秘密のデート
──時は朝に遡り、イリスはステラ寮の門の前に立っていた。
「………デー、ト…」
大きな門を見上げ、呟く。そして今度は着古した自分の私服を見下ろし、ため息を吐いた。
「…物語で読んだデートだと、ヒロインはみんなおしゃれをしてたけど」
もちろん、孤児であるイリスにおしゃれな新品の服などない。今日の服も村で寄付された中古のワンピースだ。せめてもの気持ちで髪を下ろしてきたけれど、あまり意味がない気がして二度目のため息を吐いたのだった。
ここでぐだぐだ考えても仕方ない、と門に手を翳すと体の中にあるクライスの魔力と門が共鳴した。そのまま門を押せば、問題なくゆっくりと開いていく。門を通り、寮の扉の前に着けばクライスの執事が恭しく頭を下げ扉を開いた。クライスから来ることを聞いていたのだろう。
「おはようございます!ありがとうございます!」
挨拶と扉を開けてくれたことへのお礼を言い勢いよく頭を下げれば、執事は一瞬呆気にとられたように目をぱちぱちと瞬かせ、すぐに柔らかな笑みを浮かべた。
「おはようございます。クライス様が自室でお待ちでございます」
「わかりました!あ、いつも扉を開けてくださってありがとうございます!」
ステラ寮に来るたび、何度か顔を見ていたがいつも軽く会釈をして終わっていたのでいつか挨拶をしたいと思っていたイリスはここぞとばかりに声をかけた。
「それと、たまにお茶も出してくださって…あれ、とっても美味しいです!」
「ほほ、左様でございますか。安心いたしました。またご用意させていただきます」
「はい!楽しみにしてます!あ、お名前は…?」
「わたくしはエンドリオと申します」
「エンドリオさん、ですね!私はイリスです!って、流石に聞いてるか」
「ほほほ、もちろんですとも。イリス様、さあどうぞ」
「あ、すみません!ありがとうございます!」
つい話し込んでしまった、と笑顔のエンドリオに会釈をして改めて寮の中へと足を踏み入れる。
流石に慣れてきた、とステラ寮の中を歩き目的地の部屋の前に辿り着く。コンコン、とノックすると中から「入れ」と返事が聞こえた。
「お邪魔しまーす。おはよ、クライス」
「ああ、おはよう。イリス」
既に魔法で黒髪になった私服のクライスがソファに腰掛け、優雅にコーヒーを飲みながら目を通していた書類から目を離し、こちらを見て書類を机に置いた。
「今日は王都から少し離れた港町へ行く」
「うん。それはいいんだけど…」
コーヒーを飲み終えたクライスはさて、と立ち上がり、大きな姿見の前に移動した。
「行くぞ。今夜は後夜祭がある。それまでに戻らなくてはいけないからな」
「うん、それもいいんだけど…」
早くしろ、と言わんばかりにこちらに手を差し出すクライスの元におずおずと近づくと、手を引かれ引き寄せられた。腰に回された腕に心拍数が上がる。前はなんともなかったのに、とイリスの心の中は暴れ回っている。そんなイリスの心の中など知る由もないクライスは、イリスのつむじを見下ろし揶揄うように言った。
「鏡の中に取り残されないよう気をつけろよ」
「!!」
そうだった、と前回同様クライスの腰に抱きつく。これは身の安全のためだから、決して下心じゃないから、無意味な弁解を頭の中で繰り返して心臓の高鳴りを落ち着けていると、クライスが足を踏み出した。その瞬間身体がふわりと浮き、そのまま鏡の中へと吸い込まれるように飛び込んだのだった。
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イリスとクライスは、王都の中心地から少し離れた港町、ポートジェネロのとある空き家の鏡に到着した。この空き家はアルバートが個人で持っている家らしく、お忍びで国を周る時に使用しているらしい。
空き家を出てポートジェネロの町を歩き、波の音が聞こえる海沿いへ出た。
「うっわぁぁああ〜!!空!海!潮風!」
