の体温を際立たせる。
湊は、柚が離れたことに気づいたのか、寝返りを打ち、空になった腕は、柚を無意識に探すような仕草をした。その反応に、柚は思わず、口元を緩めた。
柚は、ベッドを降り、窓辺に向かった。湖面は、朝靄に包まれ、静かな水音だけが響いている。
背後から、湊が微かな衣擦れの音を立てて、起きてきた。
「柚さん……おはよう」
彼の声は、眠気を帯びた、掠れた音だった。
湊は、柚の隣に来て、同じように窓の外の景色を見た。
そして、彼は、柚に何も言わず、ただ、静かに、柚の長い髪に触れた。
昨夜のように、震えはなかった。彼の指は、優しく、絡まりをほどくように、髪の房をゆっくりと梳いていく。それは、写真家としての「光を整える」動作にも似ていた。
その触れ方は、ただ「大切にする」という行為だった。
まるで、幼い頃、母親がしてくれたような、無言の、当然の愛。
柚は、目を閉じた。
(ああ、愛されている)
それは、言葉や、特別な場所で囁かれる約束ではなく、朝の光の中で、無言で行われる日常の動作の中にあった。
柚の心の中で、「愛されること」は、雷のような衝撃や、嵐のような激しさではなく、この、温かい指先と、静かな朝の光のように、当然そこにあるべき「安堵」として、刻み込まれた。
彼の指が髪を梳くたびに、柚の中の、過去の孤独の記憶が、霧のように消えていく。
「湊くん」
「はい」
「……このまま、ここにいてもいいですか」
それは、恋人としての確約ではなく、「ただ、ここに居場所があること」を確かめる、柚の最も素直な願いだった。
湊は、柚の頭をそっと自分の肩に引き寄せた。そして、柚の髪を梳く手を止め、その場所で、柚の存在を受け入れた。
「もちろんです」




