エピローグ(病床の陽菜エンド)
……選んだのは、「病床の陽菜」だった。
文化祭のループを終え、健太の世界はようやく前へと進み始めていた。
あの日以来、彼はループの記憶を保持したまま日常を過ごしている。
その影響は確かに表れていた。
——剣道では負けなし。
元々全国レベルの実力を持っていたが、何度もループを経験したことで、もはや敵なしの境地に達していた。
その圧倒的な強さから、周囲の選手や関係者からは“神童”と呼ばれるようになり、全国制覇はほぼ確実と言われるまでになった。
——勉強でも異変が起きていた。
記憶が保持されたことで、学んだことが消えずに蓄積され続け、気づけば学校内でもトップクラスの成績を誇るようになっていた。
先生たちからの評価も一変し、「お前、もしかして勉強できるタイプだったのか?」と驚かれることも少なくない。
——そして、女子からの人気も急激に高まった。
全国トップレベルの剣道の実力、学業優秀、加えて元々イケメンと言うほどではないが、精悍で悪くない顔立ち。
気づけば、これまで以上に女子からの視線を感じるようになり、告白されることも増えた。
だが——
「ごめん。俺、好きなやつがいるんだ。」
そう言って、健太は全ての告白を断り続けていた。
心はすでに決まっていた。
しかし、それでも変わらないことがあった。
——健太は相変わらずトラブル製造機だった。
どこに行っても、なぜか問題が起こる。
部活では機材が壊れ、文化祭では大道具が崩れ、恋愛沙汰では無実の罪で睨まれる。
そのたびに、いつもなら隣で面白がりながら協力してくれたはずの明が——いない。
気づけば、健太はトラブルに巻き込まれながらも、たった一人でどうにかしようと奮闘していた。
明ならここで「お前、ほんと飽きねぇな!」と笑って助けてくれただろう。
でも、どこを探しても、もうアイツはいない。
——九条明は、いなくなっていた。
まるで最初から、九条明などという存在がなかったかのように。
誰も彼のことを話題にしない。
担任に「明は?」と聞いても、「誰のことだ?」と首を傾げるだけ。
クラスのどこを見渡しても、明の席は存在していなかった。
麻奈美とは相変わらず仲が良く、休み時間に何気ない会話を交わしている。
でも、その隣に明がいないことに、健太はふとした瞬間に寂しさを覚えた。
バカみたいなことを言い合い、ツッコミを入れ、時には励ましてくれた。
……アイツは、いなくなってしまったんだ。
それでも、健太は前に進まなければならない。
ーー今は、陽菜がいる。
☆
陽菜は無事に退院し、リハビリを経て少しずつ元気を取り戻していった。
最初は病院の庭をゆっくり歩くことから始まり、やがて近所を散歩できるようになった。
それでも長時間動くと疲れてしまい、時折ベンチに腰を下ろして休むこともあった。
最初は少し歩くだけでも疲れてしまっていたけれど、それでも彼女は決して弱音を吐かなかった。
「今日のリハビリ、結構頑張ったんじゃない?」
病院の庭のベンチに座りながら、健太は隣の陽菜に声をかける。
「うん、ちょっとずつだけど、ちゃんと前に進んでるよ。」
陽菜は柔らかく笑う。その笑顔は、以前のように明るくて、どこか眩しかった。
「でもさ、正直な話……まだしんどい?」
「んー……少しだけ。でもね、前はベッドから起き上がるだけで精一杯だったんだから、それに比べたらすごい進歩だよ。」
「……そっか。」
健太は、彼女の横顔を見つめた。
頑張り屋で、意地っ張りで——でも、その強さが健太にとって何よりも愛おしかった。
「お前がちゃんと元気になったら、もう一度お前をデートに誘うよ。」
ふと、健太は口にした。
陽菜は少し驚いたように目を丸くして——そして、ふわりと笑った。
「うん、約束だよ。」
彼女の頬がほんのりと赤く染まる。
そんな陽菜の仕草を見て、健太は少しだけ照れくさくなり、視線を逸らした。
「……って言っても、お前のペースでいいからな。無理して急ぐ必要はねぇし。」
「うん。でもね、健太くん。」
陽菜はふと、どこか遠くを見るような瞳をした。
「私、理想の私に近づくように頑張るね。」
「……え?」
健太は驚いたように彼女を見た。
「私、うっすらとだけど“彼女”の記憶も覚えてるの。」
「……」
「それは夢だったのかもしれないし、幻だったのかもしれない。でも、確かにもう一人の私はいたんだよね。」
陽菜はそっと自分の胸に手を当てる。
「だから、私——あの子に負けたくないの。」
「負けたくない?」
「うん。だって、どっちも私だから。」
そう言って、陽菜は健太を真っ直ぐに見つめる。
「理想の私が持っていた自信も、強さも、全部本当の私の中にあったものなんだと思う。」
「……」
「だから、私は理想に近づくように努力するよ。今度は、私の意志で。」
その言葉を聞いて、健太は思わず息を呑んだ。
理想の陽菜を選んでいたら——きっと、こんな風に彼女が自分で歩こうとすることはなかったのかもしれない。
「……そっか。」
健太は小さく頷いた。
「でも、無理するなよ。」
「ふふっ、分かってる。」
陽菜は嬉しそうに笑い、健太の手をそっと握った。
青く澄み切った春の空の下。
二人は新しい未来へと、一歩ずつ歩み始めた。




