日常編9(終・デジャヴ)
次に目を開けたとき、そこは教室だった。
「……は?」
ぼんやりとした意識の中、健太は机に突っ伏していた。
外からは、春の日差しが差し込んでいる。
「おい、健太! いつまで寝てんだよ!」
バシッと肩を叩かれる。
顔を上げると、そこには九条明と藤崎麻奈美が立っていた。
(……文化祭は? キャンプファイヤーは? 陽菜の告白は?)
夢だったのか?
そう思いながら、窓の外を眺める。
桜が風に舞っていた。
「おはよう、健太くん」
ふと、聞き覚えのある声がする。
振り向くと——そこに立っていたのは、大川陽菜。
彼女はメガネをかけず、明るい笑顔で微笑んでいた。
——交通事故から回復した、元気な陽菜だった。
「健太くん」
彼女は一歩近づき、まっすぐ健太を見つめる。
その瞬間、健太の背筋に冷たいものが走った。
(……この光景、前にも……?)
目の前の陽菜の姿。教室のざわめき。クラスメイトたちの視線。
すべてが、妙に既視感があった。まるで、同じ場面をもう一度見ているかのような——
「好きです! 付き合ってください!」
宣言するような彼女の言葉に、健太の心臓が跳ねた。
そして、確信する。
(……これ、前にあった。)
思い出せるわけではない。でも、確かに知っている感覚。
夢を見ていたような、いや、夢の続きをなぞっているような——
「……陽菜」
思わず、呼びかける声がいつもと違ったのか、陽菜が僅かに首を傾げた。
健太はその表情すらも、どこかで見た気がして、頭を振る。
「突然すぎるし、俺、お前のことは幼馴染としか見てない。」
一瞬、陽菜の目が揺れた。
だが、すぐに微笑みを浮かべると、まるで「知っていた」と言わんばかりの口調で言った。
「……そっか。でも、私は諦めないよ。」
——デジャヴ。
健太の中で、その言葉が引っかかる。
まるで、前にも同じことを言われたような……
しかし、考えても答えは出ない。
健太は、得体の知れない違和感を振り払うように、深く息を吐いた。
☆
健太の中で、説明のつかない違和感が膨れ上がっていく。
「デジャヴが続いているだけだろう」
最初はそう思っていた。
たまたま同じような場面が重なっただけ。
誰にでもよくあることだと。
だが、日を追うごとに、それがただの思い過ごしではないと気づく。
——記憶にない記憶が残っている。
たとえば授業中、先生の質問に答えようとしたとき。
(……あれ? なんで俺、答えが分かるんだ?)
ーー公式を聞いた瞬間、まだ習っていないはずの解法が浮かんできた。
初めて見るはずの問題を、すでに解いたことがあるような感覚。
ーー剣道の技術が異様な速さで向上していた。
剣道部の稽古でも相手の動きが手に取るように分かる。
まるで何度も戦ったことがあるかのように、先の先を読める。
「……おい久住、お前最近キレッキレじゃねえか?」
ふと、先輩に声をかけられる。
「いや、そんなこと……」
言いかけて、健太は言葉を飲み込んだ。
(おかしい……俺、こんなに強かったか?)
試合をするたびに、自分の動きが洗練されていく。
最初は「成長しているだけ」だと思っていた。
ーーけれど、そんな短期間で急激に上達するものだろうか?
今では、剣道部の高3やOBですら相手にならないほどの実力。
だが、自分では何も努力した記憶がない。
(俺……いつの間にこんなに強くなったんだ?)
——陽菜の態度や発言に、どこか違和感を覚える。
そして、何より——陽菜の存在が気になり始める。
彼女は変わった。
交通事故の前と後で、まるで別人のように。
以前の彼女は、教室の隅で本を読んでいるような目立たない子だった。
だが、今の陽菜は、まるで最初から「健太に好意を抱いている」ことが決まっていたかのように行動する。
「ねぇ、健太くん。私と一緒にいたら、楽しいよ?」
明るく微笑みながら、まるで何かを確かめるような視線を向けてくる。
——何かがおかしい。
何かが、決定的にズレている。
その違和感は、日を追うごとに強くなっていった。
☆
放課後、健太はコンビニに寄るために街中を歩いていた。ふと、前方に見覚えのある女性の姿を見つける。
(……陽菜の母さん?)
そう思った瞬間、彼女も健太に気づいたらしく、軽く会釈をしてきた。
「久住くん、こんにちは」
「こんにちは。……あの、陽菜、元気そうですね」
何気なく言ったその一言だった。だが——
「……え?」
陽菜の母は一瞬、驚いたような顔をして、それから少し困惑したように眉を寄せた。
「……何のこと?」
その反応に、健太の背筋がゾクリと冷たくなる。
「いや、学校で見かけるようになったんで……回復して、もうすっかり元気なのかと」
そう言うと、陽菜の母はさらに怪訝な顔をした。
「何を言っているの? 陽菜は、まだ病院にいるわ」
「……え?」
健太は一瞬、頭が真っ白になった。
「いやいや、でも陽菜は——」
「久住くん、あなた……陽菜に会ったの?」
「……はい。学校で普通に……」
「そんなはず、ないわ」
陽菜の母ははっきりとした口調で言い切る。
「陽菜は、まだ病院のベッドで眠ったままよ」
健太の心臓が大きく跳ねた。
(そんな、馬鹿な……)
違和感はあった。
でも、それでも健太は「陽菜が回復した」と信じ込んでいた。
(じゃあ……俺が学校で見ていた陽菜は……誰なんだ……?)
嫌な予感が、脳裏に焼き付く。
確かめなければならない。
——もう一度、病院へ行く必要がある。
☆
その日の夕方、健太は病院の廊下を歩いていた。
(そんなはず、ない)
(陽菜は回復して、学校に来てるんだから……)
しかし、自分にそう言い聞かせながらも、足は少し震えていた。
そして、病室のドアを開ける。
「——っ」
そこには、静かに眠る陽菜がいた。
何も変わらない。
管がつながれ、規則正しい機械音が響く病室の中で——陽菜は確かに、ここにいる。
「……っ!」
健太は思わず後ずさる。
「じゃあ……じゃあ、俺の隣にいる“陽菜”は……誰なんだよ……?」
額に冷や汗が滲む。心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。
学校で話していた陽菜。
笑顔で自分を見つめ、再び告白してきた陽菜。
あの陽菜は——
本当に、陽菜なのか?