日常編3(カオス♾️ラブ)
「おーい、健太! そっちの奴、誰?」
明と話していると、元気な声が教室に響いた。
声の主は 藤崎麻奈美。健太の中学時代の友達で、そのあっけらかんとした性格で、陽菜とも仲が良い。
「お前か、麻奈美。こっちは九条明。さっき知り合ったばっかだけど、たぶんこれからずっとつるむことになりそうな奴だ」
「へえ、よろしく。私は藤崎麻奈美」
「あ、どうも。明でいいよ」
麻奈美はひとしきり明を観察した後、健太の腕をグイッと引っ張る。
「それより健太、ちょっとこっち来て!」
「うおっ、なんだよ?」
「いいから!」
無理やり連れていかれた先は、教室の隅。
そこには、一人静かに本を読んでいる女の子がいた。
黒縁のメガネをかけ、髪は肩より少し長め。
姿勢を丸めるようにして、目立たないようにしている。
「陽菜!」
麻奈美が声をかけると、女の子―― 大川陽菜 はピクリと肩を震わせた。
「……麻奈美?」
「久しぶり! てか、高校でも一緒じゃん!」
「う、うん……」
陽菜は小さく頷くが、視線はまだ本のページの上にある。
「でね、こっちに健太もいるよ! ほら!」
「ちょ、無理やり引っ張るなって」
麻奈美は強引に健太を前に押し出した。
「よう、陽菜。久しぶり……ってほどでもないか?」
「……うん。久しぶり」
陽菜はそっとメガネの奥から健太を見つめ、小さく微笑んだ。
どこか控えめで、それでいてどこか嬉しそうな表情だった。
「で、そっちの奴は?」
麻奈美が明のほうを振り向くと、彼は軽く手を挙げた。
「九条明。さっき知り合ったばっかの新しい友達」
「よろしく、大川さん」
「……よろしく、九条くん」
静かな陽菜と、明るい麻奈美と、飄々とした明。
こうして、健太を中心に4人は自然と一緒にいるようになっていった。
☆
健太と陽菜は、物心ついた頃からの幼馴染だった。
家も近く、気がつけばいつも一緒に遊んでいた。
健太の兄・渉は、人を教えるのが得意なリーダー的な存在だった。
それに対して、健太はやんちゃで活発。
公園や空き地を駆け回り、自分のやりたいことを全力で楽しむタイプだった。
無邪気で、自由奔放。
それでいて不思議と人が集まってくる。
彼自身が誰かを引っ張るというよりも、周囲の方が自然と彼を放っておけなかった。
そんな健太にとって、陽菜は特別な存在だった。
身体があまり強くなく、どこかおとなしげな陽菜。
幼い頃から病院に通うことが多く、周りの子供たちともあまり接する機会がなかった。
それでも、健太はそんなことお構いなしに陽菜を遊びに誘った。
「陽菜も一緒に行こうぜ!」
太陽の下で駆け回る健太と、病院帰りに彼を見つめる陽菜。
まるで正反対の二人だったが、陽菜は次第に健太に惹かれていった。
あんなふうに自由に動けたら。
あんなふうに、笑って過ごせたら。
幼い陽菜にとって、健太は羨望の対象であり、そして憧れだった。
「陽菜は俺が守る!」
幼い頃、健太は何の迷いもなくそう言い切っていた。
それは周りの友達に対しても、時には陽菜本人に対しても。
兄しかいない末っ子の健太にとって、陽菜は初めてできた“守るべき存在”だったのかもしれない。
しかし、小学校を卒業し、中学に入ると徐々に状況は変わっていった。
クラスも別になり、次第に一緒に遊ぶこともなくなっていく。
陽菜は相変わらず病気がちで、学校を休むことも多かった。
そして健太もまた、新たな環境の中で目の前の毎日を全力で過ごしていた。
気がつけば、二人の間には距離が生まれていた。
健太は、小学校の頃から続けていた剣道に本格的に打ち込むようになった。
もともと運動神経が良かったこともあり、メキメキと実力を伸ばしていく。
そして中学三年生の時、全国大会に出場するまでになった。
一方の陽菜は、中学に入っても変わらず目立たない存在だった。
体調を崩して学校を休むことも多く、健太と顔を合わせる機会も減っていった。
幼馴染であることには変わりなかったが、二人の間には次第に距離が生まれていった。
☆
「久住くんの体質って、ギャルゲーの主人公みたいだね!」
そう言って、目の前の同級生——毛利傑はにやりと笑った。
