13.
夜11時を過ぎた頃、宴会はお開きとなった。
昔ながらの日本家屋のため、部屋は沢山あるとの言葉通り、数ある和室のうちの一つに荷物を置かせてもらい、布団も出してもらった。
また、瑞穂さんが作務衣をパジャマがわりに貸してくれたので、ありがたく使わせてもらうことにした。
長澤さんたちご夫婦の寝室は二階とのことだけど、先生のお部屋はどこかな?
別に、夜中にこっそりお部屋に忍び込もうなんて考えている訳では、決してない!
ただ、寝る前に就寝の挨拶をしたいなぁなんて思って、ついでに超リラックスモードの先生も見れたらなぁ、なんて下心もちょっとだけあったりして。
そんな事を思いながら、シャワーと歯磨きをするために部屋を出た。
私の部屋は少し奥まったところにあるので、お風呂場まで長い廊下を歩く。
明かりのついてる一室が、きっと先生の泊まっている部屋だ。
ドキドキしながら廊下の角を曲がると、障子がほんのり明るくなっている場所があった。
おやすみなさいって、一言だけでも、声かけたいな。
でも、もう休んでるかもしれない。
朝から運転してくれたし、きっと疲れてる。
長澤さんと一緒に、結構呑んでたみたいだし。
廊下に溢れるお部屋の電気も、常夜灯っぽいし。
どうしよう、どうしよう。
迷って迷って、だけどもう寝てるかもしれないと思うと、やっぱり声を掛けれなかった。
しょんぼりしつつ、シャワーをお借りし、スキンケアと歯磨きを終えて、また元来た廊下を戻る。
先生のお部屋の前に着いたとき、ほんの小さな声で、先生おやすみなさい、って呟いた。
「佐々木さん?」
!?
「あ、そうです。
すみません、お休み中に。
起こしてしまいましたか?」
お部屋の奥で、物音がする。
先生が襖の近くに来てくれてるみたいだ。
「いえ、起きていたので大丈夫です。
佐々木さん、僕、今この襖を開けても大丈夫ですか?」
「えっと?
それは、どういう?」
「ああ、女性の中には、お化粧を落とした姿をあまり見せたくないという方もいらっしゃるでしょう?」
先生の歴代彼女はそうだったのかな…
「私は全然問題ないです!」
そうですか、という言葉の後に襖がそっと開いて姿を現した先生は、私とお揃いの作務衣を着ていた。
キュンッ!!!
おそろ!!!
おそろですよ!!!
先生の作務衣姿、似合ってる!
ちょーーー可愛い!!!
「今日は、申し訳ありませんでした。」
先生の姿に見惚れていたので、その言葉の意味を理解するのに時間がかかってしまう。
「えっと…?」
「天候のことはあらかじめ予測できていたのに、結局ご自宅に送ることができませんでしたから。」
「いえ、それは全然!
あの、むしろご褒美だったというか!!
今日が終わるの、勿体無いくらい楽しかったし。」
その返事を聞いた先生の目が細くなって、目尻のシワがくしゃっとなった。
「そう言ってもらえると、気持ちが楽になります。
僕が伝えたかったのはそれだけです。
遅くに引き留めてすみません。
ゆっくり休んでくださいね。」
「はい、先生も!
おやすみなさい。」
「おやすみなさい。」
そして先生は襖を静かに閉めたので、私もお部屋に戻った。
さっきの笑顔。
あの笑顔は、これまでのとは違う気がする。
そして、ずっと見たいと思っていたもの。
高校最後の文化祭の日に、職員室で見た笑顔。
先生をもう一度好きになった日の。
その時の笑顔に似ている気がして、もう一度さっきの先生の笑顔を思い浮かべて、高校時代の笑顔を思い返したかったけれど、なんだか記憶があやふやになってきて、自分の都合の良いように思い込んでる気もしてくる。
先生が、少しくらいは私のこと意識してくれてたらいいのに。
私のこと、少しでも好きになってくれてたらいいのに。
先生が恋愛に慎重になってるのは理解してるつもりだけど、デートしてくれて、たくさんの優しさを示されて、私ばっかり好きが膨らんでいく。
どうしたら、先生は私を好きになってくれるのかな。
好きになってもらえるような、秘密の呪文があればいいのに。
***********
翌朝、普段と違う鳥の鳴き声が聞こえてきて、いつもより早く目が覚めた。
お布団と作務衣を畳んで、身支度を済ませてから、朝日を浴びるために外に出ることにする。
昨日とは真逆の清々しい晴天で、庭の植木の葉に残る露が朝日を反射してキラキラと輝いていて、とてもキレイ。
思いっきり息を吸い込んで、腕をブンブンと回していると、玄関の扉が開く音がした。
「おはようございます、佐々木さん」
「先生!おはようございます。」
わー、朝一番から先生を見れるなんて、目が喜んじゃうよ!?
