魔法の杖
イリスを連れてステラ寮へと戻った。
手を前にかざすと、魔力の波動を認識した重厚な門がゆっくりと開く。この門は魔力の波動により人を識別する。そのため、登録されていない人物はこの門を開けることは出来ない仕組みになっていた。
王族以外の従者や血縁者による一般生徒の帯同は禁止されている。例えば、エドガーがイリスを連れて入ろうとしても、イリスは門に阻まれ寮の中へ足を踏み入れることはできない。
「イリス、手を出せ」
「うん」
差し出された彼女の手に自分の手を重ね、一時的に僅かな魔力を送る。王族の魔力は一般人のそれとは質が違う。微々たる量でも相当な魔力を感じるだろう。魔力同士の抵抗反応が起きることも無く、彼女の髪がふわりと浮きその身に俺の魔力が問題なく纏ったのを確認して手を離した。
「俺の魔力が消えないうちに門を通れ」
「わ、そういうこと!?」
魔力が消えたら入れないのだと理解したイリスは慌てて門をくぐった。それに続いて足を進めると、後ろで様子を見守っていた二人が小声で会話しているのが耳に届いた。
「明日、槍でも降るのかもしれませんね」
「アルバートって実は不敬だよな」
「幼馴染としては、許されたいところです」
はぁ、と二人にわざと聞こえるようため息を吐く。気付いたエドガーは慌てたようについてくるが、アルバートは何食わぬ顔でいつも通り歩いてきただけだった。
「お前たちは部屋に戻っていい」
「了解です!」
「せっかくですからお供しますよ」
素直に応じたエドガーと含み笑いを浮かべるアルバート。対照的な二人だ。エドガーは軽く敬礼をすると、駆け足で寮の中へ去っていった。恐らく腹でも減っているのだろう。あの方向はダイニングだ。それに比べてこの男は…と厄介な側近に向き直った。
「側近としての意見を聞こう。寮の中で警護の必要は?」
「ありませんね。幼馴染の意見としては、ぜひ見守らせていただきたく」
「却下だ」
冗談ですよ、愉快そうにそう笑うとアルバートはおやすみなさいと寮の中へと歩いていった。一連の様子を見ていたイリスが、何が面白いのか楽しそうに口を開いた。
「仲良いんだねぇ」
「仲が良い…とは違う」
「そう?幼馴染って羨ましいけどな」
そう言った彼女の表情は特に陰ってもいない。自分の境遇を悲観しているわけでもなく、本当にただそう思っただけなのだろう。
「でも孤児院ってみんなが幼馴染みたいで、兄弟みたいな感じ?もあったのかも」
「庭園はこっちだ」
「はいはい興味ないですよね」
話を遮ったことに文句を言われるが、無視して歩き出せば彼女は斜め後ろを着いてきた。しかし尚も彼女の口は軽快に動き続けた。
「クライスって第二王子でしょ?ってことはお兄さんがいるんだよね」
その言葉に思わず足を止める。
「………それ以上無駄口を叩くなら追い返すぞ」
存外低い声が出てしまったらしい。流石の彼女も何か感じとったのか一歩後ろに下がると小さく謝罪した。
「ご、ごめん…」
敢えて何も言わず再び足を進めると、彼女は先程よりも少し後ろを着いてきた。
ステラ寮の裏にはそれなりに大きな庭園が用意されている。小さな貴族の家の庭園と遜色ないか、もしくはそれ以上の広さだろう。勿論手入れが行き届いているのもあり、一年中綺麗に保たれており四季によって様々な植物が色をつける。あまり気にしたことはないが。
魔法の杖の材料としてよく使われるのはルクスの木だ。この庭園にはルクスの木が数本植えられている。その場所に案内すると、彼女は早速足元を見ながら枝の捜索を始めた。
魔法の杖と言っても種類は様々で、魔力と相性の良い賢者の木から作られた杖は数百万ギルの値段がする。ルクスの木で作られた杖の相場は大体数千から高くても数万ギルだ。一般的な魔法の杖といえばルクスの木と言っても過言ではない。
「これどうかな」
顔をあげた彼女が地面に落ちていた細い木の枝を持ち上げてそう言った。
「正気か?」
「ちょっと細すぎるか~。これとか?うーん、短すぎるかな」
「……」
いくつか枝を拾っては悩み続ける彼女を見て眉をしかめた。
そうじゃない。口には出さなかったが言いたいことが喉元まで出かかった。細すぎる枝は耐力性に欠ける。魔法を発動した時の威力に負けて折れてしまっては意味がない。短すぎる枝は魔力を溜められる容量が足りない。溜められる量が少なければ魔法の威力は強くなるはずもない。口には出さなかったが。
すると、枝の選別で頭を悩ませていた彼女がこちらを向いた。
「クライスの杖ってどんなの?」
「…これだ」
