第十五話:心の傘
メッセージアプリの画面を閉じた後も、柚の指先は熱を帯びていた。湊の送った「この顔、好きです」という三行の文字が、柚の中で、壊せなかった壁を内側から崩し続けていた。
翌日。雨はまだ降り続いていたが、その音は朝よりも優しく、どこかメロディを持っていた。
湊と仕事の連絡を済ませた後、柚は勇気を出してメッセージを送った。
「湊さんが、どうして、誰かの孤独をあんなに綺麗に撮れるのか、知りたいです」
しばらくして、返信がきた。
「今日、夕方、いつものカフェで。少しだけお話しませんか」
カフェの窓際。雨がガラスを伝い、都市の光を歪ませる。
湊は、柚の質問に、少しの間、コーヒーカップを見つめたまま沈黙した。その沈黙は、居心地の悪いものではなく、大きな息継ぎのような、心の準備の音だった。
「僕、前に、とあるひとをすごく好きになったことがあって」
湊は、言葉を選びながら、ゆっくりと話し始めた。
「その人は、いつも笑っていました。すごく、完璧な笑顔で」
柚は、自分の過去の姿を重ね合わせ、背筋が冷たくなるのを感じた。
「僕は、彼女を守りたかった。その笑顔の下にある、本当に隠したいもの、疲れている心、全部を。でも、僕が一生懸命手を伸ばしても、彼女はいつも、僕に『大丈夫』って、笑顔を向けるんです」
柚は、呼吸を忘れていた。過去の恋人に、自分が常にそうしてきたからだ。自分の弱さを見せたら、愛は壊れてしまうと信じていたから。
湊は、カップを置き、窓の外の雨を見た。
「あの時、僕、自分が孤独だって感じたんです。彼女の心が、どんなに雨に濡れていても、僕の持っている傘じゃ、届かないんだって」
その瞬間、柚の胸に、かつてないほどの共鳴が生まれた。
(この人も、孤独を知っている)
柚の孤独は、「愛されたことがない痛み」。湊の孤独は、「誰かを守りたかったのに、うまく守れなかった痛み」。
その根本は、どちらも、「心と心の距離が埋まらない」という、雨のような冷たさだった。
「守りたくても、届かないこと…ありますよね」
湊は、柚の目を見て言った。その瞳は、涙を堪えているようで、まっすぐで、透明だった。
その言葉は、柚が過去の恋人たちに感じた「独りぼっち」の感覚を、まるで鏡のように映し出した。彼女は、「誰も私の孤独を理解できない」という頑なな殻に閉じこもっていた。しかし今、目の前の彼は、柚の孤独と、同じ雨の中に立っていた。
彼は、彼女の心を守るために、『心の傘』を広げている、押しつけがましいものではなく、ただ、柚が傘に入り、共に傘を持つことを待っている。そして、もし彼女が孤独の雨に濡れていても、「雨も綺麗ですよ」と微笑んでくれるだろう。
柚は、沈黙の中で、深く息を吸い込んだ。雨の匂い、コーヒーの香り、そして、湊の静かな存在。
孤独は、もはや恐怖ではなかった。それは、分かち合える温度を持つ、二人の秘密の部屋になった。




