5. Side.透
職場である私立高校の同窓会の招待状が届いた時は、欠席に丸をつけるつもりでいた。
職場の同窓会に出たところで大して面白くもないし、卒業生の事だってよっぽどの生徒でない限り覚えていない。
覚えていたところで、高校生の頃と変わり過ぎてるせいで、もう本当に誰が誰だかわからなくなるし。
ただ、離婚してもうすぐ10ヶ月、能動的に何かをしたいという気分ではなく、何となく日々を過ごしているだけの毎日に、いい加減嫌気がさしていたのは事実で。
まあ、元教え子に会う機会なんてそうそう無いので、気分転換になればいいかと思い直し、出席に丸をした。
当日、職場の同僚も数名参加していたし、退職された先生方もいらっしゃっていたので、思いの外楽しんでいたのだが、退職された先生達からは、何とも言えない同情めいた視線を送られる。
これは離婚の事を知っているんだな、と思いながらも、相手もいい大人なので根掘り葉掘り聞かれる事は無い。
そんな時、6年前の教え子4人が話しかけに来てくれた。
わざわざ何年前に卒業したかを伝えてくれ、苗字も言ってくれたので、割とすぐに思い出すことができた。
その中の一人の佐々木しおりさんは、高校時代に僕への憧れを隠そうとしないで、いつも授業をしっかり聞いてくれていた子なので、特に印象深い。
女子校の教師なんてのは、若い男なら大抵何人かの生徒から憧れられる。
だから佐々木さんだけでなく、他にも僕を憧れの眼差しで見る子はいた。
そして、教師をしていて思うのだが、正直な話、合う生徒と合わない生徒というのがある。
これは人間関係なので当然のことと思っているし、合う生徒を贔屓するとか、合わない生徒に意地悪するとか、そういうつもりは全く無く、実際にみんな平等に接している。
ただ、合う生徒というのは、教えていて楽しい。
スポンジが水を吸収するように、こちらの教えたことをどんどんその身に染み込ませる様は、教師をしている醍醐味だ。
そして、佐々木さんは合う生徒だった。
一年の時からずっと変わらず、真面目に、真剣に授業を聞いてくれ、大学は日本文学科を選んでいる。
進路を聞いた時は、自分の授業が一人の生徒の将来を左右してしまうなんて初めてで、正直心が震えたほどだ。
大人になった元生徒達としばらく話をしていると、奥さんはどうしたと聞かれた。
これは噂を聞いて確認しに来たんだな、と分かったので、事実だけ伝える。
これでもう用は済んだから、別の誰かと話に行くと思ったのに、その4人に(実際は佐々木さん以外の3人だが)、別の場所で飲み直そうと誘われた。
10歳以上年の離れたおっさんと飲んで何が楽しいのか、と思い何度もやんわりと断るのに、あの3人は全く引かなかった。
なんなら、じわじわと追い詰めてきて、気がついたら会場のドア付近まで流されていた。
これは断れない、そう確信したので、渋々諾と告げた。
飲み直しに選んだのは、さっきのホテルと真逆の雰囲気、なんなら僕がいつも行くようなチェーン店の居酒屋だった。
意外に思いながら4人を観察してると、慣れているのか、メニューも見ないで既に店員にいくつか注文していた。
隣に座った佐々木さんは、メニューを開いて、どんなものが好きなのか聞いてくれる。
そういえば、昔もこんなことがあったな、とその瞬間思い出した。
何の和菓子が好きか聞かれたのだが、特に思い浮かばなかったため、昔は苦手だったが大人になって好きになった桜餅について話したはずだ。
すると彼女も、好きじゃないものが最近食べれるようになったと教えてくれたので、大人になったのですね、と返事をした。
そう返事をしたのだが、自分の言葉に違和感を持った。
そして、目の前で嬉しそうに、純粋な目をして笑う彼女の姿を見た時、急がずゆっくり大人になれば良いのにと思ったのだ。
ただ、このときの自分の言葉は、何故か僕の胸をチクチクと刺した。
何故だかわからないけれど。
「高校生の頃も、佐々木さんにどんな和菓子が好きか聞かれたことがありましたね。」
自分も覚えていると伝えたくて、そう言ったら、佐々木さんは目を大きく見開いて、その後フワッと花が咲いたみたいに笑った。
その時、また胸が何かにチクチクと刺されているように感じた。
それからしばらくは、全員で昔話をしたり、先生方の近況などを話していたのだが、ふと隣を見ると、佐々木さんの様子がおかしい。
目がとろんとしているし、呂律も怪しい気がする。
