運命の選択編4(終・最後の選択肢)
「……高校、辞めます」
職員室で担任教師にそう告げたとき、場が凍りついた。
「……え?」
担任だけではない。
剣道部の顧問、学年主任、そして両親。
みんなが口々に引き留めようとする。
「お前、一体どうしたんだ?」
「何か問題があるなら、相談してくれ」
「いきなり退学なんて、そんな無責任な——」
だが、健太は何を言われても頑なに首を振り、学校を去った。
それから数日間、街をぶらつきながら時間を過ごした。
遠くへ行けば、何か変わるかもしれない。
——しかし、文化祭の終わりが来ると、また朝に戻ってしまう。
“物理的に距離を置く”という手段は、無意味だった。
⭐︎
次に、健太は剣道の修行を名目に遠方の道場を訪ね歩いた。
知らない土地、知らない人間、未知の環境。
本当にこのループが閉じた世界ならば、遠くに行けば何か違いがあるのでは?
全国レベルの道場を巡り、ひたすら竹刀を振るう。
新しい技を学び、今まで戦ったことのない相手と手合わせをする。
竹刀を手にしながら、健太は息を吐いた。
それならば、視点を変えるしかない。
剣道の相手に限らず、古武術、空手、ボクシング……様々な格闘技の使い手とも戦い、異なる技術を体に刻んでいく。
打撃の間合い、組み技の重心移動、相手の動きを読むコツ——すべてが剣道とは異なる理。
肉体的には確実に強くなっていく。
だが——ループは変わらない。
文化祭が終わるたび、結局はいつもの朝に戻る。
「……マジかよ」
さすがの健太も、心が折れそうになった。
⭐︎
「お前は……何を望んでいる?」
あるループの中で、健太は思い切って理想の陽菜に問いかけた。
「え?」
陽菜は驚いたように健太を見つめる。
「お前は、どうしたいんだ?」
「……どうしたいって……私は、健太くんと一緒にいたいよ」
「それだけか?」
「え……?」
陽菜の表情が一瞬だけ曇ったように見えた。
「俺は、お前を好きになるべきなのか?」
「……」
「お前自身は、どう思ってるんだ?」
陽菜は一瞬だけ視線を彷徨わせた。
「……私の気持ちは、本物だよ」
「そうか」
それ以上は、何も言えなかった。
だが、陽菜の反応は——まるで「彼女自身も何かに縛られている」かのように見えた。
もしかしたら、陽菜自身も“理想”として作られた存在であることに気づき始めているのではないか——
健太の中で、疑念が生まれた。
⭐︎
病床の陽菜の病室——
健太はベッドのそばに立ち、陽菜の顔をじっと見つめた。
穏やかに眠る彼女は、ただ静かに呼吸を繰り返している。
「……お前は、どうしたいんだよ」
答えはない。
それでも、健太は話し続けた。
「俺は、お前を……二人とも救いたいんだ」
ふと、心電図の音がわずかに揺らいだ気がした。
(……陽菜?)
だが、それ以上の反応はなかった。
暁はふと言ってみた。
「……聞こえてるんだろ、明」
その瞬間——時間が止まった。
秒針がピタリと静止し、窓の外の風も消える。
まるで世界そのものがフリーズしたかのようだった。
「よう、久しぶりだな」
後ろから、いつもの軽い調子の声が聞こえた。
「……やっぱり、いたんだな」
振り返ると、そこには変わらない明の姿。
だが、その表情はどこか疲れたようにも見えた。
「ま、お前がここまでしつこく粘るなら、流石に出てこないわけにはいかないさ」
明はベッドを見て、ふっと口角を上げる。
「で、俺に何の用だ?」
健太は拳を握りしめ、言った。
「どちらも選ぶ、って言ったらどうなる?」
一瞬の沈黙。
明は肩をすくめ、静かに答えた。
「死ぬさ、二人ともな」
「……っ!」
健太は息を呑む。
「ルール違反だからな。当然の結果だろ」
「それが本当に、お前たちの“賭け”のルールなのか?」
「そういうもんなのさ」
明は肩をすくめながら、こう言う。
「俺たち死神はな、等価交換が大前提なんだよ。片方が生きるなら、片方は消える。お前がどっちも選ぶってことは、天秤をぶっ壊すってことになる」
健太は、「なら、ぶっ壊してやるよ」と言い返すが、明はニヤリと笑う。
「そうなったら、天秤ごと燃えて、どっちも跡形もなく消えるだけさ」
明は指を鳴らした。
次の瞬間、病室の景色が変わる。
そこには——誰もいないベッドがあった。
「お前が選べなければ、こうなるかもしれないんだぜ?」
健太は拳を握りしめた。
「まあ、精々悩んで答えを出せよ」
明はそう言って、ふっと笑った。
そして、次の瞬間——
彼は消えた。
︎⭐︎
「……クソが」
健太は歯噛みした。
どれだけ足掻こうと、まるで決められたゲームの中を歩かされているようだった。
しかし、それでも手をこまねいているわけにはいかなかった。
——二人を救う方法はないのか?
陽菜のどちらかを選ばなければならないのなら、両方を選ぶという道はどうなのか?
