ポートジェネロ
服屋を出てしばらく海沿いを歩きながら、先ほどの店主についてイリスは尋ねた。
「あの人は、色々事情を知ってる感じ?だよね、多分」
そう聞いたのは、ただの服屋の店主にしては第二王子であるクライスへの接し方に慣れすぎているように感じたからだ。
「ああ。表の顔は服の仕立て屋だが、本当の仕事は偵察だ。国内外の情報を彼女から仕入れている」
「……え!?あの人が!?」
見えない、と驚くイリスにクライスは小さく笑った。
「それでこそ偵察者に相応しいだろう」
「すごい人なんだ、あの人…」
「アルバートの親族だ」
「そうなの!?」
二重で驚いたイリスが感心の声を漏らしていると、ふわりと潮風が美味しそうな香りを乗せて鼻腔をくすぐった。
「このスパイスの香り…絶対美味しいやつ!」
「市場の方だな」
「行こう!!」
目をキラキラと輝かせるイリスは匂いの元へ向かってクライスを軽く引っ張りながら歩き始めた。まったく、と言いつつもクライスは抵抗することなくイリスの手に引かれるままついていき、二人はあっという間に美味しそうな匂いが漂う市場の中心地へとたどり着いた。
「ポートジェネロ名物、ロブスターの香草焼きはいかが?」
屋台の主人が自信満々に宣伝の声を上げる。香りに釣られるように屋台に近づくと、イリスはそのスパイシーな香りを胸いっぱいに吸い込み瞳を輝かせた。
「絶対美味しい、もうわかる!」
「はは、嬢ちゃん分かってるじゃないか!」
「ひとつ貰えるか」
「あいよ!」
クライスが当たり前のように買うの見ながらハッとしたイリスは慌てて自分のほぼ空っぽの財布を取り出そうとポシェットに繋いでいない方の手を突っ込んだ。
(お金…服は甘えるとしても、これくらいは…!)
「え、と…」
いくらですか、とイリスが店主に聞こうとした時には、既によく焼かれ良い香りを漂わせるロブスターが店主から差し出されていた。
「ほら、お嬢ちゃん。どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
ポシェットから手を出し、一旦使い捨て皿に乗ったロブスターを受け取ると近くにあったベンチに移動し腰掛けた。お皿を一度ベンチに置き、あらためてポシェットに手を突っ込みながらイリスは財布にしている小さなポーチを探る。
「クライス、お金…!」
「…………」
「ロブスター、いくらだった?そんなに持ってないけど、一応お小遣いは…」
「いい」
お小遣いは持ってきたから、という言葉はクライスの短い言葉で遮られ続きを失ってしまった。ゆっくりと顔をクライスに向ければ、彼の表情は静かに凪いでいた。憐れみも同情もない、ただいつものように涼やかな顔で彼は言った。
「デートだと言った筈だ。気にしなくていい」
「でも……」
「いいから、冷める前に食べたらどうだ」
これ以上言い募っても無駄だと分かり、ありがとうとお礼を伝えて改めてお皿を持ち上げた。美味しそうな香りが早くと急かしてくるようで、殻を指でつまんで身をぱくりと口に含んだ。その瞬間、口の中に広がる香草の香りとぷりぷりのロブスターの身が弾け、思わず蕩けそうな頬を手で押さえた。
「お、おいひ〜〜〜!!」
なんだこの最高の食べ物は、と感動しながら咀嚼を続けていると、隣で小さく笑う声が聞こえてきた。勿論、笑い声の主は一人しかいない。ごくん、と飲み込んで隣を見れば、どこか楽し気な視線がイリスを見つめていた。
「クライスも食べなよ」
「いや、俺はいい」
「なんで?」
皿を差し出しながら尋ねれば、クライスは小さく首を横に振った。
「香草が得意じゃない。…食べれないことはないが、好んで食べたくはない」
「クライス、好き嫌いあるんだ」
「意外か?」
「うん、意外。好きな物も嫌いな物も無さそう」
思ったことを正直に言えば、そうか、と彼はただ小さく微笑んだ。
「あ、じゃあ好きなものは?」
「強いて言うなら……肉だな」
