第二十二話:月の下の写真
湖畔での撮影を終え、日が傾き始めた頃、二人は予約していた小さな宿の一室に戻った。部屋には窓があり、真正面に静かな湖面が見えた。
湊は、すぐにパソコンを開き、今日の写真を確認し始める。彼の指がキーボードを叩く音だけが、部屋の静寂を揺らしていた。
柚は、自分のための仕事ではないにもかかわらず、彼の隣でそっと画面を覗き込んだ。
「あ、これ」
湊が指さした一枚の写真に、柚の視線が釘付けになる。
それは、先ほど、風が吹く岸辺で、柚が湖面を見つめていた後ろ姿だった。髪は風に流され、体は自然の優しさに身を委ねているように見えた。
写真の中の柚の輪郭は、夕暮れの斜光によって、輪郭全体が淡い銀色の光で縁取られていた。まるで、月の光で包まれているように。
「これ……いつ撮ったんですか」
柚の問いかけに、湊は少し頬を赤らめ、目を逸らした。
「柚さんが、風の音を聞いている時です。…すごく、静かで、誰よりもやさしい光に包まれてるって、そう、見えました」
湊の言う「やさしい光」とは、単に夕日のことではない。それは、柚が、自分自身の孤独と、世界の美しさを静かに受け入れている、内なる光のことだと、柚は直感的に理解した。
これまでの柚の写真は、仕事用の冷たいものか、元恋人たちからの「所有欲」の現れたものしかなかった。それらはいつも、柚を「モノ」として捉えていた。
しかし、この湊の写真には、何の欲も、評価もない。ただ、存在そのものへの尊敬と、深い愛だけが宿っていた。
柚の目から、音もなく、熱い涙が溢れた。
(私…こんなに、やさしい光で包まれていたの?)
「愛されたことがない」と、心の奥でずっと感じてきた。その欠落を、湊は、言葉ではなく、光の粒として、目の前のデジタル画面に提示した。
柚の涙がキーボードに落ちそうになり、湊は慌ててタオルを探そうと立ち上がる。
「あ、す、すみません!泣かせてしまって」
「違うの」
柚は首を横に振った。
「…泣いてない。戸惑ってるの」
柚は湊の腕をそっと掴み、その手を、自分の涙が濡らした頬に寄せた。湊の手は大きく、温かかった。
「私、愛される自分を、ずっと想像できなかった。でも、湊さんが、私が愛されている姿を、写真で教えてくれた。それが、怖くて…でも、すごく嬉しい」
柚が触れた手のひらは、少し熱かった。触れられた湊は、まるで水面のように揺れ、真っ赤に染まったが、逃げようとはしなかった。
彼の不器用な誠実さと、写真に込められた無垢な愛。
その優しさが、柚の胸の奥の氷を、さらに深く、確実に溶解させていくのを感じた。