「俺は二人とも好きだ……ダメ元でそう言ったら、どうなる?」
もし、それでループを抜けられるなら——。
だが、その考えが脳裏をよぎった瞬間、健太は背筋が寒くなった。
——死神はそんなに甘くない。
死神は言った。
『死ぬさ、二人ともな』
あれは本気だ。
選択肢は最初から「どちらか一方を選ぶ」ことしか許されていない。
もしルールに違反したら——。
二人とも死ぬ。
死神なら、それくらいのことは平然とやるだろう。
いや、それどころか、そもそもどちらも選ぶという道を健太が考えることすら、最初から織り込み済みだったのではないか。
「……っ」
健太は拳を握りしめた。
——なら、どうすればいい?
どうすれば、このループを終わらせられる?
どうすれば、二人とも救うことができる?
——突破口は、どこかにあるのか?
健太は考え続けていた。
死神は「お前が選ばなければ、ループは終わらない」と言った。
「二人を救う方法などない」とも言い切った。
しかし、それは本当なのか?
死神の言葉が絶対ならば、この状況はゲームのようなものだ。
健太に与えられたのは二択で、どちらかを選ばない限りゲームオーバーにはならない。
だが——。
この世界は、本当に選択肢だけで動いているのか?
健太以外の人間は、このループのことを知らない。
陽菜でさえ、「理想の自分」として生きている彼女は、それをどこまで理解しているのか曖昧だった。
しかし、健太は気づき始めていた。
完全にリセットされているはずの世界に、微かな残滓があることに。
たとえば——麻奈美の何気ない違和感。
「……最近、ちょっと変な夢を見てる気がするんだよね」
「変な夢?」
「うん……なんか、デジャヴっていうのかな。見たことないはずの光景なのに、知ってる気がするの。変でしょ?」
「……いや、変じゃない」
「え?」
健太は心の中で確信した。
この世界は、完全なループではない。
ごくわずかに、でも確かに、記憶の欠片が残っている。
もし、それがもっと強く残る方法があるとしたら?
もし、それが陽菜や、他の人間にも影響を及ぼすとしたら?
それこそが、二人を救う突破口になり得るのではないか——?
もちろん、死神——明は明確に否定している。
「そんな抜け道はねえよ。お前がどっちを選ぶか、それだけの話だ」
「でも、実際に麻奈美は何かを感じ取ってる」
「だからなんだ?感じ取るのと記憶に残るのは違う。そいつらは決してループを認識することはできないし、それが打破の手段になることもない」
「……本当に?」
「本当さ。そもそも、そんな方法があるなら俺が先に潰してる」
「……」
死神の言葉は、どこまでも冷酷だった。
けれど、それでも——。
(本当に、そうか?)
健太は、まだ諦めなかった。
誰かに記憶が残る方法があるなら、それを見つける。
二人を救う方法があるなら、絶対に掴み取る。
死神がどれだけ否定しようと、可能性が見えたのなら、それを試すしかない。
しかし——どんな手を尽くしても、二人を救う方法は見つからなかった。
何度も試行錯誤した。
ループのたびに違う選択をしてみた。
それでも、どちらか一方を選ばなければならない状況は変わらなかった。
どうすればいいのか——
健太は考えた末、最も信頼できる兄に相談することにした。
夜の公園。街灯が照らすベンチに、健太と渉は並んで座っていた。
「——なあ、兄ちゃん」
健太はぽつりと呟いた。
「……もし、大切な二人のうちどちらかを選ばないといけなくなったら、どうすればいい?」
渉はしばらく何も言わなかった。ただ、夜風に髪をなびかせながら空を見上げていた。
「……難しいな」
「だろ?」
健太は苦笑した。何度ループしても答えが出せなかった。どちらも大切だった。どちらかを選べば、もう一人が消えてしまう。
「でもな、健太」
渉は優しく言った。
「目を閉じてみろ」
「……え?」
「いいから。目を閉じてみな」
健太は言われるがままに目を閉じた。
「お前がそばにいたい人を思い浮かべてみろ。……最初に頭に浮かんだのは誰だ?」
暗闇の中——
真っ先に思い浮かぶのは、”あの子”の顔。
「……それが、お前の答えだよ」
健太はゆっくりと目を開けた。
胸の奥が、すっと軽くなるのを感じた。
「……そっか」
渉は微笑んだ。
「俺はさ、一人しか付き合ったことないから、偉そうなことは言えないけどさ」
「うん」
「付き合うってのは、ただ好きって気持ちだけじゃダメなんだよ。大切にできるかどうか。自分が一緒にいたいと思うかどうか」
「……」
「だから、決断したらもう迷うな」
健太は小さく息を吐いた。そして、ゆっくりと立ち上がる。
「——決めたよ」
明日、ループが終わる。
⭐︎
文化祭のクライマックス、キャンプファイヤーの炎が夜空を照らしていた。
生徒たちの笑い声、熱気、音楽。
そして、その中心に立つ少女。
「ねえ、健太くん」
陽菜が、真っ直ぐに健太を見つめていた。
理想の陽菜。健太と共に歩み、笑い、愛を告げる存在。
「私ね、ずっと伝えたかったの」
彼女の瞳は揺るぎない決意に満ちている。
「——好きです。私と、ずっと一緒にいてください」
その瞬間——健太の視界にいつもの通り“見えるはずのないもの”が映った。
選択肢
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▶ 理想の陽菜を選ぶ
▶ 病床の陽菜を選ぶ
▶ どちらも選ばない
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心臓が高鳴る。
視界の端で、誰かが微笑んだ気がした。
まるで、「さあ、選べ」と言わんばかりに。
——久住健太は、選ばなければならない。
世界の結末を。




