学院祭準備Ⅳ
夕方の鐘が遠くで鳴り終わり、学院の空が橙から群青へと溶けていく頃。イリスはステラ寮へ続く石畳の道を、少しだけ落ち着かない足取りで歩いていた。
(これからクライスと模擬試合の練習かぁ…うわ、なんか緊張してきた)
ペアを組むことを了承してくれた時のことを思い出すと、胸の奥がそわそわした。楽しみと、ちょっとの怖さと、気恥ずかしさと、よく分からないくすぐったさが全部混ざったような感覚だった。
ステラ寮の前に立つ高い門は、いつもなら「近づいてはいけない場所」の象徴のように荘厳で冷たく見える。けれど今日は、夕陽に照らされてどこか柔らかい色をしていた。
近づいていけば、門の前には予想外の人物が立っていた。
「アルバート?」
青い特別科のマントを翻し、アルバートは相変わらず隙のない立ち姿でそこにいた。イリスを見ると、いつもの丁寧な笑みを浮かべて軽く会釈する。
「お待ちしておりました、イリス嬢」
「え、クライスは?」
辺りを見回して首を傾げるイリスに、アルバートは視線を門へ向けながら穏やかに告げた。
「クライス様の魔力があれば、門をこえられますよ」
「な、なるほど!」
アルバートはイリスの中にある"魔力"を知っている。おそらくクライスが話したのか、もしくは気付いたのか。アルバートは多く語らず、ただ笑みを浮かべていた。
恐る恐る門へと近づき、そっと手を伸ばす。
通常、門に張られた結界に弾かれるような感覚があるはずなのに──イリスの手にはふわりと柔らかな光が触れただけだった。
次の瞬間、結界が波紋のように揺れ、中へと踏み出したイリスの身体を拒むことなく通した。
「……ほんとに、越えられた」
信じられないものを見る目で自分の手を見つめるイリスに、アルバートはわずかに目を細める。
「今後は自由にステラ寮へ出入りできますよ」
「え、良いのかな…?」
首を傾げつつも、毎回クライスに出向いてもらうのも申し訳ないしな、と納得することにした。おそらくクライスも魔力を授与することでステラ寮へ自由に出入りできるようになると分かっていた筈だ。途端、彼に認められている気がして胸の奥がじんわりと温かくなった。
アルバートに案内され、寮の裏手へと回る。魔法の杖を探した広い庭園を抜けてさらに奥に、開けた小さな広場があった。低い木々と石畳の広場。夕焼けの名残が空の端にまだわずかに残り、薄明かりが銀色の髪をゆるやかに照らしている。
そこに、クライスがいた。
無造作に立っているだけなのに、絵画のように整った立ち姿。イリスの足音に気づくと、彼は顔を上げて視線を向けた。
「来たか」
短い一言の中に待っていた気配が混じっている気がして、イリスは胸の中がむずむずした。決して嫌な感じはしないけれど、なんとなく落ち着かない。
(なんか、変な感じ。別に変なこと言われたわけでもないのに…)
アルバートが一礼して下がり、広場には二人きりの空気が落ちる。
「始めるぞ」
クライスがゆっくりと歩み寄ってくる。イリスが腰に携えた剣を握り、心の準備をしようとしたその時、彼の指がそっとイリスの手に重なった。
魔力授与のための接触。
何度か経験しているはずなのに、距離感に慣れる気配はまるでない。指先が触れた瞬間、ひやりとした感触とその奥にある体温が一気に意識にのぼる。
「っ……」
思わず息が詰まった。
視線を上げれば、クライスはいつも通りの落ち着いた顔でイリスの手を包んでいる。
内側から、柔らかい光がじわりと流れ込んでくる。
血管の中を暖かなものが走り抜け、胸の奥へ、指先へ、全身に優しく広がっていく。
「……力を抜け。呼吸を整えろ」
「っ…う、うん!」
返事が少し上擦った。
(落ち着け私……!)
