第2話 指の上の引き金
夜明け前の国境地帯《ザルカ渓谷》は、まだ霧の中に沈んでいた。
だがその静けさを、突如響いた砲声が引き裂いた。
《ヴァルネア》側の前哨陣地が《オルグラ》軍の砲撃を受け、応戦に移ったのだ。
映像はすぐさま各国の軍事衛星に送られた。
国防指令所のスクリーンには、火花を散らす砲撃と煙を上げる車両が映し出される。
情報は瞬く間に各首都へ伝わり、核警戒レベルは最上位へ引き上げられた。
セリル・カインは国際報道チームとともに、《リュミナ・シティ》の報道センターから渓谷近くの臨時拠点へ移動していた。
通信車両のモニターには、緊急に招集された国際安全保障理事会の様子が映る。
外交官たちの顔には、冷静さの裏に焦燥が滲んでいた。
「各国、核搭載戦略兵器を発射態勢に移行」
運転席から飛び込んできた声に、車内の空気が凍りつく。
モニター上のタイマーは、残り時間3分を示していた。
発射命令はまだ下っていない。
だが、指令所では二重三重の認証手順が始まり、ミサイル格納庫の扉が開きつつある。
相互確証破壊――MAD。
誰も撃ちたくはない。だが、撃たなければ撃たれるという思考が、引き金へと指を導く。
その時、外から低く重い轟音が響いた。
セリルが駆け寄った窓の向こう、空を裂いて何かが通過していく。
早期警戒網のスクリーンには、赤い追跡マーカーが点滅していた。
「発射確認――」
オペレーターの声が途中で止まった。
解析結果が一斉に表示される。
それは核弾頭ではなかった。弾道軌道に乗った観測ロケット――誤認だったのだ。
タイマーの数字が0になる前に、発射準備は凍結された。
各国の指令所では冷却ファンの唸りだけが響き、兵士たちが椅子に崩れ落ちていた。
セリルはカメラを回しながら呟いた。
「……3分間で、世界は終わりかけた」
外の霧は晴れつつあったが、胸の奥の重さは消えなかった。