健太は思わず眉をひそめる。
「……は?」
「だってさ、次から次へとトラブルが舞い込んでくるし、それに巻き込まれる女の子も多い。王道ギャルゲーの主人公って、だいたいそんな感じじゃない?」
「いや、俺はそんなつもりないんだけど……」
「自覚がないのが、また主人公っぽいんだよなぁ〜」
毛利傑——クラスでも目立たないタイプの男子。黒縁メガネに猫背気味の姿勢。話しかけてくることも滅多にないのに、今日はやけに饒舌だ。
「ギャルゲーって、あれだろ? 女の子と仲良くなって、最後に告白するやつ」
健太はギャルゲーの存在自体は知っていた。
クラスメイトの会話や雑談の中で何度か耳にしたことがある。
けれど、実際にプレイしたことはない。
「まあ、大まかにはそんな感じ。でも、ギャルゲーと一口に言っても色々とあるんだよ?」
毛利は親指を立て、得意げに言う。
「恋愛だけじゃなく、時には事件が起きたり、バトルがあったり、ループしたり——そう、人生の縮図が詰まっているんだ!」
「……いや、恋愛でバトルとかループはしねぇだろ、普通」
健太は呆れたように突っ込むが、毛利は気にせず続ける。
「ちなみに、僕はギャルゲーの研究家でね。持ってるゲームは50本以上ある」
「多いな!!」
「でさ、その中でも特におすすめの一本を貸してあげるよ、久住くんにぴったりのやつ」
そう言って、毛利はカバンからゲームソフトを取り出した。パッケージには、美少女キャラが描かれている。
「タイトルは『カオス∞ラブ』。主人公に次々とトラブルが降りかかるけど、最終的にはヒロインと結ばれるという、まさに王道中の王道!」
「……はあ」
「これ、久住くんがやったらどんな感想を持つのか気になるんだよね〜。ぜひプレイして感想を聞かせてよ!」
健太は、なんとなく嫌な予感がした。
(俺、ゲームの主人公じゃないんだけどな……)
そう思いながらも、毛利の勢いに押される形でゲームを受け取ったのだった。
☆
「へぇ、健太がゲームやるなんて久しぶりじゃないか?」
ソファに腰掛けた健太を見て、兄の渉が笑った。
「まあね。たまたまクラスの奴に借りたんだよ」
健太は適当に返事をしながら、ゲーム機を起動する。画面にはタイトルが映し出される。
『カオス∞ラブ』
ギャルゲー、と言われるジャンルのゲームの様だ。
主人公は普通の高校生。だけど、なぜか次から次へとトラブルに巻き込まれる。どこかで聞いたような設定だ。
(……俺と似てるな)
妙な親和性を感じながら、ゲームを進める。
主人公はクラスメイトの女子に誤解され、生徒会長に目をつけられ、謎の事件に巻き込まれる。どんなに努力してもトラブルは止まらない。
(うん、俺みたいだ)
健太は、画面に表示された選択肢を眺めていた。
***********************
▶︎「嘉音を選ぶ」
▶︎「嘉音を選ばない」
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作中の主人公は、数々の困難を乗り越え、最後にこの選択肢を選ぶことで幼馴染のヒロイン、嘉音と結ばれる。
画面の中では、嘉音が涙を流しながら微笑み、主人公に抱きつく。そして、エンディングへと進んでいった。
——その展開を見たとき、健太は無意識に手を止めていた。
(幼馴染のヒロイン、か……)
「……ふぅ」
健太はコントローラーを置き、伸びをした。
画面の中では、主人公と嘉音が寄り添い、エンディングテーマが流れている。
「思ったより面白かったな」
ギャルゲーなんてほとんどやったことがなかったが、やってみれば意外と楽しめるものだった。
(トラブルばっかり降りかかる主人公……なんか他人事に思えなかったな)
ーーもっとも、俺の場合は攻略対象の女の子と結ばれるどころか、トラブルばっかり増えてる気がするけど。
健太は苦笑しながら、ゲーム機の電源を落とした。
「毛利に返さなきゃな。感想も伝えとくか」
(あいつ、どんなリアクションするかな)
次の日、毛利に感想を伝えたら、きっと語り尽くせないほどの推しトークが返ってくるだろう。
そんなことを考えながら、健太は布団に転がった。