佐々木さんの前に座っている望月さんに、どれくらいの量のお酒を飲んだのか尋ねると、3杯くらいだと返ってきた。
すると、僕の前の渡辺さんが、佐々木さんが酔うなんて珍しいと驚いている。
普段はもっと飲んでも、全然変わらないのだとか。
佐々木さんを送ってあげられる人は居るのか心配になって、それぞれに帰りはどの路線に乗るのか尋ねると、みんなバラバラだった。
僕以外は。
3人に、佐々木さんは途中まで送ると伝えると、連れて帰ったらどうかとの返答が返ってくるが、教師としてそんな冗談に付き合ってはいられない。
お店を出て3人と別れた後、まっすぐ歩けない佐々木さんを腕に掴まらせて、コーヒーショップに連れて行くことにする。
このまま電車に乗せても、帰れないと思ったためだ。
フワフワした足取りで歩く佐々木さんは、泣きそうになったり、ご機嫌になったり、くるくる表情が変わって面白い。
ただ、僕の不用意な一言のせいで、彼女の片目から涙が一粒溢れた時、これは危ういと思った。
僕が教師で良かった。
もし他の男が、佐々木さんと普通の合コンとかで出会っていたら、きっとお持ち帰りされていたと思う。
これ以上話すとまずい気がして、もう何も言わず真っ直ぐコーヒーショップに連れて行った。
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家に着いてネクタイと時計を外して、今日はもうシャワーでいいか、とそのままバスルームに直行する。
離婚後引っ越してきた駅前のこのマンションは、それほど広くはないが家具を全て自分の好みにしていて、居心地のいい空間だ。
間接照明だけつけて、髪を拭きながら窓から外をぼんやり見ていたら、携帯が鳴った。
きっと佐々木さんだと思い、着信画面を確認するとやっぱりそうで。
着きました、という一言を期待して電話に出てみると、様子がおかしかった。
戸惑っているような、怯えているような。
話を聞けば、車が付いてきていると言う。
あわててアウターを羽織って、鍵と携帯と財布を突っ込み家を出た。
走りながら、佐々木さんの現在地をロケーションで送ってもらい、車で連れ去られる危険もあるのでロケーションを共有してもらう。
番号を聞いておいて良かった!
駅前で待機しているタクシーに乗り込み、ドライバーさんに携帯のマップを見せて、なるべく早く行ってもらうようにお願いした。
幸い、佐々木さんがいるコンビニは大通り沿いにあったため、このまま真っ直ぐ行くことができる。
赤信号が早く青になるように念を送りながら、まだコンビニは見えてこないのかと気が急いて仕方がなかった。
コンビニの看板が見え、ドライバーさんにはそのまま駐車場で待機していてもらい、急いで店内に入ると、佐々木さんは窓のそばで僕を見ていた。
ホッとした瞬間、佐々木さんが駆け寄り僕の腕を両手で掴んできたのだが、手は冷たく、ブルブル震えていた。
安心させてあげたくて、掴まれていない方の手で軽く肩をポンポンとして、タクシーまで連れて行く。
その時、佐々木さんの側を一台の黒い車がゆっくりと通り過ぎて行った。
佐々木さんに確認すると、この車だというので、車種とナンバーを携帯に打つ。
教師という職業柄、警察とは情報共有などでなにかと連絡を取ってたりするのだ。
すぐに知り合いの警察に不審者情報としてメッセージをしておいた。
捕まってしまえ。
タクシーの中で、佐々木さんは震える自分の手を眺めていた。
その手を握って、震えを止めてあげたいという思いが一瞬頭をよぎって、11歳も年下の元教え子になんて事を思ってしまったのかと愕然とした。
そんな気持ちを誤魔化すべく、また終電なんかで帰してしまったために怖い思いをさせてしまったとの後悔から謝罪すると、彼女はもともと自分がお酒を飲まなければ良かったのだと返す。
でも、彼女がお酒を飲まなかったら、あんなくるくるした表情が見れなかったなと思うと、思わず唸ってしまった。
彼女を自宅前で降ろし、タクシーの扉が閉まった瞬間、これ以上一緒にいると余計な事を言いかねないと思っていたので安堵のため息をついてしまった。
なんか、疲れた。
マンションに着くまで目を閉じていようと思ったのだが、あの花が開くように笑った佐々木さんの顔と、不安で泣きそうだった佐々木さんの顔が交互に出てきてしまい、目を閉じるのを諦め車窓から景色を眺めることにした。