「空はいつもあるだろう」
「空と海が繋がってる!」
「繋がってはいないが…」
太陽の光が反射し、海がキラキラと光を放つ。目の前に広がる水平線は果てしなく、まるで空と海が混じるような水色に塗りつぶされた視界にイリスは目を輝かせていた。クライスの冷静なツッコミなど感動に浸っている今は無視だ。
「ん〜!!気持ちいい風!」
穏やかな海風がイリスの髪を靡かせ自由に遊んでいるようだった。
「まずは買い物にでも行くか」
「何か必要なものがあるの?」
「ああ」
軽く頷いたクライスが歩き出し、イリスもそれに続いた。
クライスの案内で着いた場所は、海沿いの白と青の石畳の歩道沿いにある一軒の白い二階建ての店だった。木製のドアを開けると、ドアの上についていたチリンと鈴が鳴り客の来店を知らせた。
「あら、いらっしゃいませ」
出迎えてくれたのは、40代半ばの細身のクリーム色のショートヘアの婦人だった。
「お久しぶりでございますわ、クライス様」
「ああ」
店主であろう婦人は、町の青年のような一般的な服装で黒髪になっているにもかかわらず間違いなくクライスの名を呼んだ。もしかして関係者だろうか、と素直に疑問を顔に出すイリスに、店主はにっこりと微笑んだ。
「ウチの店は王室御用達ってヤツなの。普段の公的なお召し物はアタシがお城に出向くんだけど、お忍びの時はこうやってこっそり店にいらしてくれるのよ」
なるほど、と頷きながらイリスはクライスの袖口をつまみ軽く引っ張った。
「あ、じゃあこの服もここで?」
「ええ、もちろんよ」
おお、と感動を示すイリスに店主はにっこりと微笑むと、クライスに向き直った。きっとこの店主は数少ないクライスの味方なのだろう。
「それで、この子の服を見繕えば良いのよね?」
「私!?」
思わずクライスを見上げるイリスを無視してクライスは続けた。
「決まったら着ていく。合わせてやってくれ」
「かしこまりましたわ。さあお嬢さん、こちらへどうぞ」
ニコニコと笑みを浮かべる店主に誘われるまま、とりあえず店の中をついて回る。服を買ってくれるらしいクライスの意図が分からず困惑したままハンガーにかかっている服を眺めていると、店主が何着か服を手に取りイリスの体に合わせては戻しを繰り返した。
「クライス、服ならこれがあるし、まだ着れるから…」
買わなくても、とイリスが続けようとすると、答えたのはクライスではなく店主のほうだった。
「ダメよ、せっかくのデートでしょ!?おめかししなくちゃ!」
「ということだ」
「なんでそれを…はっ、まさかグル!?」
「他の言い方はないのか」
呆れたように首を横に振るクライスに、ごめんって…と謝りながらイリスは次々と当てられる真新しい服に物怖じしてしまうのが隠せなかった。孤児として生活してきた記憶の中で新品を買ったり貰ったりすることなんてほとんどない。新品だったのはおそらく支給された学院の制服くらいだ。
それがまさか、新品の洋服を買ってもらう日が来るなんて。嬉しいことに間違いはないが、イリスの顔にはやはり戸惑いが浮かぶ。そんなイリスの表情に気付いたクライスは、徐に店内を歩きはじめ、そして1着のワンピースを手にイリスと店主の元へ戻ってきた。
「これを」
「え」
「あら、素敵だわ!これ、試着してみなさいな」
まさかクライスが自ら選んでくれるとは。驚くイリスの背をグイグイ押す店主の勢いに負けて、イリスはあれよあれよという間に試着室の中へと押し込まれたのだった。
こうなっては着替えるほかないか、と一緒に押し込まれたワンピースを手に取り、いそいそと着替えはじめる。すると、試着室の外から店主とクライスの話し声が僅かに聞こえてきた。
「素直で可愛らしい子だわ。容姿もとっても可憐で綺麗な子で……数年後には美しさに息を呑むことになりそうですわね」
「……どうだろうな」
(どうだろうなって何さ…!!)
