3.
「じゃあ、しおりと路線が一緒ですね。」
優奈ちゃんの声がどこか遠くで聞こえる。
あれ、私酔ってるのかな?
いや、まさか、福島先生と一緒に飲めるという奇跡みたいな日なのに、酔っ払うわけない。
ないないない。
「佐々木さんはどの駅だか分かりますか?」
「成浪駅だったはずです。」
「確かに、同じ路線ですね。
わかりました。
途中まではご一緒します。」
「途中までと言わず、連れて帰っちゃったらいかがですか?」
「河合さん、言って良い冗談と悪い冗談がありますよ。」
しおり、行くよって声が掛けられたから、立ち上がって歩くけど、なんでか色んなところにぶつかる。
痛いなぁなんて思っていると、優奈ちゃんが右側から支えてくれた。
「あ、ゆーなちゃん、ありがっとねーー。」
「もう、今日はどうしたの?
しおりがこんなに酔うの初めて見たんだけど。」
「よってない、よってない、めちゃしらふ。」
「酔ってる人に限って言うセリフ、第一位だよ、それ。」
ため息をつきながら優奈ちゃんが呟いた。
お店を出て、駅に向かう途中でさくらちゃんがペットボトルのお水を買ってくれたので、ありがたくいただく。
うまい。
じゃあ先生、私たちこっちなんで、しおりのことよろしくお願いしまーす、という声が聞こえたと思ったら、耳のすぐそばから、大好きな声が聞こえてきた。
「はいはい、分かりました。
気をつけて帰ってくださいね。
さて佐々木さん、真っ直ぐ歩けそうですか?」
「もちろんです!」
「返事はとても良いのですけどね。
じゃあ、歩いてみてください。」
「はーい。」
先生に歩けと言われれば、どこまでだって歩きますとも!
気持ちの上では、スタスタ颯爽と歩いてるつもりだが、今日は道路がグネグネしてる。
変なの、歩きにくいったらない。
「わかりました。
佐々木さん、タクシーに乗りましょうか。」
「タクシーはだめです、ようので、だめです」
「でも、その調子だと、駅から家まで帰れませんよ?」
「?
かえれますよーーー!
へんなせんせいですね。
ふふふ、おうちにかえれないわけ、ないじゃないですかぁ」
「…。
まだ電車はあるので、とりあえずコーヒーでも飲みに行きましょうか。」
先生が私の左側に来たと思ったら、腕を取られて先生の腕に回すように持っていった。
これはいわゆる、あの恋人繋ぎの進化版、腕を組んでいる状態なのでは???
あわあわしてると、先生はふうっと息をついた。
「危ないので、暴れないでくださいね。
佐々木さん、はっきり言いますね。
佐々木さんは大変酔っていますから、真っ直ぐ歩けていません。
ですので、まずはそこのコーヒーショップで酔いを覚ましましょう。」
なんということ!!!
「せんせぇ、ごめんなさい。
たいへんなごめいわくを」
涙がじわっと出てきた。
もう泣いちゃおうかな。
なんか、泣いたらスッキリするような気がする。
よし、泣こう!
「迷惑ではありませんから、泣かないでくださいね。」
そうか。
泣いたらダメか。
こくんと一つ頷く。
「気持ち悪くありませんか?」
「だいじょーぶです。
でも、ふわふわしてます。」
「そうですか。」
「きょうがうれしすぎて、ゆめのなかにいるよーです。」
「そうですか。」
「せんせーと、いっしょにのめて、いまはうでくんであるいてるの、ほんとはゆめかなぁ。
ゆめだったら、いやだなぁ。」
「ふふ、夢では無いですけど、きっと明日は覚えていないでしょうね。」
「え?」
私は思わず立ち止まった。
「そんなのいやです」
先生の目を見て伝える。
先生は曖昧な表情で私を見ていて、何を考えているかわからないけど、きっと困らせてるんだろうな、とは思う。
「わすれたくない。
ねぇ、どうすればわすれずにいられますか?
おしえて、せんせぇ。」
絶対に忘れたくないという思いが目の淵に湧き上がって、涙が一滴ボロンとこぼれた。
***********
12月に入って早々推薦入試を受けた私とさくらちゃんは、昨日附属大学からの合格通知を受け取った。
私は希望通り日本文学科で、さくらちゃんは英文学科だ。
優奈ちゃんと愛未ちゃんはよその大学を受験するため、特別カリキュラムに参加しており、クラスには来ていない。
推薦入試組が集まるこちらのクラスでは、もう授業はなくなりデバイスで課題をやるか、読書くらいしかすることはないのだが、クラスメイトと過ごす時間が残り少ない事もあり、みんなちゃんと登校している。
あとちょっとで冬休みになるし、福島先生に会える時間も、もう少ししかない。
先生だって受験組の授業で忙しいのがわかっているから、今までみたいに話しかけたりなんて出来なくなったけど、でも、それでも、今日こそ少しくらいお話ししたい!
そこで私は、昨日受け取ったばかりの合格通知を持って、放課後に職員室に向かった。
「せーんせ。
今、良いですか?」
「はい、大丈夫ですよ。
どうしましたか?」
合格通知を先生に見せる。
「合格しました。
日本文学科です!」
「それは、おめでとうございます。」
「ありがとうございます。
先生のおかげです!」
「ふふ、そう言っていただけると教師冥利に尽きますね。
大学でも頑張ってくださいね。」
「はい。
でも、今のセリフは卒業式で言ってください。
まだここの生徒として3月まで居るんで!」
先生は少しだけ目を丸くして、そうですねって笑った。
「ね、先生。
先生はどうして国語の教師になったの?」
「うーん、そんな大した理由はないですよ。」
「え、先生ならきっとそんな事ないと思う。
お願い、教えて先生。」
手を合わせてお願いのポーズをしてみる。
「うーん、じゃあ、恥ずかしいので誰にも言わないと約束して下さい。」
「します、します!
絶対に言いません!!!」
ふふっと小さく笑って、先生は話し始めた。
「僕は、まず教師になりたかった。
ですから、教育学部に行くことは割と早い段階から決めていました。
ですが、その時点では何を専攻するかは決めかねていたんです。
実は化学も好きだったので、最初は化学の教師になる事も考えていました。」
「え、もし先生が化学の先生だったら、私、困ってました。」
「ふふ。
それで高校1年の時ですね、理系か文系か迷っていた時に、一冊の本に出逢いまして。
その本は内容も勿論面白かったのですが、読み返すたびに気になる文章が違ったり、捉え方が変わったり、とにかく文字の持つ力にひどく感銘を受けたんです。
それから、沢山の本を読みました。
そして、こういう文章や文字の面白さは誰かに教えなければ勿体無いと思ったんです。
これがきっかけですよ。」
「だから先生の授業は、いつも面白かったんですね!
ね、先生、その本はなんてタイトルですか?
私も読みたいです。」
「秘密です。」
「え?」
「すみません。
ただ、意地悪で秘密にしてるんじゃないんです。
佐々木さんには、佐々木さんの特別な一冊を見つけて欲しいんですよ。
僕が感銘を受けた本だって、誰もが僕と同じように感じるわけではない。
今の佐々木さんの感性を大切にして、佐々木さんだけの特別な一冊を見つけて欲しいと思ってるんです。」
「うん、そっか。
分かりました。
じゃあ先生、もし私が特別な一冊を見つけることが出来たら、いつかそれを先生に紹介しますから、その時は先生の特別な一冊も教えてください。」
「それは良い考えですね。
その時は、喜んで教えます。」
「約束ね、先生!」