ミーナ・カルディオット
賑やかな2日目の学院祭の音が遠くに霞んで聞こえる。迎賓室の中は、静寂と香の匂いに満たされていた。昼の歓声が嘘のように遠く、厚い絨毯の上を歩く靴音だけが微かに響く。
窓際に立つクライスの視線の先には、ぞろぞろと護衛を引き連れ庭を歩くミーナ・カルディオットの姿があった。薄桃色のドレスが風に揺れ、ミルクティーを思わせるゆるやかな髪が光を反射する。護衛に対し気遣いを見せるような笑みを浮かべ声をかける様子が見て取れた。
「……相変わらず、人前での振る舞いは完璧だな」
彼女に会った数回の記憶と目の前の光景が重なり、率直な感想が言葉が唇から零れた。背後から静かな声が応える。もちろん、自分の言葉が賞賛などではないことは長年傍にいる此奴が一番よく分かっているだろう。
「彼女は“そうあるように”育てられた方ですからね」
声の主──アルバートが紅茶の乗った銀の盆を机に置き、控えめに一礼した。彼の淡い薄蒼色の髪が窓から差し込む光を受けて揺れる。
「まるで傀儡だな」
クライスはわずかに目を細めた。その瞳の奥には、明確な拒絶と怒りが宿っていた。そして、一抹の同情も。
「彼奴を否定するつもりはない。人の事など言えない身だ。だが──母上の思惑どおりに動く人形と共に生きる気はない」
吐き捨てるような声に、アルバートは静かに息を吐いた。
「このまま、ミーナ様とご結婚されるつもりはないのでしょう?」
「辞めろ。考えたくもない」
短く切り捨てる声には、鋭い棘があった。それ以上踏み込むなという空気を感じながらも、アルバートはあえて続けた。主人の心の内が気になるのは従者として──ではなく、幼馴染としてだ。
「では、イリス嬢のことを──どうなさるおつもりですか?」
わずかに沈黙が落ちる。クライスの目がわずかに揺れた。その沈黙こそが答えのようで、アルバートは確信する。
クライスは窓の外を見たまま、ゆっくりと言葉を落とした。
「……分かっていると思うが」
「ええ、分かっております。彼女がアルディハイト出身である以上、お心のままに動くことが決して許される立場ではないことは」
その言葉に、クライスの指がぴくりと動いた。低く唸るように息を吐き、片手で眉間を押さえる。
「ただ出身というだけならば、まだ方法はあっただろうな」
わずかに顔を上げると、窓の外ではミーナが誰かに微笑んでいた。完璧な作り笑い。まるで母の鏡のようだとクライスは心の底で呟いた。イリスがただの一般市民であれば、記憶が無い以上どこかの家の養子にでも入れば可能性はあっただろう。しかし、そうじゃない。
「やはりイリス嬢は、アルディハイト上層部の関係者ということですか?」
「上層部……どころじゃない」
「それは…」
珍しく動揺を見せるアルバート。クライスは窓に背を向け、視線を絨毯へと落とした。
「10年前、イルーナがアルディハイトに停戦を申し入れた」
「ええ。ドラゴンによる無慈悲な襲撃に多くの町が燃やされ民を失いましたから。これまでの攻撃とは明らかに一線を画していた……故に、立て直しと対策を練るための一時停戦の申し入れだったかと」
アルバートの認識に間違いはない。しかし、大事な情報が抜けていた。
「何故、度を越えた攻撃を仕掛けられたのか」
そう問えば、これから説明しようとした意味を理解したのだろう。アルバートは大きく目を見開き、その瞳を揺らした。
「アルディハイト帝国皇女が命を落としたから………」
「そうだ」
「やはり彼女は、アルディハイト帝国皇女、次期皇帝…ドラゴンの守護者…ということでしょうか」
半信半疑を声に乗せるアルバートに、クライスは重く頷いた。
「たしかにあの不信な手紙といい、可能性は無くはありません。可能性として、思わないわけではありませんでしたが……まさか本当に?」
「アルディハイトの皇族についての文献は少ない。状況判断に至るには根拠が弱いのも事実だ。だが、確信はある」
「なぜ、そう判断を?」
「確信は感覚的なものだ。記憶の無い彼女の中に眠る本来の姿が垣間見えるたびに、疑惑が確信に近付いた」
それでも、決めつけるには早いのではという表情を浮かべるアルバートに小さく首を横に振る。
「あのペリドット瞳が光を帯びる瞬間に立ち会ったことはあるか」
「いえ、ありませんが…」
「魔力と似た、だが少し違う別の力を感じた。…俺でさえ、恐怖を感じるほどの」
「!」
まさか、とアルバートは小さく唇を震わせた。
