身分の差
今朝あったクライス一行との出来事を寮に帰ってリチェルに報告すると、彼女は渋い顔を隠さなかった。
「王族や貴族の人達と関わると、碌なことないよ」
「リチェルは嫌い?偉い人」
「……イリスちゃんは、街中で貴族と会ったことある?」
「ジェフおじさんは、一応身分的には貴族だけど…そういうことじゃないんだよね」
「うん」
リチェルの問いに過去を振り返る。私の知っている貴族はジェフおじさんくらいだ。孤児院という狭い世界で生きてきた自覚はある。近くにあるキースウェッジ村に住む村人達は教会を大切にしてくれていて、孤児達にも優しく接してくれていた。だからリチェルの嫌う『偉い人』に私は会ったことがないんだろう。
「あの人たちは、自分達の利益になることしか考えてない。民がどれだけ苦労して生活してるか、税を納めてるかなんて知ったことじゃないんだ」
リチェルは苦々しくそう言ったが、私は何も言えなかった。孤児院は貴族達からの寄付によって成り立っている。その寄付もおそらくジェフおじさんによるものだろうけれど、だからこそ貴族を一概に悪とは言えないが本音だった。
「イリスちゃん、ジェフおじさんが良い人だっただけで貴族に良い人なんていないよ」
「それは…」
分からないんじゃないかな、とは言えなかった。私よりもリチェルの方がずっと世の中を知っている。それに、この問題に関してはきっと彼女には強い思い入れがありそうで。無闇に肯定も否定もしていい話じゃないな、と曖昧に笑ってクセが強い教師の話に話題を変えた。
それから数日後、同じ騎士科のエドガーとは校舎内で何度も顔を合わせており、それなりに話すようになった。エドガーも貴族の生まれではあるそうだが、お高く止まっているわけでもなく話しやすいのでこちらから声をかけたりもしている。
リチェルの言っていたことも理解できる。けれど、全員が全員、私服を肥やす人達とはどうも思えなかった。と、言えばきっとアルバートあたりに世間知らずと言われそうだが。
ぐっと伸びをして今日1日の授業を振り返る。
「いや~今日も意味わからん授業のオンパレードだったな~」
実技はいい。でも座学においては半分以上理解できなかった。このままでは半年後のテストで地獄を味わうことになりそうな予感がしている。そもそも私は文字の読み書きが完璧ではない。幼い頃から本を読んで勉強してきた子たちと一緒にされては困るのだ。と、文句を言いたくなるが言えない。せっかく孤児院に寄贈された本を読んでこなかった私の自業自得だった。
図書室に寄って幼児でも読める簡単な本でも借りようかな、と廊下を歩いていると、少し先の方から不穏な声が聞こえる。近くに他の生徒たちの気配はない。
そっと身を隠しながら廊下を進み曲がり角から様子をうかがうと、壁に追いやられているリチェルの姿が見えた。そのリチェルを三人の特別科の生徒たちが囲んでいる。どう見たってただ事ではない。
「汚い靴で廊下を汚さないでくださる?」
「なんてみすぼらしいのかしら」
「下民は廊下の隅を歩け!」
次々に彼女を罵倒する言葉の理不尽さに腹が立つ。リチェルの靴は全く汚くなんてない。制服も綺麗でみすぼらしくもないし、特定の生徒が廊下の隅を常に歩かなければならない校則もない。
言い返せばいいのにとリチェルを見るが、俯いている彼女の表情はよく見えない。もしかすると言い返せない理由が何かあるのだろうか。兎にも角にも優しいルームメイトをこのまま見過ごすことは出来ない、と腰に手を伸ばした。
***
「イリスの奴、なにやってんだ?」
「……」
人気のない道を選んだのが良くなかったのか。いや、普段ならば正解だった。だが目の前には不可解な行動をしているあの女子がいる。
エドガーが不思議そうに声をかけようとした瞬間、彼女は腰元に手を近付けた。
「おいまさか剣を抜く気か?決闘形式以外での学院内での抜刀は校則違反だってさっき授業でやったばっかじゃんか…!」
あーもう!とイリス止めようとするエドガーをアルバートが手で制して止めた。
「アルバート?」
「いや、剣じゃありませんね」
「え?」
ぐ、と廊下の先に踏み出したイリスが右手を腰元に当てたまま、左手を軽く上げてなんともわざとらしい声色で高らかに口を開いた。
「あー、リチェルこんなとこにいたの?教室迎えに行くって言ったじゃん~」
「え…?」
彼女が動いたことで、その視線の先で何が起きていたのか瞬時に理解した。三人の生徒に囲まれているピンク髪の女子が驚いたように顔を上げている。
「貴族の平民弄りか」
「なくなりませんね、これも中々」
どうしたものやら、と言ってはいるが重く受け止めてはいないのだろう。アルバートはいつもの事だな、と冷めた目線を特別科のマントを纏う生徒たちへ向けた。
「な、なによアンタ」
「この女、噂の騎士科の…」
今年の優勝者の噂は全学年にも伝わっている。俺の護衛であるエドガーを倒した女子生徒、それがどれほどの事であるかを本人は全く自覚していないが。
「で、なんだっけ。下民は廊下の隅を歩かなきゃいけないんだっけ?」
「そうよ!これだから下民は無知で卑しくて嫌になるわ」