「早いですね。」
「いつもグウタラしてて母に怒られるんですけど、今日はスッキリと起きれました!
きっと熟睡したんだと思います。
先生は休めましたか?」
「ええ、僕もしっかり休みました。
もう少ししたら、お暇しましょうか。」
「はい。」
ああ、もう帰っちゃうんだ。
もっと先生と一緒にいたいから、ちょっと寂しいな。
今度こそ、長澤さんご夫婦に別れを告げて車に乗り込む。
私が車の助手席に乗り込んだ際、先生は長澤さんから何か話しかけられていたので、その場で少しお話をしていたけれど、すぐに片手を上げて二人に挨拶すると、運転席に座った。
「お待たせしました。
出発しますね。」
「はい、よろしくお願いします!」
その時、瑞穂さんが車のそばに寄ってきたので窓を開ける。
「あのね、この山を下りたら右に曲がるといつもの帰り道なんだけど、そっちじゃなくて左に曲がって真っ直ぐ行くと、隠れ家的なパン屋さんがあるの。
県外からもお客さんが来てて、美味しいって有名だし、モーニングもやってるから、寄ってみたら?」
見送ってくれる長澤さん達が見えなくなるまで手を振ってから、前を向いて窓を閉めた後、先生に思い切って声をかけた。
「あの、さっき瑞穂さんが教えてくれたパン屋さん、行ってみたいです…」
先生は、チラッと私を見て苦笑した。
「なるべく早く、君をご家族のもとに送りたいと思っていますけど、パン屋さんのモーニングは気になりますよね。
お腹も空きましたし、折角なので少し寄っていきましょう。」
やった!
教えてもらったパン屋さんは、たくさんの車が道路沿いのパーキングに停めてあったおかげで気付くことが出来たくらい、うっかりしてると見落とすような奥まったところにあった。
カントリーハウスの可愛らしい外観で、たくさんの種類のパンが並べられており、絵本の中みたいな素敵なお店だ。
奥にはカフェが併設されていて、ここで購入したパンも食べれるし、モーニングプレートもあるみたい。
カフェの入り口にメニューが飾られていたので、先生と一緒に覗き込む。
「フレンチトーストのプレートも美味しそうだし、こっちのクロワッサンのサンドイッチも美味しそうっ!」
「本当ですね。
キッシュとサラダのプレートも美味しそうですよ。」
「それ、もう絶対美味しいやつですね!
うーん、迷っちゃいますね〜。」
メニューをめくりながら先生と話していたら、丁度席が空いたらしく、店員さんに窓際の席に案内された。
席に座ってからも、ああでもないこうでもないと笑い合いながら食べたいものを選んでいたが、その時間が楽しくて、これまでよりもずっと距離が近くなったように感じた。
それぞれが注文したプレートが運ばれてきて、二つにカットされたサンドイッチを半分ずつ交換し、どっちも美味しいねって感想を言い合って、朝日が差し込む店内で、ゆったりとした時間を過ごす。
先生とお付き合い出来たら、こんな週末を過ごせるんだな。
最高に幸せな毎日だな、なんて窓の外を見ながら想像してしまう。
もう一度、先生に好きだって伝えたら、付き合ってくれないかな。
そろそろ好きが大きくなりすぎて、うっかり口から飛び出しちゃうんじゃないか、なんて心配するレベルにきている。
危ないなぁなんて思いながら、チラッと先生に顔を向けると目が合って、ん?って感じで小首を傾げられた。
だーかーらーーー。
そういうのに、キュンなんだってばぁ!!!