「あれが───ドラゴンの加護、だとしたら…その畏怖にも納得がいく」
「そんなことが……彼女がいたブランディーユ協会は国境付近。あり得ないことはないかもしませんが、まさか敵国に拾われるなんて」
痛ましい表情を浮かべ、アルバートはゆっくりと首を振りながら目を伏せた。
「運命のいたずらにしては、神はあまりにも……残酷なことをしますね」
アルバートの言葉に深く息を吐いたクライスは腕を組み、窓の外に目をやる。ちょうどミーナが護衛を引き連れ去っていくところだった。
「ミーナは、イリスに接触してくるだろうな」
「あのお方のことですから、イリス嬢の存在自体は既に耳に入っているはず。探りを入れてくるのは必然かと」
クライスの瞳には、冷たくも確かな決意が宿っていた。
「イリスを護衛に置く」
「成程」
ぬるくなった紅茶をティーポットからカップへと注ぎながら頷くアルバートに、クライスは肩を軽くあげた。
「距離を取るべきだ、とは言わないのか?」
「イリス嬢が我々の忠告を聞き頑張って口を閉じたとしても、無理やり口を割る方法はいくらでもありますからね。どんな手を使ってくるかわからない以上、目が届かなければ助けることもできませんから」
「……流石だな」
素直に賞賛すれば、満更でもなさそうにアルバートは笑みを浮かべた。そして、決心するように大きく息を吐いた。
「ひとつだけ、確認しても?」
「なんだ」
「クライス様のそれは、あのお方…母君への抵抗ですか?それとも、彼女を守りたいからでしょうか?」
僅かな静寂。交差する視線が真意を測ろうと容赦なく互いの心の内を探った。そして、クライスはアメジストの瞳をすっと細め、はっきりと口にした。
「俺は、母上への抵抗のため、彼奴を利用した」
規律やルールを超え、周りの声も気にせず平気で近寄ってくる彼女を強制的に廃さなかったのは、小さな抵抗だった。孤児の女子生徒と交流をするなど、母上は想像もしていなかっただろう。耳に入った時は少なからず驚いたはずだ。どう受け止めたのかはさておき、母上の思い通りに生きる人形ではないという小さな反抗だった。けれど現状は第二王妃の作った檻の中から飛び立つこともできず、ただ己の運命を受け入れ、従うしかない。
そんな自分に苛立つのは、彼女を特別だと思ってしまったから。
「イリスが目をつけられた責任は俺にもある」
「確かに、さっさと突き放していれば彼女が王妃に調べられることなどなかったでしょうね」
アルバートの正論に反論はない。
「ただの孤児なら不敬で済んだことが、アルディハイト帝国皇女となれば話は変わってきます。調べがついたら、今度こそ本当に殺されるか、良くて牢に入れられ人質になるでしょう。貴方と、深く関わったせいで」
あえて厳しい物言いをするのは、側近としての立場からだろう。言い換えす言葉はない、とクライスは唇を引き結んだ。
「本来、人に授与など出来ないはずの光の魔力までお与えになって……正直、そちらのほうがもしバレたらと思うと背筋が凍りますよ。受け取れたイリス嬢にも驚いたものですが」
「……そうだな」
「とはいえ」
そこで言葉を切ったアルバートは、ふっと張り詰めた空気を緩ませるように柔らかい笑みを浮かべた。
「クライスの初恋を応援しないわけにはいかないからね」
軽いウインクと共に放たれたフランクな言葉に、クライスは一瞬あっけにとられ、そして肩の力を抜くと窓枠に腰をあずけ僅かに恰好を崩し、小さく歯を見せ笑った。
「そういえば、お前の初恋がどうなったのか聞いてないけどな」
「上手くいったけど、婚約はまだ。養子に入る家を探してるところなんだ」
王城から離れた二人きりの僅かな時間でのみ、昔のように笑いあえるただの友人同士でいられる。クライスにとってアルバートは側近である前に友人でもある。それを忘れずにいてくれるアルバートだからこそ、クライスは信頼して第二王子という仮面を外すことが出来るのだった。
「言えば探してやるのに」
「こういうのは自分でやってあげたいんだ。好きな子のことだから、ね」
「……ま、それもそうか」
「クライスが恋愛事で納得する日がなんて…イリス嬢って本当にすごいな。っと、話を戻しますが」
幼馴染同士の気の抜けた雰囲気を切り替えるようにアルバートは敬語に戻した。
「護衛の件、イリス嬢には私から伝えましょうか?」
「いや、俺が直接言う。こうなってしまった説明も、しないといけないからな」
そう零したクライスの声は、どこか不安気に聞こえたのだった。




