第5章 頭脳戦
玲奈は鏡の前で髪を整えながら、ポーカーフェイスを作った。
――動揺を見せてはいけない。
片桐が待つリビングへ戻ると、彼は相変わらず穏やかな笑顔を浮かべていた。
「証拠のコピーを持ってきていただけますか?」
玲奈は鞄を差し出した。
「ここに入っています。でも……開くにはパスワードが必要です。」
片桐の目が一瞬だけ鋭さを帯びた。
「もちろん。それを教えてもらわないとね。」
玲奈はにこりと笑った。
「ええ。ただし、場所を変えましょう。安全な場所で。たとえば……あなたが信用している“上の人”の前で。」
片桐の眉がわずかに動いた。玲奈の言葉が図星だったからだ。
「……君は、気づいているのか?」
低い声で問う片桐に、玲奈は平然と答えた。
「取材を装って近づいたのも、警察の到着が妙に早かったのも……全部仕組まれていた。違いますか?」
片桐は口元に冷たい笑みを浮かべた。
「なるほど。思ったより賢い。でも、気づいたところで意味はない。証拠を渡せば、君は自由になれる。」
玲奈は静かに首を振った。
「いいえ。渡すのは“証拠”じゃない。――真実を暴く舞台を、あなたに用意してもらうんです。」
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その夜。
片桐は上層部の人間との“引き渡し”の場を設定した。玲奈は鞄を抱え、指定された高級ホテルの会議室へ向かった。
重厚な扉の奥には、数人のスーツ姿の男たちが待っていた。
「彼女が玲奈か。……証拠を見せてもらおう。」
リーダー格の男が低い声で言う。
玲奈は鞄をテーブルに置き、ゆっくりとPCを取り出した。
「ただし、条件があります。ここで私がパスワードを入力した瞬間、このデータは別のサーバーにも同時送信されます。つまり――」
画面には、カウントダウンを刻むタイマーが表示されていた。
「あなた方が私を消そうとすれば、証拠は自動的に公開されます。」
部屋の空気が一気に緊迫する。
片桐が冷や汗を流しながら囁いた。
「玲奈……何をした?」
玲奈は静かに彼を見返した。
「あなたを利用しただけです。あなたの動き、連絡先、そしてこの会議の存在――全部、すでに第三者へ送ってあります。」
その瞬間、会議室の外でドアが激しく叩かれる音が響いた。
「警視庁だ! 開けろ!」
男たちが一斉に立ち上がり、片桐の顔が青ざめる。
玲奈は心の中で深く息をついた。
――頭脳で仕掛ける逆罠は、最後の切り札。
扉が開かれ、武装した捜査員が雪崩れ込む。
会議室は混乱に包まれたが、玲奈はもう恐怖を感じていなかった。
窮地に追い込まれたはずの自分が、今度は相手を窮地に追い込んでいる。
その逆転の瞬間、玲奈は初めて“自由”を掴んだ気がした。