「あなたも孤児なんですってね。かわいそうに…」
かわいそう、という言葉に反応して顔を上げたのはイリスではなく、壁に追いやられているリチェルと呼ばれた女子生徒の方だった。言われた当の本人は感情の読めない顔で特別科の生徒たちを見据えていた。飄々とした印象が強く、感情が見えない表情が少し意外だった。
「ふーん…。リチェル、行って」
「でも…」
「ここは私に任せて。魔法は苦手だけど喧嘩なら負けないから」
「…ありがとう、気を付けてね」
彼女はコツコツとブーツの低いヒール音を響かせ、貴族の生徒達に構う事なく友人であろうリチェルと呼ぶ少女に腕を伸ばし引っ張り出す。あまりにも堂々と行われたそれに呆気にとられただその光景を見つめていた貴族の生徒達を置いてけぼりにして、彼女はリチェルを送り出し、その背を見送って腰から引き抜いたそれは、木の枝だった。
「……は?」
貴族の生徒から気の抜けた声が聞こえた。一連の様子を伺っていたエドガーも同様だった。アルバートは予想がついていたのか表情は変わらなかったが、面白いものを見るように含みのある笑みを浮かべていた。
「ふん、どうしたの?怖気づいた?」
自信満々に木の枝を構えるイリスに貴族の生徒達がぽかんとした間抜けな顔を晒した。
「…いや、え?それ何よ」
「魔法の杖でしょ、どう見たって」
「どう見たってただの木の枝じゃない!」
「教会の裏で拾った」
「馬鹿にしてるのか!?」
憤慨した貴族の一人が杖を出し構えた瞬間、イリスが木の枝を使い杖を手から弾き飛ばした。その俊敏さには目を見張るものがある。彼らの目には軌道さえ見えていなかったのかもしれない。
「きゃっ」
「ほら、結構使えるよこれ」
「っ馬鹿にするなよこの下民風情が!」
「遅い」
杖を振ろうとした貴族の男子生徒の間合いに入り木の枝で受け止めるが、頼りないイリスの木の枝は簡単にぽきっと折れてしまった。
「あーーー!」
「っ!?」
「折れた!?どうしよう明日魔法の授業あるのに!」
やってしまったと言わんばかりに悲鳴をあげる彼女にエドガーが口元を引き攣らせて呟いた。
「…本気であの枝を使ってんのかよ。あり得ねぇ」
それに関しては同感だ。
チャンス、とばかりに貴族男子がにやりと笑い再び杖を振り上げた瞬間、イリスが右足を大きく蹴り上げた。ハイキックで杖を吹き飛ばし、そのまま体勢を整え今度は左足で相手の足を払ってよろけさせたところで腕を掴み捻りあげ、あっけなく床に倒した。
「く、離せ!」
「人の嫌がることはしちゃいけませーん!ママに教わらなかったかな~?」
「う、うるさい!無礼だぞ!」
「え?もっと痛くしてほしいって?」
「いだだだだ!ごめんなさい!もうしません!!」
イリスは男子の手をパッと話すと、パンパンと手をはたいて逃げるように走り去っていく貴族達を見送った。
「まったくもう。ってか、あーーーどうしよ。明日の枝探しに行かないと…」
ぼやく彼女にエドガーが一歩前に出て声をかけた。今度はアルバートは止めなかった。あの場で声をかけ俺達が登場すれば余計に面倒事が大きくなっていただろう。アルバートの判断は間違っていない。
「流石、騎士科のエース!いい身のこなしだな~」
「エドガー!いいところに!学院内でいい枝落ちてるとこないかな?」
先程の貴族達の事など一切気にしていないのか、自分の魔法の杖らしきただの細い木の枝のことが気になって仕方ない様子のイリスに、エドガーが呆れたように言った。
「枝以外の選択肢はないのかよ」
「だって魔法の杖って木なんでしょ?」
その一言にエドガーと共に思わず無言になる。魔法を何だと思っているんだ此奴は。恐らくエドガーの頭の中にも同じような言葉が浮かんでいるのだろう。アルバートがなんとも軽い調子で彼女に頷いた。
「概念としては間違っていませんね」
「ほら、アルバートもそう言ってる」
「アルバートは概念と言ったんだ」
「要は大体あってるってことでしょ?」
思わず口を挟んだが、話が通じないことがすぐに分かってそれ以上何か言うのは辞めておいた。頭を掻きながらエドガーが考えるように口を開いた。
「枝って言われてもなぁ…ステラ寮にある庭園なら魔力と相性がいい木はあるかもしれないけど…ステラ寮は基本的に一般生徒は立ち入り禁止だから、許可ないと入れねぇし」
「許可って誰にもらえばいいの?」
「王族の方です。しかしたとえ許可があろうと立入登録がされていない生徒は必ず王族の方と一緒でなければ立ち入ることは許されません」
イリスは顎に手を当てうーんと唸ると、ゆっくりとこちらを見た。面倒な予感がする。
「じゃあクライス、一緒に枝探してください」
面倒だ、巻き込むな。口には出さなかったが、視線には出したつもりだ。しかし彼女は負けじとただじっとこちらを見つめてくる。
「………」
「………」
無言で見つめ合う、否、睨み合う事数秒。先に折れたのはこちらだった。
「………探すのは自分でやれ」
「ありがと~!」
断らないんですね、そう呟いたアルバートの声は聞こえなかったことにした。ただの気まぐれだ。特に意味はない。決して。