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黎明のステラ 〜月の王子と竜の騎士〜  作者: 神崎とあ
国立スティア魔法学院
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運命の相手


模擬試合が終わった学院の中は、夜祭のようなざわめきに包まれていた。


勝敗を分けた剣戟の余韻がまだ空気の奥に残り、遠くでは誰かが興奮した声で結果を語っている。石畳に沿って灯された魔法灯は、淡い金色の光を落とし、昼間とはまるで違う表情で学院を照らしていた。


その光の道を、イリスとクライスは並んで歩いていた。


すれ違う生徒たちの視線が、ちらり、ちらりと二人に向けられる。模擬試合の勝者としての注目もあれば、第二王子が誰かと並んで歩いているという物珍しさもある。

けれど二人は、そうした視線をいつもの事と意識する様子もなく、ただゆっくりと歩調を揃えていた。


「せっかくだし、ちょっとだけ回ってみようよ!」


イリスが振り返って笑う。

勝利の興奮と、学院祭の熱気とで、頬がわずかに上気していた。魔法灯の光がその表情を照らし、瞳の奥まできらきらと輝かせる。


クライスは一瞬だけ足を止めた。

夜の喧騒、周囲の人波、そして自分の立場。

一拍の逡巡ののち、彼は静かに頷いた。


「そうだな」


その声音は穏やかで、いつものような冷たさはなかった。むしろ、イリスの提案を受け入れることを当然のように感じている自分自身にクライスは気づいていた。



屋台の並ぶ通りは、まるで別世界のようだった。

昼間は訓練と授業の場であるはずの通路が、今は色と音と匂いに満ちている。焼き菓子の香ばしい匂い、甘い砂糖の香り、香草を煮詰めた飲み物の湯気。


子どもたちの笑い声が弾むように響き、魔法で浮かせたランタンが夜風に合わせてゆらゆらと揺れていた。


イリスはあちこちに視線を向けながら、歩くたびに小さく感嘆の声を漏らす。その一つ一つが、クライスの耳に心地よく届いていた。


「わっ!見てクライス、これ光るキャンディだって!」


イリスが指差した先には、淡い光を宿した透明なキャンディが並んでいた。魔力を練り込んだ砂糖が、内側からほのかに輝き、夜の灯にかざすと星屑のように瞬く。ただの菓子だというのにどこか幻想的で、学院祭という非日常にぴったりだった。


クライスは一言も発さず、その屋台へ歩み寄る。キャンディを売っている男子生徒が慌てたようにキャンディを包みクライスに丁寧に手渡した。そして包まれた小さな袋をクライスはそのままスライドするようにイリスの前に差し出す。


「落とすなよ」

「ありがと!」


イリスはぱっと表情を明るくし、袋を受け取って胸に抱えた。その仕草はあまりにも無邪気で、飾り気がなくて、だからこそ。


クライスの呼吸が、ほんの一瞬だけ止まった。


(……可愛い、と思う。不思議なものだな)


胸の奥でそう呟きながら、彼は自分の変化を自覚していた。戦場で剣を握るときの冷静さも、儀式で魔法を操るときの集中も、政治の場で言葉を選ぶ慎重さも、今はどこか遠い。ただ目の前で笑うイリスを見ているだけで、心の緊張が解けていく。


それは危険なほど、穏やかで、甘い感覚だった。


屋台の灯りが二人の輪郭を柔らかく染め、行き交う人々の気配が遠のいていくように感じられる。淡い夜気が肌を撫で、言葉にしなくても伝わる距離感が自然と縮まっていた。


誰かに見せる必要のない時間。

役割も、立場も、しばし忘れていいひととき。


二人の足取りはゆっくりと続き、

夜の学院は、まだしばらくその静かな幸福を見守っていた。


ーーーーーーーーーー

ーーーーー


「ねぇ!占いだって!行こう!」


イリスが楽しげに声を弾ませ、通りの端に立つ小さな看板を指差した。夜の灯りに照らされたその看板には、手書きの文字と簡素な星の絵が描かれている。学院祭らしい胡散臭さと、どこか心をくすぐる雰囲気が同居していた。


「占い?…くだらないな」


クライスは小さく呟いた。占星術の類いだろうが、生徒が操るレベルなどたかが知れている。王城仕えの占星術師からすればおままごとだろう。結局、イリスに袖を引かれるまま半ば呆れたような表情で暖簾をくぐる。


