束の間の一息
ミーナは静かにイリスの横を通り過ぎ、何事もなかったかのように階段を登るとそのままホールを出て行った。しばらく静まり返っていた生徒達だったが、会場内の音響が再び鳴り始めると少しずつざわめきが戻っていった。
「もう、いいでしょ!」
「悪い悪い、クライス様の指示なんだよ」
リチェルが口元の手を引き剥がし振り返ると、後ろにいたエドガーがバツの悪そうな顔で謝った。
「クライス様の指示…、どういうこと?」
「詳しくは俺もよくわかんねーけど、イリスを止めるなってさ」
「イリスを止めるなって、それ…」
リチェルが眉間に皺を寄せると、イリスが軽快にリチェルの元へと戻ってきた。未だ生徒達から少なからず視線を集めるイリスの腕を引き、リチェル達は壁際に寄った。
「ただいま〜」
「ただいまじゃない!また問題起こして!」
「えー、私のせいじゃないのにー」
ぶー、と口を尖らせ文句を言うイリスに、エドガーは腕を組むと不思議そうに尋ねた。
「なぁ、ミーナ様に挨拶されんの、わかってたのか?」
「クライスがあの子から何かしら絡まれる可能性があるって言ってたから、おお…本当にきた、みたいな」
イリスがそう告げると、エドガーはぱちぱちと瞬きをしたあと、さらに首を傾げた。
「……なんでだ?」
「さあ?」
同じように首を傾げるイリスとエドガーの間抜けな様子に大きくため息を吐いたリチェルの横にカイルが並んだ。
「それにしても、随分と可愛いご令嬢だったな」
「ふーん?もしかしてカイル、ああいう子がタイプなの?」
「違うって!俺は…」
リチェルの問いをカイルは慌てて否定すると、言葉を止めて視線を上げ、エドガーと首を傾げ合っているイリスを見て口元を緩めた。
「ご令嬢は好みじゃないんだっての」
「ふーーーーん?」
「やめろやめろ、こっち見るな!」
リチェルが意味深な視線を向けると、カイルは僅かに赤く染まっている頬を隠すように手でしっしっと払った。
ようやく落ち着きかけたホールが再びざわめきを取り戻し、生徒達の視線がまたもや中央階段の上に集まった。
「クライス様だわ!」
「ああ、なんて麗しいのかしら…」
「眩しくて目が…良くなりそう!!」
「ちょっと、邪魔よどいて!クライス様が見えないじゃない!」
女子生徒達の黄色い声が次々と上がる中、アルバートを斜め後ろに連れたクライスは何も発することなくただ静かに悠然と階段を降りてくる。
「なんだよ、挨拶とかしねーのか?」
カイルがつまらなそうにぼやくと、クライスの鋭い視線がスッとカイル達一向へと向けられた。
「地獄耳かよ」
「地獄耳だよ」
「やめてくれよイリス、また王子様に睨まれた」
「カイルが先に言った」
クライスに視線を向けたままカイルとイリスがぶつぶつと言い合っていると、クライスはそのまま二人を睨みつけながら壁際までゆっくりと歩いてきた。長い足で、普段よりもたっぷりと時間をかけて。
カイルとイリスの目の前で、クライスの磨かれた綺麗な革靴が止まる。
「言いたいことがあるなら、聞いてやる」
「「ないです」」
クライスの冷めた視線を正面から浴びたイリスとカイルは声を揃えて首を横に振ったのだった。その後すぐ、エイミーが横から駆け足で近寄ってきた。
「イリスさん!大丈夫でした、か…ク、クライス様!?お久しぶりです!お話中に失礼いたしましたっ!!」
エイミーは二人の前に立つクライスに気付くと慌てて壁にピッタリと背中をつけぺこぺこと頭を下げた。エイミーがクライスに近寄るのは、イリスのテスト勉強会以来だった。その様子を見ながらリチェルが小さくぼやく。
「そう、これだよこれ……この反応が普通なんだよね…」
「リチェルとエイミーってすぐ壁に寄るよね」
「だからそれが普通なの!」
イリスの返事にリチェルはツッコミを入れ、エイミーは苦笑いで返した。そんなエイミーに視線だけ向け、クライスは平坦な声でいつもと変わらない調子で告げた。
「学園行事の最中だ、普段ほど気にしなくていい」
「お、お気遣いありがとうございます」
恐れ多い、と両手を小さく前に出して振りながらエイミーは会釈を何度も繰り返した。そんなエイミーから視線を目の前のイリスに向けると、クライスは表情を変えることなく告げた。
「イリス、話がある。エドガー、応接室にアルバートを連れてこい」
「はーい」
「了解しました!って…アルバートはどこだ?」
ホールの中を探すようにきょろきょろと顔を動かすエドガーが見つけるよりも先に、イリスが一点を見つめて指を指した。
「アルバートあそこにいるよ」
「え、すげ。よく一瞬でわかったな?」
「普通に見え……えっと、たまたまチラッと見たら視線の先にいたからさ」
そっか、サンキュー!と礼を伝えながらエドガーはアルバートの方へと駆け出していった。
(普通に見えるって言い方も…なんか危ない気がする)
ちらり、とイリスがクライスを見上げれば、イリスの不自然な言葉の区切りと一瞬の間で内心が伝わったのかクライスは僅かに頷いて、イリスはほっと胸を撫で下ろした。
どんな言葉が危ういのかわからないというのは、こんなにも神経を使うのか…とイリスは言葉にせず大袈裟にため息を吐いたのだった。




