第4回
しげしげと見つめて動こうとしないおれを不審がって訊いてくる。
かぶり布からこぼれた銀の前髪からのぞく真青の目に、はたと我に返っておれは首を横に振ってみせた――というより、頭を振って、余計な思考を追いやった。
で、あらためて道を訊いたんだけど――おれぁ先にした発言を心底後悔したね。
だって、
「分かりません。わたくし暴風に驚いて……。はじめのうち、急いで皆の元へ戻ろうとしたのですけど、砂に巻かれて何も分からなくなってしまって……。とにかく歩こうと、歩いておりましたら、ちょうどあの岩を見つけられたんです。
あそこなら風が避けられると思って……少し静かに考えたいこともありましたし、思索するにちょうどいいのではないかと……。
そこまではよかったのですが、そうして風砂がおさまってみますと、今度は自分がどちらから来たのか、皆目分からず……。
こちらではないかと見当をつけて歩いておりましたが、あなたは見かけませんでしたか?」
だもんな!
おいおいちょっと待てよ、ってなもんだ。
皆のところまで送るっていったって、方角も分からずどうしろっての?
よっぽど無知な自殺志願者でもない限り、砂漠を無軌道に渡ろうとしたりはしないから、姫君の隊だって当然行路上にいるさ。だけどおれはコナの町を出て2日、どの隊ともすれ違ってない。ましてや姫君を連れるほど大規模な隊なんか、絶対見逃すわけがない。
だからおれがこれまで通ってきた行路の、コナ寄りの南じゃないことはいえる。このまま北上すれば、あと3日ほどでカバラの町に着く。2つ町を越えたその向こうに王都はあるから、彼女はカバラから来たのだとの想像もついた。
が。
ク・イルク砂漠の行路は、2つあるのだ。
おれが通っている、最短の旧行路と、そして岩場を迂回する遠回りの新行路。
新行路は岩場を挟んで東側だ。姫君連れなんだから可能性としては安全な新行路のほうが高いが、現位置から南寄りか北寄りかも分からない。
ただし、姫君を連れた隊なら防備は並の隊以上に強固だろうから日数を短縮できる旧行路を選んだということだって、考えられないこともないだろう。
この場合、選択肢は3つ。
新行路・南寄り、新行路・北寄り、旧行路・カバラ寄り。
3分の1の選択を失敗して、逆の行路を選んだりしたら大騒動だぞ? 姫君かどわかしの罪で、貴族でないおれなんか、問答無用でその場で斬首ってのも十分あり得る。
………………。
捜索者たちが来るまでここを動かないほうが無難かもしれないな。それなら、彼女を護っていました、と言い訳ができるかもしれない――と結論づけかけたとき。
ぢゅん、と音をたてて彼女のかぶり布の端が黒く焦げた。ぽっかり小さな穴があいて、しかもぶすぶすいったりして、これは。
「姫君、こっちだ!」
砂丘の頂上をふり仰ぐと同時に、おれは姫君の手をひっつかんで背後に引っ張り込んでいた。
「きゃ……!」
と声をあげて、姫君は砂地に両手をつく。
少々強引だったが、それもしかたない。魎鬼が真上にいたんだから。
魎鬼の胃液は強酸だ。自らの体すら溶かしてしまうほどの。
それをまともに浴びたらただじゃすまない。
獣のようにぐるるとのどを鳴らし、砂を崩しながらおれたちの前へすべり降りてきた魎鬼は2匹。しかも先のやつと違って外見があまり傷んでいないことからして、誕生してそれほど間がないのだろう。
てこずりそうだと破魔の剣をかまえ直してたら、突然後ろからダフのいななきが聞こえてきた。
魎鬼たちの動きに意識の大半を集中しながら、一瞬背後に視線をやる。
遠くから、砂煙をあげておれのダフがこっちへかけてきている。
ダフは賢い。主の命令にも忠実だ。そのダフがおれの待機命令を無視して走ってくるということは、身に危険が迫ったからにほかならない。
おれのそばが安全と判断して、おれの後を追ってきているのだろう。
つまりは、新手だ。
冗談だろう?
おれぁ唸ったね。目の前に魎鬼が2匹いて、これだけでも厄介だってーのに後ろからも来るって? しかもおれが守らなくちゃいけない体は2つもある!
「いいですか? 姫君。わたしから離れて、ダフが来たらなるべくその横にくっついていてください。ねらわれても、やつらはまず大きなダフを襲いますから、その隙に逃げるんです」
手早く指示を出して、彼女が理解したかも確かめず、目前の魎鬼に向かって行く。
彼女は女で、しかも姫君。適切な指示とはいえ、かよわい姫君を護るのは男として当然だの、人の命は尊いだの、そういった良識を無視して本音を言えば、おれはおれの次にダフが大切だった。
砂漠の真ん中で、移動動物がいなくなったらおしまいだ。だからダフを追う魎鬼がここにたどり着く前に、最低1匹は片付けとかなけりゃいけない。
向かってくる爪を、あえて避けず剣で受けてすり流し、強引に間合いに踏みこんで二の腕を裂かれながらも攻撃し――そうして最後の魎鬼の首をはねたとき。しかし肝心のダフは横倒れになって、二度と起き上がれない深手を前足に負っていた。
おれの指示どおりに距離をとらず、そばにへたりこんでいた姫君は無事だったが、ダフのほうはもうだめだ。
おれは肩で息をしながら、この4カ月間、ほとんどの時間を一緒に過ごしたダフの傍らへ行き、痛みにぴるいぴるいと哀願するように鳴く姿に固く目を閉じて、剣を持ち上げると、そののどへと刃を埋めた。