心臓の音がうるさくて、魔力の鼓動と自分の鼓動の区別がつかなくなっていく。魔力の流れが安定すると、クライスはすっと手を離した。同時にこっそりと息を吐き落ち着きを取り戻すと、改めて剣を腰から引き抜き構えた。
「まずは足場からだ。風に慣れろ」
そう告げると、クライスは軽く杖を振った。
彼の足元から風が立ち上がり、イリスの周囲に目には見えない“踏み台”のような感触が生まれる。
「うわっ……!?」
半歩踏み出した瞬間、自分の体が思ったより高く浮き上がる。身体能力の高さも相まって、イリスは見事に跳びすぎた。
「わ、わああっ!?」
ばさっ、とスカートの裾が広がり、着地に失敗してごろりと地面を転がる。呆然と空を見上げるイリスにクライスが一歩近づき、呆れたように上から覗き込んだ。
「……何故そうなる」
「いや今のは風が!風がすごくて!」
「俺のせいか」
「ぐっ……言い返せない……!」
口では反論しつつも、イリスは自分の身体の感覚が風の強さに慣れていないのだと分かっていた。
何度も繰り返しながら、クライスは高さと風量を微調整しながらイリスの感覚に合わせていった。
一度目は高く跳びすぎて転び、三度目は風を警戒しすぎて足がすくみ、七度目でようやく、イリスの踏み込みと風が噛み合う。同じ失敗を繰り返しているようで、少しずつ息が合っていくのを二人は感じていた。
今度は、剣を構えたイリスの動きに合わせてクライスが光を纏わせた。踏み込み、振り下ろす瞬間──
キンッ!と澄んだ音とともに、刃が淡い光の尾を引く。白い光が剣筋をなぞり、目に見える軌跡として残った。
「……すご」
思わず見惚れて呟くイリスに、クライスが冷静に告げる。
「余所見をするな」
「う、うん!」
返事をしながらも、イリスは目を輝かせずにはいられない。
(クライスと一緒だと、ただの一振りも全然違う技に見えてくる…すごい)
風、火、水、土、そして、光。全属性を持つクライスの高等魔法は、イリスの動きに合わせて次々と変化していく。
イリスが踏み込めば足元に風が流れ、重力がふっと軽くなり体が高く浮かび上がる。剣を地面と水平に構え、突きを放てば火花のように炎が散り、見た目にも派手な一撃になり、回避には水の膜が補助し防御と敵の視界を奪う二重の効果をもたらし、決めの一撃にはイリスの剣技に光が重なり、まるで閃光のように光が走り抜ける。
というのは、最終的な理想であって、現実ではもちろん最初から完璧な連携ができるわけがなかった。
イリスの踏み込みが早すぎて風が間に合わなかったり、
クライスの魔法が強すぎて、イリスが吹っ飛びそうになったり。その度にクライスが微妙な顔をしてはイリスが叫び抗議する、その繰り返しだった。
「ちょ、まってこれほんとにショー用の威力!?」
「まだ抑えている」
「は!?これで!?」
「本番までには慣れろ」
「スパルタぁ……!!」
裏庭には、イリスの叫びとクライスの小さな溜息が交互に響いていた。
何度も合わせているうちに、変化は自然に訪れていた。
クライスが杖を動かす前に、イリスの足が風の流れを読む。魔法の圧力が変わる前に、イリスの身体がそれに合わせて重心を移す。
言葉を交わさなくても、動きで会話ができるような感覚。
「……さっきより、合ってきたな」
クライスが珍しく自分からそう評価した時、イリスは剣の柄を握ったままにっこり笑った。
「クライスの魔法、めちゃくちゃ頼りになるからね!」
その言葉に、クライスは小さく息を吐き、わずかに目を伏せる。
「……お前の身体能力が異常なだけだ」
「褒められてる気がしない!」
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陽がさらに傾き、空の色が青紫に変わり始めた頃。
「一度、休憩だ」
クライスのその一言で、イリスは「やった〜〜!」と大げさに地面にへたり込んだ。
「まだ到底見せられるものじゃないが、良いペースだ。これなら学院祭当日に間に合うだろうな」
「クライスに魔力貰ってから、魔法の感覚が前よりもわかる分、連携がイメージしやすくなってるのかも」
そう笑ったイリスにクライスも軽く笑い返し、裏庭の片隅、大きな木の根元に並んで腰を下ろした。
涼しい風が汗ばんだ肌を撫で、訓練で火照った身体に心地よかった。いつの間に用意されていたのか、クライスが差し出した水筒を受け取り、イリスは喉を鳴らして一気に飲み干す。
「ぷはぁっ……生き返った……」
「飲み方が雑だな」
「細かいことはいいの!」
そんな他愛もないやりとりが一段落した時、クライスはふと視線を空へと向けた。




