2:革靴の出会い②
結構長くなってます。ごめんなさい。
もう少しだけ、第二章は続きます。
「失礼しました。」
一礼し、職員室を出た。
静寂につつまれた廊下を歩きながら、疲れきった大樹は、とぼとぼと自分の教室へと向かった。
(今日は、とくに酷く怒られたな・・・。)
ずっと立っていたから、足が痛かった。足を引きずるようにして歩くと、廊下にズリズリと、音が響いた。変に大きな音がするのが、なんだか怖くてすぐにやめた。
職員室のある中央校舎の、玄関まで出た。
この校舎からは、校庭、そして校門まですべてを見通せる。だだっぴろい校庭には、だれもいなかった。校庭の隅のほうは、薄墨をなったかのように暗く染まっていた。それと対照的に、見上げた空は、熟れた蜜柑のようにきれいな色をしていた。ほんの少しだけだが、暑さは和らいでいた。
ときおり吹くやさしい風が、気持ちよかった。そのまま、教室に置きっぱなしのリュックサックやらを取りに、東校舎へと歩いていった。
とっくに、他の生徒達は帰宅してしまったのだろう。教室は電灯も消され、窓から射し込んでくる夕陽で、淡く染まっていた。その中には、大樹以外、誰もいなかった。
(ちぇ。)
自分の席に向かいながら、心の中で、舌打ちをした。
(雄大たち、帰ったのか・・・。薄情なヤツラ。ちょっとぐらい、待っていてくれればいいのにさ。)
自分が悪いのだとはいえ、誰も帰りを待っていてくれないというのは寂しいものだ。なぜか、疎外感のようなものを感じた。
(・・・まぁ、ちょっとどころじゃなかったけどな・・・。)
ぽつんと、独りきりでいると、昼間はあんなに狭く感じた教室が、だだっ広く見えた。
(こんなに広かったんだな・・・。)
不思議と、寂しさが押し寄せてきた。この世界に自分が一人ぼっちになったかのように思えた。正確に言うと、教室に一人ぼっちなのだが。
(そういえば、あいつら今日は遊びに行くとか言っていたな・・・。)
急いで机の中のものを引っ張り出して、荒っぽくリュックサックにつめこんだ。
(ちぇ。)
寂しさを感じないように、帰り支度に専念した。
もともとたいして荷物はないので仕度はすぐに終わった。さぁ帰ろうか、と思った、その時。
ガラッ。
教室の外側、廊下の方から物音が聞こえた。何か扉を開ける音だ。突然の物音に、大樹は心臓が止まるかと思うほど、驚いた。
(だ、誰だよ・・・?)
てっきり、もう自分以外誰もいないと思っていた。
(まだ・・・誰か残っていたのか?)
リュックサックを背負った。できるだけ、音をたてないように。なぜだかわからないが、音をたててはいけないと思った。
コツコツコツ。靴の音だ。それもおそらく、スニーカーではなく、革靴の音だ。固いもの、踵の部分が、ぶつかる独特の音だ。
(生徒じゃ・・・ない・・・のか?)
生徒は、みんなスニーカーを履いている。静まり返った学校の中で、靴の音はみょうに大きく聞こえる。反響しているみたいだ。ふと、さっき足を引きずった音もこのくらい響いたのかな、と思った。予想以上に、大きく聞こえるようだ。
コツコツコツ。じっと耳をすますと、音が大きくなっていることに気づいた。だんだんとこちらの方へ、近づいてきているのだ。
(せ、先生だよな、きっと。さっきまで広田と山村がいたし・・・。)
そこまで考えて、大樹は不思議に思った。
(でも・・・。)
よく思い出してみると、広田はスニーカーを履いていた。生活指導で学校の近辺まで見回りに行くから、動きやすい靴がいいのだとか、言っていたっけ。
それに、山村は、サンダル履きだったはずだ。いつも、茶色の使い古したサンダルを履いていた。サンダルやスニーカーでは、あんなはっきりとした靴音は出ないだろう。
(じゃあ・・・誰だ・・・?)