このままではあと何時間かかるかわからない。正解を見せたほうが早いだろう、と腰に据えていた杖を抜き、彼女に見せた。魔法の杖という概念を理解させるしかない。
「わ、すごい綺麗!黄色い宝石?ついてる…見るからに強そう…」
「ただの木の枝よりはな」
「そりゃそうだ」
自分の杖を腰に戻し、腕を組んでルクスの木にもたれかかった。理想の杖の形を覚えたのか、先程よりは的確に枝を探しているイリスに、これは一体いつまで続くんだ…とこめかみを押さえた。
「そもそも、なぜ木の枝にこだわる?」
「別にこだわってないけど…私ぜんぜん魔法使えないし、木の枝で充分かなって」
視線を木の幹から枝の先に移しながら言った彼女の言葉に成程と色々な事が合致した。
「………はあ。そういうことか」
「え?どゆこと?」
「待ってろ」
枝を探し続ける彼女を置いて、一度自室に戻った。
ステラ寮の自室、普段滅多に開けることのない引き出しの鍵を開け、中に入っていた木箱を取り出した。チェストの上に置き、少し埃を被ったその木箱を開ける。中身を掴んで、庭園に戻りかけ、そして足を止め掴んだそれに視線を落とした。
「……俺にはもう、必要ない」
グッと握り締めたそれを持ってイリスが待つルクスの木へと戻ると、彼女は木に登り枝に足をかけ、勇ましく高みからこちらを見下ろしていた。
「随分といいご身分だな」
「高いところ好きなんだよね」
自分よりも身分の高い相手をなんの躊躇もなく見下ろす彼女を見ていると、当たり前だと思っていた常識がよくわからなくなってくる。これが他の貴族や王族達の目の前で繰り広げられたなら、宰相たちの顎が外れ顔色が真っ青になりそうだ。それもいいかもしれない、と頭の隅で思う。結論、もうなんでもいいと思うことにした。考えれば考えるだけ無駄な時間を過ごしそうだ。
「よいしょっと!」
掛け声とともに木から飛び降り、綺麗に着地を決めた彼女は怪我一つなく自分の髪についた葉を手で払った。こんな少女は、女性は、今まで自分の周りには一切存在しなかった。自分が生きてきた世界にいたのは、自らを着飾り矜持を持ち身分を掲げる女性達ばかりだ。イリスの態度は一般的に褒められたものではない。だが、彼女からは裏を感じない。だから嫌な気はしないのだろう。
手で握っていたそれを彼女に差し出す。
「杖?」
「ああ」
彼女はそれを受け取ると、興味深そうに眺めている。
「詠唱を」
そう促すと、彼女は杖を構え簡単な魔法を詠唱した。十にも満たない幼子でも出来るような魔法だがこの際それはいい。
「えーっと……火を灯せ、フレア!」
杖の先に小さな火の玉がぼふっと現れ、それはすぐに消えてしまった。それを見て彼女が驚いたように声を上げた。
「え、魔法使えた!?」
「この世界には、元々魔力をもって生まれた人間と魔力をもたない人間が存在する」
驚きを隠せないでいる彼女に腕を組みながら解説をする。幼少期に身近な大人から教わる内容だが、孤児院でそのような学習があったとは思えない。
「お前は後者だろう。であれば先程、ステラ寮に入る際に魔力を送った時に魔力の抵抗反応が起きなかったのも頷ける。元々魔力を持たないのであれば、魔力同士がぶつかることがない。イルーナ王国では基本全ての人間が多少なりとも魔力を持って生まれるが…」
「私もしかしてイルーナ王国の生まれじゃないのかも。覚えてないからわかんないけど…」
その可能性もあるだろうな、と肯定して説明を続けた。
「魔力を持たない人間が魔法を使うには、精霊の力を借りるか精霊の力が宿った魔法石を使うしかない。だから大抵の魔法の杖には魔法石が埋め込まれている。ただの木の枝では魔法は使えない。もちろん、元々魔力をもった人間ならただの木の枝を媒介として扱えるが、疲労を最小限にするためほとんどの人間は魔法石の埋め込まれている杖を使う」
「なるほど」
手元の杖にはめられた魔法石を見ながら彼女が感慨深そうに頷いた。
「わかったら木の枝は諦めろ」
「そっかー…」
明らかにしゅん、と落ち込んだ様子のイリスが杖をこちらに差し出した。
「これ返すね。ありがとう」
「……いい。幼少期に使っていたものだ」
「私には子供用で充分だと…」
「そうとは…言っていない」
実際そうかもしれないが、と渋い顔になってしまった。そんな俺を見て、イリスはふはっと破顔して笑った。
「冗談、大事に使うね。ありがとう、クライス」
何故だか、その笑顔が目に焼き付いたような気がした。一度瞼を閉じるが、瞼の裏にまで見える気がして誤魔化すように目を開け踵を返した。
「…行くぞ」
「うん」
彼女の灯した小さな光が、胸の中にじわりと広がっていくのを感じていた。