第3章 心理戦
玲奈は港の鉄骨の間を走り抜け、追手を引きつけながら頭を回転させていた。
ただ逃げるだけでは終わる。どうにかして、時間を稼ぎ、彼らの隙を突かなければ。
「止まれ!」
複数の懐中電灯に照らされ、玲奈は行き止まりのコンテナの前で足を止めた。
背後から現れたのは、黒いスーツに身を包んだ三人。中央に立つ男は、会社で何度も見たことのある人物だった。常務の佐伯。
「玲奈君……残念だよ。君さえ余計なものを見なければ、平穏な人生を送れただろうに。」
玲奈は荒い息を整え、精一杯の冷静さを装った。
「でも、もう遅いですよ。証拠はあなたたちの手には戻らない。」
佐伯の目が細くなった。
「 bleffだな。あの帳簿さえ取り返せば終わりだ。」
玲奈は口角をわずかに上げた。
「本当にそう思いますか? データは暗号化され、一定時間ごとに複数の場所へ自動送信される設定にしてあります。……もし、私がここで消されれば、その時点で全ての記録が公開される仕組みです。」
男たちの顔色が変わった。数秒の沈黙。
その間に玲奈は、彼らの呼吸の乱れを見逃さなかった。
――効いてる。
佐伯は唇を歪めた。
「君ごときが、そんなことをできるわけが……」
「試してみますか?」
玲奈はポケットからスマホを取り出し、画面に指をかざした。
実際にはタイマー機能でメールを予約しているだけだが、彼らにそれを知る由もない。
そのとき、追手の一人が小声で佐伯に囁いた。
「……常務、本当に彼女を消していいんですか? リスクが高すぎます。」
「黙れ!」
佐伯が怒鳴るが、他の部下の目にも迷いが宿っていた。玲奈はそこに勝機を感じた。
「あなたたちは利用されているだけ。佐伯さんが逃げ切れる保証なんてない。むしろ、口封じされるのはあなたたちの方ですよ。」
空気が揺らいだ。部下の視線が佐伯に突き刺さる。
佐伯の額に汗が浮かび、苛立った声を上げた。
「いいから彼女を捕まえろ!」
だが、部下たちの足は動かなかった。
その時、港の入口から赤と青の光が差し込んだ。警察の車列だ。サイレンが響き渡る。
佐伯の顔が凍りつく。
玲奈は静かに息を吐いた。
――賭けに勝った。
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倉庫に戻ると、片桐が証拠を手に待っていた。
「すごい……あなた、一人で彼らを止めたんですか?」
玲奈はかすかに笑った。
「止めたのは私じゃない。疑念と恐怖です。」
夜明けの光が港を照らし出す。
玲奈は思った。窮地から抜け出す方法は、力や逃げ足だけじゃない。人の心を読むこともまた、武器になるのだと。