仇后を討て、人の子よ
血で血を浄え、魔性の子よ
「怪物奴、一匹残らズ始末しテやる……」
〈影法師〉は確かに訛りがキツい。それと、ところどころに道仲語が混じってもいる。
しかし聞き取れないほどでもないだろう――と思いつつ、〈暗殺姫〉は鋼条を引いた。罠の内側にいた魔物たちは、血飛沫の中で互いの境界さえ失い、無様な肉塊の山と成り果てていく。
ここはエルソス王国南部、灰色の森と呼ばれる場所だ。名称の由来になった銀灰色の樹々がよく茂って陽光を遮り、昼間でも薄暗いので、たまに魔物が棲みつくことがある。
それが一匹二匹なら地元の猟師でも対処できるが――三人が対峙しているのは、数え切れないほどの擬魔の群れ。
殺しても殺しても、無限とばかりに奥から湧いてくるのだから、まさに悪夢。猟友会が魔狩組合に泣きついたのも無理はない。
かくして組合が送り出した三人の賞金稼ぎは、森を灰色から赤へと染め上げていた。
「雑魚ばっかりでキリがねぇな、肝心の親玉はどこだよ!?」
背後で苛立った声を上げたのは、このチームの頭目であるエルソス人の男。組合では〈斬道化〉の通称で知られている。
彼の一族は代々魔物殺しで、人によっては『五代目』とか『道化侯の孫』と呼ぶこともあるそうだ。
通称どおりのピエロ姿ながら人目を惹く色男は、無数のナイフを躍らせて魔物を斬りまくっている。他にも巨大なラッパ銃やら派手な色の棍棒といった、それっぽい装備で揃えているのは、道化師に生まれついた者の美学だろう。
幼少時から仕込まれているだけあって動きは華麗そのもの、まさに武芸。
しかし美しさならこちらも負けてはいない。
『ひどいわ、どうしてわたしをきずつけるの、メ……』
「本名は呼ばないで? 非公表だから」
〈暗殺姫〉は優雅に身を翻し、鉄扇で相手を強かに打ちのめした。
擬魔はその名のとおり、化ける。相手の記憶を読み、外見だけでなく声や科白まで再現するという性質から、数値上の強さ以上に討伐難易度が高いとされる魔物だ。
顔見知りの姿をしたモノを殺すのは精神的に来る。それも視界を埋め尽くすほどの数なんて、心の弱い者なら耐えられない。
そういう意味では暗殺姫は適任だ。通称どおり、彼女の人生は血まみれだから。
古い友人の顔をした魔物の脳天を真っ二つに砕く。どろどろの血肉の塊がまき散らされるのを、兇手の舞姫はくるりと踊って避けた。
返り血で衣装を汚すのは三流の踊り子だ。身に纏う染みひとつない純白と金は、一流の矜持そのもの。
麗しい死の舞踏に魅入られる、黒曜石のような瞳がある。暗殺姫が視線に気づいて眼を細めると、反対に影法師は恥じるように顔を背けるが、耳が紅く染まっていた。
「腕はいいのに初心なのね、可愛小弟」
「……不笑我」
「おい何そこイチャついてんだ。雰囲気でわかるぜ~?」
「誤解デす!」
抗議めいた弁明に、ピエロは「いや何て?」と肩を竦める。
「意地悪ねぇ。彼、訛ってるだけでちゃんとエルソス語で話してるじゃない」
「聞き取れねぇんじゃ外国語と同じだ」
そういうわけだった。
暗殺姫はエルソス王国と道仲国、両方にルーツを持つ混血。斬道化がこの任務を引き受けるにあたり、参加を希望した影法師の言葉があまりにも聞き取りづらいというので、もともと知り合いだった彼女に通訳を頼んできたのだ。
