第3回
「大丈夫か?」
いくら見習いったって、出立した剣士がたかが魎鬼1匹に手間くうはずないだろ? ものの数秒できっちり息の根止めて、具合見ようとそばに寄ったおれに女が突きつけたのは、先に投擲した俺の短剣だった。
「あ……あな、あなた、何者っ」
腰抜かしてへたりこんだまま、へそのとこで握りしめ、ぶるぶる震えながら訊いてくる。
あと少しでも近寄ったらこれでさすぞって、身を守ることに必死で、おれが心配してるなんてこれっぽっちも気付いてない。
いくら怖かったからって、助けてやった者に対してこれはないよなぁ。
礼金を、まったく気にしてなかったって言ったら嘘になるけど、ヘタにつついて面倒事に発展するのはうっとうしかった。
魎鬼に裂かれまくってるとはいえ、まとったかぶり布や組み紐が真新しく高品質であることや、手入れの行き届いた指や髪をしてるところからみて、砂漠の民には見えない。
すると女1人で、しかもこんな、移動用動物も連れずに身ひとつなんて軽装で砂漠に出てるはずがないから、きっとどこかに連れがいるんだろう。短剣を失うのは痛いが、ここはほうってダフのとこへ戻った方が無難かな?
そう判断して、踵を返そうとしたときだ。彼女の右手薬指にはまった金細工の指輪が月光を弾いて、注意をひいた。
そこに何が刻まれてたか分かるか? おい。
聞いて驚け。
なんと、竜紋だぜ! 珠をくわえた雲竜! ガザリア国王家の紋章だ!
つまり彼女は王家のお姫様ってわけだ。
なんでそんな女性がこんなとこにっっ? って、おれもぉ目ん玉ひんむいちゃったね。
だってそうだろ? お姫様ってのは王都の中心にある王宮の、これまた奥の内宮で暮らしてるもんだ。世俗に触れることなく、何百人もの召使いや衛士に傅かれて、蝶よ花よと大切に大切に育てられる存在。
それがたった1人で、砂漠のド真ん中で魎鬼に襲われてるなんてことあるかぁ???
ものすっげぇうさんくさくて、ニセモノじゃないかって指輪をじーっと凝視したけど、本物にしか見えなかった。
それに、やぶけてるとはいえかぶり布もそんじょそこらの町娘に手に入るような品じゃないし。よく見りゃ装身具だって全部黄金製だ。
あいにくおれは姫君方が出席するような席に出られる身分じゃないうえ、ガザリアは一夫多妻制が慣習で、国王となると妻の数は10人を超える。その奥方たちが産んだ姫君はわんさかいるからとてもじゃないけど全員の顔や名前まで覚えていられるのは、よっぽどの王宮通か、はたまた彼らの身の回りの世話をしている者たちぐらいだ。
だから、祝祭のときにずらりとバルコニーに並んだ数十人の王族の中に彼女がいたかどうかなんて、全く覚えてなくて、絶対との確証はなかったけど、でも偽者だという確証も持てなかった。
んで。
「このような場ゆえ、間近にて御前を拝し、直答いたしますこと、ご寛恕ください」
彼女の父親に雇われて給料もらってる身である以上、放置していくわけにもいかない。
しかたなし、その場に片膝をつき、立てた膝の上にもう片方の手をのせるという、高位者に対する礼をとり、おれは名と身分を告げた。
「王都の、退魔師の、方……」
半信半疑でつぶやいた姫君に「はい」と答えて首から下げていた銀細工の指輪を引っ張り出して見せる。
ガザリアの退魔師全員が持たされる、身分証明書みたいなもんだ。おれは手に何かをつけるのがきらいだから、そうしてたのさ。
それを見ることで、ようやく姫君は安堵できたらしく、短剣を握りしめていた手から力を抜いて、大きく胸を上下させた。
「ごめんなさい、わたくしのほうこそ助けていただきながら失礼をして……盗賊かと、思ったものですから。砂漠にはそういったおそろしい輩がいると、ミルアたちから聞かされていて……。
わたくしはガザリア国三の姫で、シェーラ・シエーナといいます」
姫君らしい、気品ある口調で告げる。まだ恐怖による緊張が完全に解けきれていなかったのか、頬が強ばって青冷めたままだったけど、もう声は震えていなかった。
シェーラ・シエーナ……。
胸ん中で復唱してみたけど、やっぱりおれの記憶する姫君の中にその名はない。もっとも、王族の名前なんか10分の1も覚えてなかったし、今となってはみんな忘れちまったが。
「姫君ともあろう御方が、なぜこのような地におひとりでいらっしゃるのですか? 供の者はどうなされたのです?」
おれからのもっともな質問に、姫君は恥じ入るように俯き、小さな声で答えた。
「わたくし、父王のご命令にてカザフ国へ参る途中ですの。王宮を発ってからずっと輿の中でしたものですから、一度外に出てみたくて。皆が寝静まるのを待って、夜幕をこっそり抜け出して散策をしてましたら、突然暴風にあってしまったんです。
あちらの岩陰に避難をし、風が弱まったので戻ろうと歩いていましたら、突然あの化け物が……」
口にすることで先の出来事を思い出したのか、姫君はそこで言葉をきってしまった。スカートをぎゅっとにぎり込んだ指が震えている。
ま、続けなくっても察しはつく。
つまり、宮中しか知らない箱入り姫様が、初めての砂漠に浮かれて周りの目を盗んで夜の散歩に出、あの風砂にあい、魎鬼にでくわした、と。
「わたくし、戻らなくては……きっとわたくしがいないことに気付いて、皆捜しているでしょうから」
困惑し、あせる姿も演技には見えない。
「そうですね。では、わたしが皆の元までお送りいたしましょう。この付近は魎鬼がよく出没すると聞いています。またでくわすかもしれません。おひとりでは危険です」
合点がいって、同意して立ちあがる。だけど、姫君は立とうとしない。
なんでだろう? と小首を傾げたあと、ああそうか、お姫様は1人で立ったりしないんだ、ということに気付いて、遅ればせ、差し出した手に、姫君は当然とばかりに手を重ねて、おれのすぐ横に立ちあがった。
手のやわらかさ、羽根のような軽さに、おれはまたまたぎょっとする。
姫君ってのは、どうしてちょっとした仕草まであんなにたおやかでお上品なんだろかね?
おれがそれまで知ってた女は、ちょーっと朝寝坊しただけで飯抜くわ、言い返すと怒鳴るわ、少しでも逆らったらわめいて殴りかかってくるわ――こりゃ主に姉貴とおふくろだけど。
宮にいたときだって、同じ訓練生の女たちは残らず全員、きっとその辺の男より神経図太くてたくましいぞってやつばっかだったから、すっごい動揺しちまった。
あの連中とこのシェーラが同じ『女』でひとくくりされるなんて、とても信じられなかったよ。
「……どうか?」




