ミモザケーキと記憶
しばらく歩いていると、香ばしく甘い香りが漂ってきた。
イリスが辺りを見回すと、路面店の可愛らしい店が目に入った。道に立てられた看板には黄色いケーキの絵が描かれていて、その上にミモザケーキと書かれていた。
「ケーキ…」
「どうした」
足を止めたイリスに気付きクライスが振り向くと、イリスの視線の先にある看板とケーキ屋を見て今度は甘いものか、と店に向かって歩き出そうとしたが、繋がれた手は動き出さずクライスの体がつんのめった。少し驚いたクライスが振り返れば、イリスは未だケーキ屋を見つめている。その表情はどことなく暗い。
「ケーキが食べたいんじゃないのか」
クライスがそう尋ねると、イリスは小さく首を横に振った。
「ううん……ケーキには、あんまり良い思い出がないから」
ケーキと言えば幸せの象徴のようなものだろうに、と国民達の一般的な感性を思い出したクライスはイリスの言葉に違和感を覚えた。
「良い思い出が、ない?」
「昔、収穫祭の日に孤児院にケーキが届いたの。匿名でね。みんな喜んで、分けて食べたよ。そうしたら……ケーキを食べた子達はみんな体調を崩して倒れて、そのうち2人の子が亡くなった」
「まさか……」
イリスは目を伏せ、静かに息を吐いた。その時の様子を思い出しているのか、表情は暗いままだ。
「孤児を減らしたかったのかもね。…ケーキを見ると、あの時のことたまに思い出すんだ。みんなが食べるの、止めてればよかったって」
「お前は食べなかったのか」
「うん。なんか、変な匂いがしたから。酸っぱいような、苦いような…とにかく美味しそうじゃない匂いがして、食べる気になれなくて。みんなはそんな匂いしないって食べちゃったから…」
嗅覚なのか第六感なのか分からないが、不快感を覚えたのは確かだった。それをもっとみんなに伝えて、食べないように説得すればよかったとずっと後悔していた。あの時、ちゃんと主張していれば…そんな後悔がケーキからイリスを遠ざけていたのだった。
「………そうか」
「ごめん、気にしないで!あ、向こうにアイスクリーム屋さんが…」
「行くぞ」
「はい?」
有無を言わさず歩き出したクライスに引っ張られ、あっという間にケーキ屋の前にたどり着く。良い匂いだ、とイリスは素直に思った。
「え、ちょっと待って!いい、ケーキはいいから!」
「俺が食べたい」
「………は?え、ケーキを?」
「ああ」
無表情で頷くクライスはどう見たってケーキが食べたくてたまらないようには見えない。イリスは困惑した表情を浮かべたまま、クライスが食べたいなら…と手を引かれるまま結局ケーキ屋の中へと入っていった。
ショーケースに並べられた色とりどりのケーキ達は、まるで私が1番美味しいのよ、と輝き自信満々のように見える。思わず見入っていると、迷っていると勘違いしたのか店員がにこやかに声をかけてきた。
「こんにちは、おすすめはミモザケーキですよ。ポートジェネロの伝統的なケーキで、レモンを使ってミモザを表現しているんです。甘さの中にすっきりとした爽やかさがあって、タルト生地との相性が抜群なんです」
是非食べてみてくださいね、と言われれば断ることもできずイリスは曖昧に笑って頷いた。おすすめされたミモザケーキは、看板のイラスト通り黄色いレモンが上に花を咲かせているタルトのケーキだった。
「そのミモザケーキを一つ。それとブラックティーを2人分」
「かしこまりました!お席でお待ちください」
さらりと注文を終えたクライスに引きずられるようにテーブルに着くと、あっという間にミモザケーキと紅茶が運ばれてきた。ごゆっくり、と告げた店員が席を離れていく。ケーキを注文した張本人のクライスはケーキではなく真っ先にティーカップに手を伸ばした。
綺麗な所作で紅茶を飲むクライスを正面で見つめ、視線をそのままテーブルに落とせば、1ピースにカットされたミモザケーキが可愛い皿に生クリームのトッピングと共に盛られていた。爽やかで甘い、香ばしい香りが鼻腔を通り抜ける。
美味しそうだと思う。けれど、昔の記憶がどうしてもケーキに手を伸ばすことを躊躇させる。そんなイリスの葛藤を知ってか知らずか、クライスはティーカップを置くと話を始めた。
「ミモザは、ポートジェネロの代表的な花だ」
「ミモザって花のことだったんだ。あ、もしかして店内の黄色い花がそれ?」
「ああ」
店内の至る所に飾られた、房状に咲いた黄色い花。言われてみれば確かにこれまで歩いてきた道にも黄色い花がたくさん咲いていた。町のシンボルとして大切にされているのだろう。
「可愛い花だね。色も可愛くて気に入った!」
「そうか」
素直に感想を告げれば、クライスは頷くとフォークを手に取りケーキを一口分に取り分けた。本当に食べたかったんだ、と思ったのも束の間、ケーキが刺さったフォークがスッと顔の前に差し出された。
「ほら」
「…………へ」
クライスとケーキを二度見するも、クライスの表情はいつもの澄まし顔で感情が読み辛い。なかなか動かないイリスに追い打ちをかけるようにさらにぐいっとフォークが差し出される。
「早くしろ」
急かすようなその一言とクライスの行動に困惑したまま、迷いが生じる前に思い切って口を開ければ容赦なく口の中にケーキが放り込まれた。ぱく、と口を閉じるとスッとフォークが抜き出され、口の中に残ったケーキを咀嚼する。レモンとはちみつの甘酸っぱい風味とチーズの香りが豊かなムース、そして香ばしいタルト生地の相性が抜群で思わず頬が緩む。
「お、おいし…!!」
信じられないほど美味しい。こんなに美味しいお菓子があるなんて、と目をキラキラ輝かせクライスの前に置かれたケーキを見つめるイリスに、クライスは小さく微笑んだ。そして、当たり前のように皿をイリスの方へ寄せると、何も言わず再びティーカップに口をつけた。
「いいの…?」
「いらないなら食べるが」
イリスの返答など分かり切っているとでもいうように、クライスは口の端を上げ目を閉じた。イリスはというと、しばらくケーキを無言で見下ろしたあと決心したように顔を上げた。
「……じゃあ、半分こしよ!」
「半分、こ」
口の中で転がすように繰り返したクライスに、イリスは大きく頷いた。
「美味しいものは分け合ったほうが、もっと美味しくなるって、マザーが言ってたから!」
本当にそう思っているのだろう。淀みない笑顔でそう言ったイリスにクライスは記憶の奥底に眠る温かな記憶を思い出していた。
『クライス、これ半分こしよう。すっごく美味しいんだ』
『兄上、それはお行儀悪いんじゃ…』
『大丈夫だよ。二人だけの秘密にしよう、ね?』
『うん!』
幼い頃の温かな記憶。今まで忘れかけていた明かりが胸の奥をそっと照らし、クライスは自然と柔らかな笑みを浮かべていた。
「…そうだな。半分こ、するか」
「うん!」
嬉しそうに笑う彼女は、まるでかつての兄のような、太陽のようだと眩しく感じたのだった。