しかし少々ワガママな道化の王子が、馴染みのない仲間を討伐の人員に加えるのは珍しい。
しかも影法師は若い――道仲国の人間はとくに幼く見えることもあり、一応は成人済なのだろうが、顔立ちはまるで子どもだ。なんにせよ経験の浅い者にこんな任務はつらかろう。
せめてもっと多勢ならともかく、いくら攻撃力は弱い中級の魔物相手とはいえ、この数を三人で処理するのは楽ではない。
次々に襲い来る擬魔どもを血祭に上げつつ、暗殺姫はするりと斬道化の背後に忍び込んだ。共演もたまには悪くない。
「ね、どうしてあの子を参加させたの?」
「あ?」
「影法師よ。たしかに腕は立つみたいだけど……あ、あなたそっちの趣味とか?」
「……ちっげぇよ!!」
ピエロが叫ぶと同時にパァンと苛烈な音を立てて巨大ピストルが火を噴く。おかげで影法師はこちらの会話に気づいていない。
拳術の伝統で知られる国の青年の細い身体は、漆黒の靄に包まれている。彼は魔術師――ごく一部の才ある者だけが扱える、特殊技能の使い手らしい。
闇色の魔力は鎧であり矛。触れれば魔物を粉々に砕き、噴き上がる血飛沫もすべて弾き返す。
影を纏う格闘家、だから通称〈影法師〉。
「あいつ……どうも俺と似たような腹らしくてな」
「というと?」
「親父の二代目道化侯は、俺がガキの頃に擬魔女王を狩りに行って失踪した……十中八九、殺された。この森に棲みついたのが同じ個体かはわからんが、これは俺にとっては弔い合戦なんだよ」
「ああ。で、彼も女王に因縁があるってこと?」
「たぶんな。訛ってるわ興奮してるわで、何言ってんだかサッパリだったんで推測だが……眼は真剣だった」
なるほど、と暗殺姫は頷いて、場所を移動する。
別段珍しい話でもない。そもそも魔物狩りを生業にする時点で、堅気の仕事には就けない訳あり者が大半だ。
暗殺姫だってろくでもない道を歩いてきた。混血児はどこでも疎まれ、なまじ女で見てくれが良かったばかりに、望まない愛を強いられたこともある。
そういう孤独や痛みを抱えた人間にとって組合はいい居場所だ。どんな出自の鼻つまみ者でも、殺しさえできれば存在が許される。
影法師もいろいろ苦労してきたのだろう。魔術の才は金になる――人を人とも思わない魔物以下の連中にとっては、自分たちのような者は欲を叶える道具だ。
「――おい、本丸が来やがったぜ」
斬道化が湿った歓声を上げた。
さんざん手下を皆殺しにしてやったから、とうとう女王のお出ましだ。一目でそれとわかるのは、明らかに周りの擬魔たちが左右に退いて、まるで花道のように彼女の前を開けているから。
そいつは美しい女の姿をしていた。きっとどこかの誰かの姿を模しているのだろう、周りに魔物を侍らせていなければただの人間に見えるほど、完璧に擬態している。
男どもは揃って駆け出した。かたや父親の仇、かたや――影法師の事情は知らないが、とにかく積年の恨みを晴らすために。
むろん擬魔たちも女王を守ろうとするが、雑魚は暗殺姫が請け負おう。
魔物どもは対峙するなり、かつて彼女が仕事として手にかけてきた人びとの姿に化け、いかにも彼らが言いそうな罵倒を口にする。人語に慣れないのか舌足らずなのが笑いを誘った。
皮膚を裂く鋭い鋼条を躍らせ、すべてを無意味な肉に切り刻む。
彼らはすでにこの世のものではない。死者をもう一度殺すのに、ふくよかな胸のどこを痛める必要があろうか?
