第6回
「姫君?」
「あの生き物はあなたのもので、わたくしのものではありません。ひとはだれも、いつも完全であることはできませんから、思いつけなかったということを責めることもできません。
それに、あなたは意味もなく命を奪うような方には見えませんし……なぜそうしたのかは今も理解できませんけれど、でも、きっと、わたくしが間違っていたのでしょうね……」
「ち、ちょっと待ってください、姫君」
なんでそうなるんだ?
おれは混乱しかけた頭に手をあて、大急ぎ口をはさんだ。
「姫君がお謝りにならねばならないことは何もありません。姫君がおっしゃったことは正しく、わたしがしたことも正しかった――正しいことは必ずしもひとつとは限りませんからね。それだけのことです。
なのに、つい声を荒らげてしまったわたしの方こそ無礼を謝罪せねばならないのに、そんなことをおっしゃられては困ります」
姫君が配下の者に謝ってどーすんだよ、と言いたいのをこらえてさとす。
姫君は、真意であるかたしかめるように小首を傾げておれを見上げ……沈黙のあと、くすりと小さな笑みをもらした。
「――シャアル王子のもとへ嫁ぐために、向かっているのです」
仲直りの提案のように言う。それは、おれの予想していたとおりのものだった。
「それはそれは。おめでとうございます」
嫁ぐにしては今いち声に力がないなぁ、といぶかりながらもおれは祝いを口にする。
「カザフはガザリアより小国ですが、よい王による治政が続き、豊かな国です。王都は青月の都と呼ばれ、月光を浴びた姿は言葉につくせないほど美しいと評判ですので、きっと姫君もお気に召されることでしょう」
ほか、どうでもいいようなことを適当にくっちゃべり、王子も姫君の到着を一日千秋の思いでお待ちしているでしょうと締めくくったところで、姫君が不思議そうに見上げてきていることにようやく気がついた。
「姫君?」
「楽しいでしょうか……?」
ぽつり、姫君がつぶやく。
「は?」
「口をきいたことも、会ったこともない者を、楽しみに待てる人なんて、いるでしょうか?」
「……お会いしたこと、ないんですか?」
姫君は足をとめた。おれを見上げ、ごまかすように笑もうとした口元が、うまくいかず歪んでしまったのを隠すように、再度うつむく。
「わたくしの婚儀は、生まれた瞬間に決まっていました。物心ついたとき、「これがおまえの婿どのだよ」と、絵姿を渡されました。それから1年に1回、絵姿は届きました。
そしてわたしが18になったとき、シャアル王子の一行が宮殿を訪れたのですが……わたくし、お酒がにおいだけでだめで。宴の席は、何かと理由をつけて拒んでいましたの。
もちろん毎回断るわけにもいかず、出た席もあるのですが、早く自室に戻りたくてたまらず、どういった方がその席にいらしたかなど埒外で……。
だから、父王にカザフのシャアル王子をどう思うかと問われても、恥ずかしいことに、お顔も思い出せませんでした」
「なのに、嫁がれるんですか?」
「不思議ですか?」
「そりゃ、まぁ……」
ふつー知らないやつんとこへ嫁ごうなんて奇特なやつはいないぞ、とは思ったけど、あんまり意外そうな顔をして訊いてくるものだから、曖昧に頷くだけにした。
昔はともかく、今のガザリアがカザフになんらかの負債を負っている、なんて話は聞いたことがない。むしろガザリアの方がカザフをいろいろ援助しているはず。
そういった外因なしで考えると、ますますその判断は理解しがたいんだが……王族の考えは下々のおれたちとは違うのかもしんないし。
姫君は少し考えこむように唇に指をあてた。
「父王は、わたくしがいやなら断ってもいいとおっしゃられました。
本当は、よく分からなかったんです。でも、わたくしくらいの歳になれば、殿方のもとへ嫁ぐものだと言われて――姉たちも、父王がお認めになった殿方の元へ嫁いでゆきましたし、ほかに決めた殿方がいるのかと問われても、わたくし、殿方は父王と叔父上方、大臣たちしか知りませんもの。
でも、そういった者たちのもとへ嫁ぐことはできませんし」
「はぁ。そうですね」
……なんか、箱入りとかそういう問題以上に、ちょっとズレてないか? この姫君。
「ミルアたち侍女にも訊いてみました。そうしたら、わたくしが王子のもとへ嫁ぐのはわたくしにとってとても良いことだと言いました。
だからわたくし、お受けしましたの。もともと、前から決まっていた婚儀でありましたし、断るような理由も見つかりませんでしたから。
でも、楽しくはありませんわ。カザフのことも、王子のことも、わたくしは何ひとつ知りませんもの。
知らない場所へ行くのは不安で心細いと打ち明けると、ミルアはそれも当然だと言いました。婚儀を目前にした娘はだれでもそのような気持ちになるのだと。そして、カザフにはミルアもついて行くから大丈夫だと。
でも、あなたは王子はわたくしを楽しみに待っているとおっしゃる。
思えば、わたくしはわたくしの気持ちばかり考えて、王子のお気持ちを考えておりませんでした。
王子はわたくしを待つことが楽しいのでしょうか? 殿方は、皆そのような思いでいらっしゃるのですか?」
――うーん。なにやら話がよからぬ方向へ進んでいる気がするぞ。
話題の選択を間違ったかもしれない、と内心悔やみつつ、ともかくおれはエノクのことを思い出しながら返答をした。
「あいにくわたしはまだ結婚しておりませんし、愛する者もいませんので、ご参考になるようなことは申しあげられませんが――少なくともわたしの知る者は、その日がくるのをとても楽しみにしていましたよ。愛しい婚約者を幸せにしてあげたいと、よく口にしていました」
「愛する……?
それは、好きとは違うのですか?」
…………………まずった。
目を丸くして訊いてくる姫君を見て、おれはまたも要らぬことを口にしてしまったと、それと知られないよう舌打ちをもらした。