「肉!?そんな魚派ですって顔しといて!?」
「偏見が過ぎる」
驚きの声をあげたイリスに、クライスは呆れたようにため息を吐いて肩を竦めた。確かに偏見だが、肉より魚を好んで食べていそうなイメージだったからだ。イリスは心の中で新たに知ったクライスの一面に驚きつつ、温かい気持ちにもなった。
結局、お皿の上のロブスターを一人で堪能しているイリスに、クライスが何気なく尋ねた。
「お前は?」
「ん?」
「好きな食べ物や嫌いな………、」
そこまで言いかけて、クライスの口が止まった。イリスは口の中にあったロブスターを味わってから飲み込むと、好きな物と嫌いな物はなんだろうかと考えた。しかし、パッと思い浮かぶものがない。
教会ではほぼ決まった料理の繰り返しで、学院内の学食でも無料で食べられるものには限りがある。お金のある生徒は一般生徒でも多少なりトッピングしたり別メニューを頼むことも多く、特別科の生徒ならば尚更、専用ラウンジでは毎日シェフによる日替わりコースが用意されている。孤児であるイリスが食べた事のある料理などたかが知れていて、量もない。嫌いなどと言って食事を選べる立場ではないということに、クライスも尋ねている途中で気付いたのだろう。
気まずそうに視線をずらしたクライスに、イリスは気にしなくて良いと伝える代わりに、最近気付いたことを伝える事にした。
「私、あんまりチョコレート好きじゃないかも。この前、カイルがチョコレートケーキくれたんだけど…くしゃみ止まらなくなって」
「それは、好みじゃなくて体質に合わない可能性の方が高い。あまり食べない方がいい」
「そっか、そういうのもあるんだ…気をつけよ」
イリスは成程、と頷きながら最後のロブスターを口に運んだ。
「これからは特別棟のラウンジで昼食を取ることになる」
「…あ!そっか、護衛ってことは授業中以外は近くにいなきゃいけないのか…」
途端に難しい顔を浮かべたイリスに、クライスは複雑な心境になった。元々、ジェフが提案した時もイリス自身護衛の任に就くことに好意的ではなかった。第二王妃やミーナの事情があり本人が納得した事とはいえ、彼女の自由を奪うことに違いない。
「……すまない」
「え?いや、護衛のことは理解してるから大丈夫!じゃなくて…」
「何が引っ掛かる?」
率直に聞けば、イリスは素直に答えた。
「今まで、毎日リチェルと食べてたから。リチェル、1人にしたくないなって思って…」
彼女の口から出たルームメイトの存在に、そうか…と息を溢す。とはいえ、特別棟に招けばより反感を買うことになるだろう。イリスとリチェルは既に特別科の生徒達に散々目をつけられている。火に油を注ぐことになりかねない。クライスの思考も理解しているのか、イリスは難しい顔でうーん、と唸りながらしばらく考えると、ひらめいたのか「あ!」と明るい声を出した。
「カイルにお願いしようかな!」
「………」
「うん、カイルがいてくれたら安心かも!たまにはエイミーも一緒に食べてくれるだろうし!」
「…………」
先程から何回も出てくる男子生徒の名前に胸の奥で焦げたような黒いもやが湧き上がり、クライスは無意識に唇を引き結んだ。ロブスターを食べ終え満足したイリスは、ようやく黙り込んだクライスに気付いた。
「どしたの?」
「別に、何でもない」
明らかに機嫌が急降下している様子に、流石になんでもなくはないだろうとイリスも首を傾げるが、結局その理由が分かる前にクライスが立ち上がり歩き出したので、イリスも慌てて追いかけ隣に並ぶと、彼は何も言わず再び手を繋ぎ直した。
きっと聞いても答えてはくれないだろう。それなら、これ以上機嫌を損ねるより機嫌をなおしてもらう方に注力すべきかもしれない、とイリスはそれ以上何も言わず繋がった手を握り返し市場に視線を向け、港町の賑やかさの中に楽しいことは落ちていないだろうかと視線を張り巡らせながら歩いていった。




