第十三話:濡れたシャツ
湊と傘をシェアして歩く道は、再び駅まで続いた。傘をすぼめる瞬間、二人は再び、至近距離で向かい合う。雨が止んだわけではないが、建物の軒が、小さな終わりを告げていた。
「風邪をひかないようにしてくださいね」
柚は傘を畳みながら、そう言った。
「ありがとうございました」
湊は、いつものように顔を赤くしている。彼は、濡れたTシャツを、気まずそうに引っ張った。
彼のTシャツの半分は、先ほどカフェで座っていたときよりも、水分を含んで、肌に張り付いていた。
都市の街灯が、湿った空気を通して、湊の身体を照らす。彼の胸板や肩の骨格が、布の下に、はっきりと透けて見えていた。
柚の視線は、一瞬、そこに引きつけられた。
(彼の、肌…)
それは、これまで、理性で蓋をしてきた、身体というものを意識する、初めての瞬間だった。過去の恋愛で、柚は常に、愛されるための取引として身体を差し出してきた。そこには、純粋な「触れたい」という欲望も、「愛しさ」もなかった。
しかし、今、目の前にあるのは、水に濡れて無防備に晒された、彼の存在そのものだった。
柚は、慌てて目を逸らした。首筋まで熱くなるのを感じた。
湊は、柚の視線に気づいたのだろう。彼は、恥ずかしさで赤くなり、慌ててカメラバッグを胸の前に抱え込むようにして隠した。
「あ、ごめんなさい!その、びしょ濡れで、本当に、恥ずかしいですね」
彼は、まるで自分が何か悪いことをしたかのように、頭を下げた。
柚の心に、「欲情」ではなく、純粋な「愛しさ」が湧き上がった。
(なんて、無防備な人なのだろう)
彼は、ただ、純粋に、自分の無様な姿を好きな人に見られたと、照れているのだ。
柚は、心の奥底で、小さく、きゅっと音が鳴るのを聞いた。それは、自分に向けられる性的な視線を、常に警戒し、跳ね返してきた柚の防御壁が、初めて、愛しさによって内側から揺さぶられた音だった。
「…恥ずかしくないですよ」
柚は、努めて平静を装ったが、声はわずかに震えた。
「雨は、綺麗なものを、より綺麗に見せますから」
柚の言葉に、湊は顔を上げた。そのわずかに濡れた瞳が、都市の灯りの下で、月光のように揺れている。
「僕、柚さんの、そういうところ…」
湊は、また言葉に詰まった。
「…素敵だな、って、思います」
その言葉に、柚は、逃げることをやめた。
彼は、柚に何も求めない。ただ、世界と、柚の存在を、そのまま肯定する。
柚は、雨に濡れた彼を通して、彼の確かな体温を感じた。それは、自分を傷つけない、温かい光だった。