そこはお世話でも同意してくれたっていいのに、と唇を突き出しながらワンピースに着替える。オフショルダーかと思ったが、細い肩紐がしっかりワンピースを支えてくれている。腰周りに繋がった白い帯リボンをきゅっと後ろで結びウエストを引き締め、ワンピースの裾は膝下で緩やかに広がり脚を細く見せる。まるでご令嬢がバカンスで着るような可憐なワンピースだ。
「ふふ、お似合いのお二人ですわよ」
店主は和やかにそう言ってくれていた。お世辞だとしても、正直嬉しい。途端に上機嫌になり白いワンピースをそそくさと整えていく。よし、と鏡を見て着替え終わったことを確認して試着室を出ようとした瞬間、彼の反応に体が固まった。
「そうか」
短い一言。しかしその声色がいつもより少しだけ高く上擦ったように聞こえたのだ。声から僅かに滲む彼の機嫌の良さはきっと勘違いじゃない。
「まさか、クライス様がデート相手の服をお求めになるなんて。早朝、連絡をいただいた時はびっくりしすぎて朝食のパンを落としてしまったのよ」
ふふ、と全く残念がらずにそう言った店主に対して、クライスが咳払いをしたのが聞こえた。気まずさが伝わってくる。そして図らずしも盗み聞きみたいになってしまっているイリスも正直気まずくてたまらなかったが、出ていくタイミングを完全に無くしてしまったと項垂れた。
「お嬢さん、いかが?」
「あ、今出ます!」
気を遣ってくれたのか、店主が声をかけてくれたおかげでようやく試着室の扉を開けた。扉の外にはいつの間にか用意されていた白いサンダル。黄色い花があしらわれた低いミュールは可憐で、まるでワンピースとセットのようだった。サンダルを履き、そっと店内にいる2人の前へ歩いていく。
「…どう、かな」
2人の前で立ち止まりおずおずと尋ねれば、クライスの視線が足元から徐々に上がっていき、そして確かに目が合うも、彼は何も言わなかった。
「とっても似合ってるわ!素敵よ!」
「あ、ありがとうございます」
店主が手を合わせて興奮したように褒めてくれる。しかしクライスは黙ったままで、イリスはそれが引っかかって落ち着かない。店主の褒め言葉にも曖昧に喜ぶしかなかった。
(割とイケてると思ったんだけど…もしかして思ってたのとは違った、とか…?)
クライスの反応が気になって視線をウロウロさせていると、店主のあらあら、という愉快そうな声が聞こえた。
「ほら、見惚れちゃうのはわかりますけれど、何か言ってあげないと似合ってないと思ってるって勘違いされますわよ?」
そんな店主の一言に思わず顔をあげれば、そこには頬どころか耳まで赤く染めたクライスがまだ呆然とこちらを見ていた。そんなクライスなど今まで一度も見たことがない。次はイリスが呆然とする番だった。
「ち、違う。そうじゃない……その、似合ってる」
店主の言葉に焦ったように視線を逸らしてそう言ったクライスを信じられない気持ちで見つめるイリスの心臓はありえないほど大きく脈をうち、暴れ出しそうだった。
「…あ、りがと」
無駄にワンピースの裾を手で小さくはらいながら言えば、クライスは軽く咳払いをするとそっと手を差し出した。
「……デート、だからな。手を」
「本当に、デートなの?」
そこで、朝からずっと聴きたかったことをようやく口にしたイリスにクライスは迷いなく頷いた。
「ああ。お前の知らないことや、知っていることを知るための………いや、違うな」
ミーナやクライスの母親である第二王女への対策としての、そんな意味を込めた言葉を紡ぎながら、しかしクライスは途中で首を横に振り口元に笑みを浮かべた。
「ただ、俺が……お前をもっと知りたいだけかもしれない」
氷のような冷たさを纏う孤高の第二王子。彼を表すそんな言葉が何一つ当てはまらないほど、目元を緩め柔らかに微笑むクライスに、今度はイリスの耳が熱をもった。
「…駄目か?」
手を差し出したまま伺うように聞くクライスに、イリスは沸騰しそうな頭をなんとか落ち着けてそっと手を伸ばし、重ねた。
「だめ、じゃない。けど…」
「けど?」
ようやく重なった手をぎゅ、と握りしめたクライスの手をじっと見つめてから、イリスは視線を上げクライスのアメジストの瞳を見つめた。真っ直ぐに。
「クライスのことも、いっぱい、教えて」
「!」
クライスは一瞬目を見開いたあと、愛おしそうに目を細め頷いた。そんな二人を見ていた店主は、クライスの表情に驚きつつ、どこか安心したようにその様子を見守っていたのだった。