ちょっと、なんて誤魔化していいかわからなくて、同じく首を傾けといた。
「ただいま〜。」
玄関を開けて帰宅の挨拶をすると、リビングから母が顔を出した。
「おかえりなさ〜い、意外と早かった…あら?」
母が会話の途中で疑問系になったのは、玄関先に先生も一緒にいたから。
車が自宅に到着した時に、ありがとうございましたって言おうと思ったら、先生がエンジンを止めて運転席から降りるところだった。
「あの?」
「昨日のこと、ご両親に謝罪させて下さい。」
そんなの必要ないですって言ったけど、先生は頑として受け入れなかった。
「福島と申します。
昨日は、お嬢さんをお返しすることが出来ず、大変ご心配をおかけしました。
申し訳ありませんでした。」
母は、頭を下げた先生ごしに私を見て、ニヤッと笑った。
ちょっと!?
「まあ、そんなご丁寧に!
ささ、折角ですから上がって下さい。」
「いえ、ご挨拶だけさせていただくつもりでしたので。
これで失礼します。」
「そんなことおっしゃらないで、ね!」
おかーさんったら、絶対、面白がってる!
「お母さん、先生もお疲れだから!」
「…先生?」
しまった!!!
ママンに余計な情報与えちゃったぁ!!!
「あら〜、じゃあ、しおりちゃんが日本文学に興味を持ったのは、先生のおかげだったのね。」
コポポと音を立ててお茶を入れる私の隣で、母は先生が手土産にくれたお饅頭を小皿に移しつつ、先生にあれこれと話しかけ、ついでに中学、高校の頃の私の話まで聞かせている。
「しおりちゃんは、それほどお勉強が好きな子じゃなかったのに、高校に入ったら急に国語だけやる気スイッチが入っちゃって、どうしたのかしらって思っていたの。」
クスクスと笑う母が色々と暴露しそうなので、慌てて口を挟む。
「勉強が好きじゃなかったんじゃなくて、興味が持てなかっただけ!」
「それなのに、福島先生の授業には興味を持ったってことね。」
もう、喋れば喋るほど墓穴を掘っていくような気がする。
先生にお茶を出し、テーブルに隠れた母の腿を、ベシッと小突いた。
「いいじゃないの。
そのおかげで、大学でも楽しく学べたみたいだし、今だって読書が趣味でしょ?
古典なんかも詳しくなったしね。
それって全部福島先生のおかげじゃない。」
「お願いだから、もうバラさないで!」
先生は、そんな私たちの様子をニコニコしながら眺めていて、母の質問にも気を悪くしていなさそうで一安心だ。
これ以上、余計な詮索はしてほしくないと思っていたのだが、母も私たちの関係について尋ねることはなかった。
1時間ほどうちで過ごした先生は、そろそろ失礼します、と席を立ったので、見送るために一緒に門に向かった。
「先生、急に母がごめんね。」
「いえ、僕がご挨拶に伺ったんですし、お話できてよかったと思っています。」
「そうですか?」
「うん。
君がどんなに大切にされているか、わかりました。」
「そうですか!?」
ふふふと笑った先生は、それじゃあと言って運転席に座った。
そして、窓を開けて片手を上げてくれたので、私も胸元で両手を振って、車が角を曲がるまでそのまま見送った。
あーあ、先生、帰っちゃった。
もう寂しい。
もう会いたい。
次に先生に会えるのはいつになるのかな。
またデート、してくれるかな。
昨日と今日の楽しかった思い出が込み上げてきて、寂しさで胸がいっぱいになり、しばらくその場から動けなかった。
「…しおりちゃん?」
いつまでたっても家に入ってこないので、様子を見にきたであろう母から声をかけられ、振り向く。
「いつまでもそんなところにいたら、身体が冷えちゃうわよ。」
近寄ってきた母に両腕を摩られながら、促されるようにして家に入った。