本の導き
寮の部屋で、リチェルが分厚い魔導書に顔を突っ伏して大きなため息を吐いた。ベッドに寝転がり子どもの頃好きだった絵物語を読んでいた私は、顔を上げてリチェルを見た。
「どうしたの?」
「どうしたのって、来週テストでしょ?もう頭パンクしそうだよ…」
そっかぁ、と返しながら再び魔導書と睨めっこを始めたリチェルを見つめながら内心青ざめていた。
(やばい。テスト、忘れてた…!)
次の日、授業後に慌てて図書室に飛び込んでテスト範囲に関わりそうな本をまとめて借りた。テスト対策!騎士科一年向けはこちら、のコーナーに本がまとめられていたことに感謝しながら、何冊か適当に手に取ったのだ。
「とりあえず暗記、暗記」
そうぶつぶつ呟きながら廊下を歩いていると、前から歩いてくる人物に気づかずそのままぶつかってしまった。向こうもこちらが避けないとは思っていなかったのだろう。なんといっても、歩けば周りが道をあけるのが当たり前の人だ。
「わっ!ごめん!」
「…またお前か」
ぶつかったのはクライスだった。ぶつかった拍子に本が一冊床に落ちてしまった為、ごめんって、と謝りながら開いてしまった本に手を伸ばす。その瞬間だった。
「えっ」
「っ、なんだ…!」
突如本が光だし、眩い光に目を閉じた瞬間急激に意識が引っ張られていく。身体の感覚がなくなったと思った途端、ふと光が和らいだことに気付き目を覚ますと、そこは深い森の中だった。
「………は?」
「………魔法がかけられた本だと?」
すぐに状況を理解したらしいクライスと呆然と辺りを見回す私。一体ここはどこだ、何が起こったのだろうとくるくるしていると、彼が大きなため息を吐いた。
「あの本はどこで手に入れた?」
「図書室で借りた本、だけど」
「こんな危険なものが混ざっていたとは…再検閲させるか」
「あの、これは一体…?」
何が起こっているのかわかっている様子のクライスに恐る恐る尋ねれば、驚くべき回答が返ってきた。
「ここは本の中だ」
「はい!?」
本の中。ということはあの落としてしまった本の中に入り込んでしまったということだろうか。そんなことがあるなんて魔法は奥が深い、と思いながら一つのことに気付く。
「………どうやって出るの?」
あの本は手元にない。地面にも落ちていない。だとすれば、どうすればここから出られるのだろうか。
「物語を完結させれば出られるのが通説だが…この物語を読んだことは?」
「ない…と思う。適当に借りたから」
「なんなんだお前は」
苛立ちを隠さずそう吐いたクライスに、巻き込んでしまった罪悪感から言い返せず言葉に詰まる。申し訳なさにどうしたものか、と空を見上げる。無数の星が綺麗に輝いている。どうやら夜のようだ。
「とにかく物語を進めるしかないだろうな」
「だとしても、何をすれば…」
すると、彼がある方向を見て目を細めた。その先に何かがキラリと輝いているのが見える。彼は迷うことなくそちらに歩いていく。
「ちょ、待って!」
慌てて追いかけると、彼が立ち止まり地面に落ちていたそれを拾い上げた。クライスの手の中にあるそれを覗き込むと、サファイアのような綺麗な青色の石があった。ただの綺麗な石にしか見えないが、彼はそれに視線を落としたまま言った。
「魔法石か」
「え、それが?」
「魔力を感じるだろ」
「…………う、うん。うん」
いや、本当は何も感じない。だがこれ以上足手纏いになるのは、と気まずさから頷けば怪訝な顔で見られてしまった。即嘘だとバレた。
「感じないのか」
「ハイ、ナニモ。スイマセン」
「……お前は」
そこまで言って、彼は口を閉じた。なんだろうか、とその続きを待つが、彼は魔法石を握りしめ視線を逸らした。
「いや……この魔法石と引き合う魔力を感じる。とにかくその魔力を辿れば何かわかるだろう」
「魔力を辿る……よろしくお願いします」
私には出来そうにない、と潔く諦めて彼に託すことにした。この本の外に出るためには彼に頼るしかない。そこでもう一つ、大事なことに気づいた。
「これって、外の世界の時間はどうなってるのかな」
「進んではいない筈だ。あくまでこの本の中での時空は魔法によって作り出された世界。現実世界とは分離されている」
「よ、よかった」
リチェルに心配をかけるところだった。それどころか一国の王子を巻き込んで失踪させたとあれば投獄どころか打首の可能性も否めない。ほっと胸を撫で下ろし、魔力を追うため歩き出した彼の後ろに続いた。
無言のまま歩き続け、ルビーのような炎の魔法石を手に入れた私たちは、どうやら魔法石を集めればいいということに気付き次の魔法石を求めて再び深い森の中を歩き出した。最初の会話から今まで一切の会話はない。
気まずい。無性に気まずい。普段からこちらから遠慮なく話しかけるのだが、巻き込んでしまった自覚があるものだから話しかけにくいというのが本音だった。このまま外に出るまで無言が続くのだろうかと思うと気が滅入ってくる。
そんな時だった、草木が揺れる音に彼はぴたりと足を止め周囲を警戒した。
「どうしたの?」
「……何かいるかもしれない」
「いないよ」
「何故わかる?」
疑いの目を向けてくる彼にあっけらかんと言った。
「この音は夜風で揺れただけ」
「だから何故わかるんだ」
「経験、的な?よく聞いてた音だからわかるよ。動物や魔物だったら違う音がするから」
「………そうか」
ブランディーユ教会の周りは自然に囲まれている。自然の中で生きてきた私にとって、自然の音や空気、風の匂いは慣れたものだ。しかし王族として王都、城の中で生きてきた彼には馴染みのない環境なのだろう。
大丈夫、進もう。そう声をかければ彼はまだ警戒を完全には解かないまま再び歩き始めた。