第二十四話:泣きたい月
深夜。柚と湊は、夜通し指先を繋いだまま眠りに落ちた。
しかし、柚の眠りは深くなかった。心の奥底で、愛を拒んできた長い年月の痛みが、夢となって蘇ってきたからだ。
夢の中、柚はまだ若く、前の恋人の横にいた。
彼は柚を熱烈に求めながらも、その瞳には常に柚ではない何かを映していた。
「柚は、俺がいないとダメだよ」
その言葉は愛ではなく、支配だった。柚の孤独を埋めるためではなく、彼の虚栄心を満たすための言葉。柚は、愛されたかったのに、常に彼の孤独を埋める道具に過ぎなかった。
夢の中の柚は、暗い部屋で、彼に触れられながらも、体が凍てつくように冷たかった。
――なぜ、愛してくれないの。
その声は、夢の中でさえ、届かなかった。
「……やだ」
柚は、かすかに呻きながら、汗をかいて目を覚ました。
心臓が激しく、そして痛々しく鼓動している。手のひらは濡れていたが、まだ湊の手にしっかりと繋がれていた。
過去の夢が、現在の温もりを否定するように、柚の胸を締め付ける。
(あの痛みは、今も私の中にいる。この温もりは、いつかまた、私を裏切るのではないか)
柚は、反射的に繋いだ手を放そうとした。
その瞬間、湊が微かに身動ぎ、目を開けた。
「柚さん?」
闇に慣れた湊の瞳が、柚を心配そうに覗き込んでいた。彼の声は眠たげで、少し掠れていたが、その響きは昨夜の闇を照らした光のように、優しかった。
柚は言葉が出ない。頬には、夢の記憶から流れ落ちた熱い涙の筋があった。
湊は、柚の顔をじっと見つめ、何かを察したようだった。彼は何も尋ねなかった。なぜなら、柚の瞳の中に映る「過去の影」を、彼の直感が正確に捉えたからだ。
湊は、繋ぎ直した手を、今度は柚の額へとそっと持っていった。彼の指先が、柚の汗ばんだ前髪を優しく払う。
そして、まるで壊れやすいものに触れるように、柚の頬に触れた。
「……大丈夫ですよ」
湊の囁きは、言葉というより、ただの温かい吐息だった。それは、柚の過去を問うものでも、今の涙を否定するものでもない。
ただ、「ここに、僕がいる」という、絶対的な安堵の共有だった。
柚は、湊の熱い手のひらが自分の頬にあることが、不思議でたまらなかった。夢の中の冷たい孤独は、すぐ隣にいる彼の透明な体温によって、静かに押し流されていく。
過去と現在が、柚の心の中で激しく溶け合う。
(過去の痛みは、本物だった。でも、この温もりも、本物だ)
柚は、そっと手を伸ばし、湊の首筋に触れた。体温を求める、無意識の行為。
湊は、驚きながらも、柚の頭をそっと抱き寄せた。
「あのね、柚さん」
湊は、柚の耳元で、風のように静かに囁いた。
「僕は、泣きたい月も、きれいだと思います」
「……え?」
「寂しげに浮かんでいるように見える月も、人間らしいっていうか。欠けてるから、光がもっと優しくなるって、思うんです」
それは、以前、柚を慰めた言葉と響き合っていた。柚の涙を、欠けを、痛みそのものを、湊は否定せず、愛の構成要素として、受け入れようとしていた。
彼の腕の中で、彼女は静かに、過去の自分と和解し始めた。