大樹が、説教されていたとき、職員室にはその二人しか残っていなかった。他の教師達は、怒られている大樹をわきに見ながら、次々に帰宅していったのだ。
音は、どんどん近づいてくる。大樹は、少し、怖くなった。
夕陽も落ち始め、薄暗い暗闇のベールに包まれた教室にいると、些細なことも恐怖感をあおってくる。
謎の人物に見つかっては、いけないような気がした。電灯は点けられなかった。
コツコツコツ。大樹のいる教室、2年4組の教室のそばまで音は接近していた。
(まさか、幽霊じゃ・・・ないよ・・・な・・・。足・・・あるみたいだし・・・。)
そう考えて、すぐに後悔した。ズッと、寒気がした。一気に恐怖感が高まった。
小学校のころ、「学校の怪談」という話が流行ったことがあった。そういう話・・・幽霊やお化けなどの得体の知れないものが、大樹は、大嫌いだった。一時期本気で信じていたこともあった。だが、親や友達・・・特にクラスの奴らにばれると、バカにされるからずっと隠していた。
今でも、そんなのは作り話だ、ただの妄想なんだと、頭ではわかっているのだが、心の底では信じられずにいたのだ。
(こ、怖くはないけど・・・さ・・・。)
やせ我慢をしようとしたが、得体の知れない人物は、どんどん迫ってきている。
ふと、教室の前方に置いてある、教卓が目に入った。あそこなら隠れられる、そう思った大樹は、物音を立てないように、だができるだけ早くそちらへ向かった。そして、教卓の下の、大きく空いた空間に、防災訓練のときのようにしゃがみこんで、身を隠した。小柄な大樹には、楽々入れる広さだった。隠れた大樹は、耳をすまして、じっと待った。
コツコツ・・・。チラッとだけ、顔を出して、廊下の方をのぞいた。
ちょうど、教室の前方の扉の、すりガラスに人影が見えた。でかかった。身長でいえば、ノッポの雄大と同じぐらいだろうか、だが、体格が全然違っていた。謎の人物のほうが、圧倒的に肩幅が広く、岩のように、がっしりしていた。どうみても、男だった。
ガッと、謎の男が扉に手をかけた。大樹は慌てて、首を引っ込めた。ガラガラと、扉が開けられる音がした。
(はやく、出ていけ、出ていけ、出ていけ・・・。)
目を閉じて、心の中で、念じた。足音が、大樹の隠れている教卓に近づいてきた。
薄目を開けて教卓の下の、スキマを覗いてみた。デカイ、真っ黒な革靴が見えた。やっぱり幽霊じゃなかった、少しだけ大樹は安心した。
「おい。」
突然、頭の上のほうから、野太い声が飛んできた。幽霊以上に、恐ろしい声だった。
(え?)
驚いたせいで、びくっと、体が動いた。やばい、見つかる。大樹は更に体を縮めた。
「おい。」
また、野太い声が言った。今度は、少し苛立ちの色がまじっている。誰に、言っているのだろう。まさか、おれか?
(いや、隠れてれば、大丈夫だ・・・きっと・・・きっと。・・・ここが見つかるもんか。)
できるだけ、小さく、小さく、体を丸めた。頭をヒザとヒザの間に挟んだ。
一分近く、経過した。なんの音も聞こえない。どうしたんだ、あの革靴の奴は。気になった大樹は、頭を上げ、教卓の開いている方に、顔を向けた。
「うわっ!」
そこには、逆さまになった顔があった。驚くあまり、狭い教卓に隠れていることをすっかり忘れ、後ろに跳び退ろうとした大樹は、体中をぶつけてしまった。
「痛っ!」
あちこちが、ジンジン痛んだ。
にゅっと、上のほうから、大きな手が伸びてきて、大樹の襟足を掴んだ。そのまま、革靴の男は、力いっぱい大樹を引きずり出した。
「イテ、イテテ、痛いって!」
無理矢理、引きずりだされ、更にあちこちぶつけられた。
革靴の男は、襟首を掴んだ片手だけで、楽々と大樹を持ち上げてしまった。
「放せって!おい、くそ!」
バタバタと動かした足も床につかず、完全に宙に吊るされた大樹は、なす術も無かった。
「おい・・・ちびっこ。」
暗くて表情がよくわからない革靴の男が、言った。
「な、な、な、なんだよ!放せよ!おーろーせー!」
相変わらず、身をくねらしたり、バタバタ足を動かしたりして、逃げようとする大樹を革靴の男は全く気にしていなかった。
「ちびっこ・・・おまえ、なんでこんなところに隠れていたんだ?」
男は、訝しげに訊ねた。
「ちびっこ、ちびっこ、うるさいな!おまえこそ、一体何者なんだよ!学校で何してるんだよ!」
逃げようと、もがきながら言った。
「俺か?俺は、ここで雇われてるんだよ。」
「はぁ?そんなのウソだね!おれ、おまえみたいな先生、知らないし。」
逃げられないと、ようやく観念した大樹は、怖さを押し隠しながら男と相対した。
「先生?誰がそんなこと言った?」
バカにしたように、男が言った。
「じゃ、じゃあ、おまえ何者だよ?」
ビビッていることが、ばれないように、大樹は無理に腕を組んで威嚇した。
「俺は・・・」
その時、学校前の道路を車が通ったのだろう、一瞬であるが自動車のライトが、教室の中を照らした。
そのほんの一瞬、男の顔も照らした。いかつい顔立ちの中で、目が悪戯っぽく笑っていたのが見えた。
「バイトだ。」
なぜだろう、そう言った男の声には、楽しげな響きが含まれていた。
再び、教室は暗くなった。
すっかり、夜になってしまっていた。