第5回
荷物の中からとり出した布でダフの血をぬぐう。魎鬼の酸で黒ずんで、傷みきった刀身にため息をつきながら鞘に戻すと、砂地に座りこんだままの姫君のほうを見た。
「なにも、殺さなくても……」
泣き出しそうな声で、彼女はおれを責める。手当すれば助かる傷だったのに、なぜ殺したのかって。
なぜもなにもないよな。どんな生き物だって足をやられるのは命とりだ。助かっても歩けなくちゃ意味ないし、第一手当したからってすぐさま動けるような傷じゃなかった。
砂漠で、しかもこんな場所で血のにおいをぷんぷんさせてりゃすぐ魎鬼どもが集まってくる。そいつらに生きながらむさぼられるより、ひと思いに殺してやるのが情ってもんだ。
だけど、箱入り娘にはそれが分からない。安全な地でのみ口にすることを許される言葉でおれをなじり続ける。
「あなただって、足を怪我したからと殺されたくはないでしょう? この子も生きたかったはずです。
だれも、生きたいと願う命を断つ権利はないのに、この世に生まれた大切な命をどうしてそう簡単に奪えるのですか!」
こうなった以上いつまでもここにいられない。
荷をほどき、水と食糧を運びやすい携帯袋に移して、常備袋から砂に埋もれても目印となる折畳式の棒をとり出して突き立てたりと、作業に集中するふりをして無視を決めこんでいたのだが。
ここに至り、ぷちっとこめかみの辺りで何かがキレた音がしたと思った瞬間、理性が止めるより早くおれは口走っていた。
「うるさい! だまってろ!!」
って。
えー? もちろん今だったらこんなおばかなこと言いませんよー。おれ、女の子には親切で有名だもん。それにお姫様にこんなこと言ったってバレたらやばいでしょ? 国家権力にたてつく無駄な気力も体力もおれにはありません。
だけどこのときのおれは、体よりも心が、疲れきっていた。
だってそうだろ? ずっと移動してて、姫君を助けるために魎鬼退治して、ただでさえ疲れてたってーのにそのあとまた魎鬼を4匹も相手して。その上、大切なダフを失って、荷まで捨てなきゃならなくなったんだ。
自分で持って歩けるのは水と食糧と財布くらいだ。
コナの町へ引き返し、新しいダフを仕入れ、ここへ戻ってきて荷を拾う――その労力を想像するだけでどっと疲れがくる。
そんな中で、疫病神と言っておかしくない彼女に謝罪し、詳しく説明して納得させる気も起きなかった。
「……また魎鬼たちが現れる前に、ここから離れます」
携帯袋を肩に負い、ふり返って、初めて姫君が先の怒声におびえきっていることに気付いたおれは、少々罰の悪い思いでそう言った。
「……言われても、どちらへ行けばいいのか、分かりません」
姫君は、前の口調に戻ったおれに再度怒りを燃やすことに成功したのか、こっちをきつくにらみ据えて、ふいとそっぽを向いて返してきた。
「東へ行きます。わたしたちが出会って大分経ちました。先からの騒ぎに気付かず、またそれらしい捜索者が付近に現れないことからして、おそらく夜幕が張られたのはこちらの旧行路ではないのでしょう。新行路はここからかなり東寄りです」
もっとも、南寄りか北寄りかまではまだ分かってないんだけど。
でかい隊だ。距離が縮まれば、明かりなりで分かるだろう――そう見当をつける。
「ではわたくしは、正反対に歩いていたのね」
せっかく歩いてきた道を戻らなくてはならないのかと、遠目に見える岩場を見やってため息をついたけれど、いやとは言わなかった。
そういや魎鬼に襲われたとき、つい乱暴に扱ってしまったが文句を言ってはこなかったな、と気付いて、あらためて彼女を見る。
視線に気付いて面を上げた姫君は、おれと目を合わせた直後、やっぱりそっぽを向いて、さっさと歩き出してしまった。
姫君、と声をかけてもふりむきもしない。
こりゃきらわれたな、と後ろでこっそりため息をついたあと。
追いつき、強引にその腕をつかんで引っ張った。
「何を――」
懐から取り出した小袋を手のひらに乗せると、目を丸くしてそれに見入る。
「なんです? これは」
「精砂といいます。魅魎を退ける粉末です。もし先のような出来事が起きたらこの紐を解いて、ぶつけてください」
すると今度はじろりとおれをにらみつけて、
「では、どうして先にこれを使用しなかったのですか」
と非難してきた。
「思いいたりませんでした。申しわけありません」
興奮した魎鬼には効き目が期待できない、という説明をするのも面倒だったし、少しでも安心させようと思って与えた護身用の物でますます不安がらせてもしかたないので、とりあえず謝った。
当然本意じゃないから耳に軽い。
また口先だけと、姫君はますますおれをにらむ視線に力を入れて、すたすた前を行く。
まったくかわいげがない。
どうせ隊に送り届けるまでのつきあいだ、そうしたら二度と会うこともない相手と、おれは閉口しながらも歩を速め、横に並んだ。
「少々立ち入ったことをお訊きしてもよろしいでしょうか?」
「なんでしょう」
「なぜカザフ国へむかわれているのです?」
「……本当に立ち入ったことね」
姫君は敵意というトゲのつきまくった声で突き放すように拒絶する。
道すがら、無言でいるのもなんだったから話題に選んだまでで、見当はついてるから答えてもらわなくても気にはならないんだが。
いいかげん、なれない言葉使いも気遣いもうんざり気味で、これ以上ご機嫌とりする気になれない。
もういーやって思ってそこから先はわざとイガイガした空気のまま歩いてたんだけど、ちょうど岩場の横を通りすぎるころになって、
「……わたくしが、悪いのでしょうか」
と、独り言のように姫君がつぶやいた。