薄暗い室内に足を踏み入れた瞬間、外の喧騒が嘘のように遠ざかった。


魔法灯が淡く揺れ、影が壁に滲む。

空気には微かな香草と魔力の匂いが混じり、胸の奥をくすぐるようだった。


フードを目深に被った占い師——まだ年若い女子生徒だろう——が、意味ありげな笑みを浮かべ、二人の前に立つ。細い指が伸び、ためらいなくイリスの手を取った。


その瞬間、イリスはわずかに肩を震わせ、クライスは一瞬だけ眉をひそめた。が、抵抗はせず誘導に従い水晶の前へ立った。


特に説明もなく、静かに呪文が唱えられる。

水晶球が淡く光り、青から紫、そして金へと、ゆっくり色を変えていく。


「……あなた方は、運命の相手」

「え?!」

「ありきたりなお告げだな」


クライスの声はあくまで冷静だった。

淡々と、感情を切り離したような口調。


だが——イリスは見逃さなかった。

その横顔、耳の先がほんのりと赤く染まっていることを。


(クライス、照れてる?ちょっとかわいいかも)


胸の奥がくすぐったくなり、思わず唇の端が緩む。

占い師は、さらに低い声で続けた。


「…絶望、怒り、困惑、悲壮、運命を恨みし者達。まさに運命の相手と言えるでしょう」


「……え?」

「……戯言だな」


突然の不穏な言葉の羅列に戸惑いを見せるイリスを置いて、顔を顰め吐き捨てるように言い残しクライスは踵を返す。


「ちょ、クライス!?」


慌てて後を追おうとするイリスの背に、占い師の声が追いかけるように落ちた。


「悲しき運命を乗り越えた時、星は黎明を告げるでしょう──」


その言葉に二人は同時に足を止め、振り向いた。


だが占い師はそれ以上何も語らない。

ただ静かに、水晶の光を見つめているだけだった。今度こそクライスが外へ出ていくのを見て、イリスは小走りで追いかける。


外に出ると、夜風が頬を撫でた。

魔法灯の光が揺れ、イリスはさきほどの言葉が妙に胸の奥に引っかかったまま離れなかった。


「今の、どういう意味だろう?なんか一番“お告げ”っぽかったよね」


イリスが首をかしげて問いかける。

けれどクライスは答えなかった。

ただ、わずかに目を細め、夜空を見上げる。


(……悲しき運命を乗り越える、か)


胸の奥で、その言葉を反芻する。

理由もなく、ではない。

彼自身が誰よりも、その重みを知っていた。


夜風が木々を揺らし、灯が一瞬だけ二人の瞳を照らした。言葉にしない思考と感情が、静かに交差する。


不思議な静けさが、その場に残った。


「…少し、歩くか」

「うん、だね」


クライスの提案にイリスは素直に頷き、二人はそっと同じ歩幅で歩き出した。



喧騒を離れた並木道。

人の声も、音楽も、遠く溶けていき、残るのは星明かりと風の音だけ。


「……ここは静かだな」


クライスの声が、夜気に溶けた。


「メインストリートからちょっと離れてるしね。でも、こういうのもいいかも」


イリスは両手を背に組み、星空を見上げながら微笑む。

木々の隙間から覗く月が、二人の影を並べて地面に落とした。


二人の間に、柔らかな沈黙が流れる。言葉がなくても、居心地が悪くならない距離。それが、今はただ心地よかった。


やがて、イリスが面白そうに小さく呟く。


「ね、運命の相手だって」


からかうような声音。

けれど、その奥にわずかな期待が滲んでいる。

クライスは目を逸らさず静かに答えた。


「そうか。運命に抗わないとな」

「ちょっとは嬉しいフリしてくれてもいいんじゃない!?」


イリスがぷくっと頬を膨らませる。その仕草があまりにも無防備で、クライスは思わず小さく息を漏らした。


短い、けれど確かな笑み。

氷が溶けるような、その一瞬。


「フリ、でいいのか?」


穏やかな声。

低く、近く、真っ直ぐに。


イリスの胸が一気に跳ね上がる。返す言葉を探す間もなく、視線が絡んだ。クライスの瞳に魔法灯の反射が小さく揺れる。


「…よくない。ちゃんと嬉しがって」

「なんだそれは」


ふは、と小さく笑ったクライスの横顔。

その表情を、イリスは目に焼き付ける。


(この瞬間が、終わらなければいいのに)


そう願いながら、イリスは小さく息を吸った。


次の瞬間——

夜空に、大きな花が一輪だけ咲いた。


光と音が、二人の間に落ちる。

言葉にできなかった想いだけが、胸の奥で静かに膨らんでいった。



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