作戦会議
イリスが先にソファに座ると、クライスは机から数枚の書類を手に取り、隣へ腰掛けた。
「まずはミーナについて説明しておく」
「うん。クライスの婚約者」
「……」
「クライス、顔」
無言で渋い顔をするクライスに思わず笑う。小さく咳払いすると彼は再び話を続けた。
「名はミーナ・カルディオット。伯爵家の娘で、父親は第二王妃の宰相だ。愛人でもある」
「うわぁ…典型的なドロドロ…」
俗世に好まれそうな貴族のあれやこれが実際にあることに少々引きつつも、自分の母親に愛人がいることを知った時この息子はどう思ったのだろうかとイリスは別の意味で同情した。それが表情に現れていたのか、クライスはため息をこぼすと視線を指先に落とした。
「知った時は、そう驚きはしなかった。あり得るだろうな、と納得した程だ」
「今頭の中でクライスのお母さんを想像してみたんだけど、メデューサしか思い浮かばなかった。似てる?」
「ぶっ……」
クライスから聞いたことない音が聞こえて顔を見れば、顔を背け口を押さえて肩を震わせていた。そんなに面白かっただろうか、とイリスは真顔でそんなクライスを見つめていると、笑いの余韻を残したままクライスは顔をイリスに向けた。
「お前、人の親を…ふ、はは…」
「そんなツボると思わなかったから私は今そっちにびっくりしてる」
「そうか、メデューサ…ふっ…言われてみれば確かに似ているかもしれない…ははっ」
「似てるからそんな面白いってことね、理解」
クライスは思い出し笑いが堪えきれず再び肩を震わせ、イリスが冷静につっこむ。普段とは真逆の雰囲気に空気が穏やかに緩んだ。笑い慣れていないからか、疲れたように息を吐くと、クライスは説明を再開した。
「話を戻すが、母上は愛人である宰相の娘を幼い頃から教育し、自分好みの従順な駒に仕上げた」
「で、クライスの婚約者になった」
「……………」
「ごめんって」
はっきり気付いてはいなかったけれど、いまとなっては初めての恋に浮かれていた自覚がイリスにはある。そして、少なからずクライスも悪くは思っていないのでは、そんな期待を胸に抱き始めた時に婚約者の存在で随分気落ちしたのだから、多少からかってやろうと婚約者という肩書を付け足せば、クライスは再び顔を酷く顰めた。
クライスにとってミーナが婚約者という言葉自体が地雷ワードらしい。ここまでくると、クライスに婚約者がいて切ないという気持ちも薄れてくるな…とイリスは改めて開き直ることに肯定的になれた。
「それで、ミーナさん?が編入してくるっていうのは…」
「来週から、特別科に編入が決まったらしい。俺も先ほどアルバートから聞いたばかりだが…」
「そういう連絡もクライスに直接ないんだ…」
婚約者という関係は本当に破綻しているのだろう。元々構築もされていないようだから、破綻したと言えるのかも定かではないけれど。
「中心にいるように見えて、俺はいつも蚊帳の外だからな」
自嘲するようにクライスがぼやいた。その瞬間、イリスがクライスの肩を慰めるようにポンと叩いた。
「私の中心は学食のメニューだからね!」
「何故今それを言った?」
「大丈夫、誰しもみんな誰かの蚊帳の外だよ」
「慰めてるつもりか喧嘩を売っているのかどっちだ」
「追い討ちをかけてる。うぶっ!にゃにふぅんふぉ!!」
クライスの片手がイリスの頬を容赦なく挟み込む。
「お前、こっちの方が可愛いんじゃないか」
「か…かわ…」
クライスから放たれたまさかの一言にイリスの頬が一気に赤く染まった。瞬間、イリスは気付いた。
「……………?」
こっちの方が、とは。
頬の温度が一瞬で平熱に戻った。
「はぁ!?嬉しくないんですけど!!?」
「ふ、ははっ!」
クライスの腕を掴み思い切り剥がしながら抗議の声を荒げると、彼はなんとも楽しそうに笑った。きっとこの学院の生徒達は、こんなふうに口を開けて笑うクライスなど見たこともなければ、想像もできないのだろう。そう思うと、むず痒いような、嬉しいような。結局イリスは怒っているフリをして胸の高鳴りを必死で抑えるしかないのだった。
(あーもう、恋って厄介だ!)
イリスは心の中でそう叫ぶと、気を取り直すようにソファに座り直してクライスが持ってきた書類の一枚に目を通した。そこには、ミーナの家族関係や生い立ち、スキルなどが細かく記されていた。プロフィールというよりは、まるで調査書だ。違いないかもしれないが。
「あれ、土属性なんだ。意外。水魔法とかキラキラ〜って使ってそうなのに」
「お前の言うネチネチマルヴェール先生も土属性だ。案外合っているんじゃないか」
「あ、ミーナさんもネチネチ属性なんだ…」
「どんな属性だそれは。……いや、確かにそうか」
「そこ納得するんだ」
引き続きミーナのプロフィールを読み込むイリスを横目で見ながら、クライスは話を続けた。
「ミーナがお前に接触するパターンとして、2つある。1つは、お前が1人の時。もう1つは、沢山の生徒が周りにいるタイミングだ。アルディハイトに関することを聞かれたら、授業で習った範囲で答えればいい」
クライスの指示にイリスは首を傾げた。
「何も知らないふりしたほうがいいんじゃないの?」
「授業で習うことまで知らないと逆に怪しいだろう。…いや、お前なら知らなくてもいいのか」
「わぁ、すごいナチュラルに馬鹿にされてる。何も言い返せないけど」
ただし、とクライスが言葉を止めた。なんだろう、とイリスが続きの言葉を待つと、クライスの視線が部屋の壁に設置された大きな姿見に移った。
「街に行った時のことを覚えているか」
「うん、もちろん。楽しかったよね、悪党に絡まれたけど…」
「あの時、屋台で串焼きを買った時お前が言ったパンに挟むという文化は、イルーナにはない」
「………うん」
あの時、店主はイリスの発言に不思議そうに首を傾げていた。アルバートが違和感に気付き咄嗟にフォローに回ったのだと今ならわかる。
「調べたが、やはりアルディハイトでは串焼きではなくパンに挟む文化が主流のようだった」
「……そういうのがポロっと出ちゃうのが、マズイってことだよね」
「ああ」
理屈はわかっても、こればかりは相当難しい。なんと言っても、無意識だからだ。街歩きの時も、あの不審な手紙の時も。手紙に書かれた文字がアルディハイト語だなんて思ってもみなかった。だから何故か手紙が読めると素直に申告したが、これからは『読めること』を伝えることさえ危険なのだ。イリスは文字通り頭を抱えた。
「何も喋れなくなりそう…!逆に怪しまれそう!!」
どうしたらいいの!と喚くイリスに、クライスは前屈みになると声をかけた。
「イリス」
「なに!?」
「デート、するか」
たっぷり5秒後。
「………………ファッ」
素っ頓狂な声を上げたイリスに、クライスはまた肩を震わせることになったのだった。