『おねがい、みのがして、わたしにはおさないこどもが……』
「その子もとっくに死んだわよ」
軽やかなステップで臓物を避け、ひらりと舞ってまた一閃。鉄扇の先に潜めた刃で喉笛を掻っ切ってやると、ひゅるりとか細い音を鳴らして、柔な頭部が吹き飛んだ。
その先をなんとなく追った視線が、絶景を捉える。
まさに今、女王の心臓を、左右から〈斬道化〉と〈影法師〉が潰したところだった。
物凄まじい悲鳴を上げて怪物の首魁が打ち震える。道化の凶刃は深々とその胸を抉って、臓物の一切を肋の外へと掻き出した。
同じく暗黒色の影の拳も青白い肌へとめり込んで、骨という骨を微塵に砕いていく。
いかに女王でもこれでは肉体の再生が追いつかない。どんな魔物も心臓だけは絶対的な弱点で、それさえ破壊すれば必ず滅びる。
群れにとっては女王が心臓だ。他の擬魔は分身のようなもので、彼女を失えば形すら保てなくなる。
暗殺姫は素早く飛び退いた。三下どもの崩壊に巻き込まれたら、自慢の衣装の色が変わってしまうから。
「二人ともお疲れさま」
「おう、そっちもな。雑魚を引き受けてくれてありがとよ」
灰色の森から無事撤収した三人は、組合の詰所で報奨金の山分けをした。肝心の女王の討伐をしたのは二人だけなので、彼らの方が少し取り分が多くなるが、暗殺姫は気にしない。
今回もやりがいのある楽しい任務だった。人脈も武器になるから、新しい面子と接点が作れたのも上々。
「……お二人に感謝しマス」
「かしこまっちゃって。ねえ、汝願意今宵些好事小姐嗎?」
「だッ……絶不笑我!」
「んふふふ」
「はは。何言ってるかわかんねぇけど、品のねえジョークだっつーのはわかるわ」
影法師はちょっと堅い性格らしい。だからこそ弄び甲斐があっていい、と言ったらますます怒りそうだ。
ともかく事後処理も済み、少年……いや青年は一足先に帰っていった。
二人残ったのは打ち上げと称して酒場に繰り出すためである。暗殺姫的には影法師とも飲みたかったのだが、彼は下戸なのか、それとも酔わされたらこの女に何をされるかわからないという本能的危機感知が働いたか、……チッ察しがいいな。
飲み慣れたバーのカウンターでだべっていると、ふいにピエロが呟いた。
「そういや女王をぶっ殺した後、影法師が何か言ったんだ。例によって俺には聞き取れなかったんだが」
「勝利の雄叫び?」
「いや、そういう感じじゃなかった。なんか……涙を堪えてるようにも見えたんだよな、横顔が」
グラスの中で氷が崩れる。白塗りを剥いだ彼は、哀愁とブランデーが似合うただの色男だ。
結局その日はどうしても彼が影法師の言葉を思い出せなかったので、話はそれで終いになった。
・・・*・・・
「……一路走好、媽媽」
擬魔の女王が化けるのは繁殖のため。あらゆる生物の姿を模し、異種族同士でも子を生せるので、適した時期になると人や獣を攫うことがある。
影法師はそうして生まれた。
父親が誰かは知らない。用済みになった人間は、魔物にとっては食糧にすぎないから。
幼い頃に勇気ある人びとによって助け出され、道仲人の魔術師夫妻に引き取られた。しかし魔の女王は倒されていないという……それで賞金稼ぎとなってずっと探していたのだ。
母譲りの魔の才能は、世間では嫌われ者だけれど、この仕事には役に立つ。
こうなる運命だった。
女王を放置すれば、また彼女は人を誑かして子を生す。己のような呪われた存在をいたずらに増やしてしまう。
どのみち誰かがやらなくてはいけないのだ。それなら、自分がこの手で。
影法師は思い返す。母を殺したとき、共に戦っていた斬道化が浮かべた、憎悪の笑みを。
彼はどんな苦しみを抱えていたのだろう。上手く言葉が通じなくてあまり話せなかったけれど、いつか機会があれば聞いてみたい。
……そうすれば、この心の靄も晴れる気がするから。
賞金稼ぎの道化師と、異国育ちの半魔の魔術師。
二人が血の繋がった実の兄弟だと知るのは、もう少し先の話。
(了)