学院祭準備Ⅲ
午後の陽光が傾きかけ、学院の敷地に淡い金色が満ちていた。イリスは中庭のアーチを駆け抜け、両手を腰に当てて息を整えた。
「うーん、どこだろ。あの銀髪……目立つのにいてほしい時に限って居ない!」
風に揺れる木々の間、いつもなら目につくはずの銀色の髪はどこにも見当たらない。まるで絵画のような光景だと噂の、彼がよく読書をしているベンチにも座っていない。となれば、恐らくまだ特別棟にいるのだろう。棟内の出入りは自由なはず、と再び足を進めた。
しかし、その足がふと、ゆっくりと止まった。
「……でも、クライスの魔力を貰うってことは、クライスの負担になるんだよね」
試験前夜、魔力授与のあと少し疲れた顔をしていたクライスの横顔が脳裏に浮かぶ。学院祭の模擬試合に出るためだけに、あんな顔をさせていいのだろうか。
(やっぱり、今回は出場しない方が……)
葛藤で胸がざわつく。それでも気づけば足は前へ前へと進んでいて、悩んでいる間に視界には特別棟の壮麗な建物が広がっていた。
「……悩んでる間に、着いちゃった」
戸惑うように呟きながら、イリスは大きな扉へ歩み寄る。せっかくここまで来たのだから、と扉を開けようとしたそのときだった。
「クライス様、後ほど寮でディオルマス伯爵より提出された通行税の見直しについて確認を──」
扉の向こうからいつもより少し硬いアルバートの声が聞こえ、扉の取手を掴もうとしていた手をそっと下ろす。
(学院祭どころか、政治のことですごく忙しそうなんだけど。……やっぱ無理かもなぁ)
諦めて足を一歩後ろへ引くと、突然目の前の扉が勢いよく開いた。
「!?」
「わっ!」
イリスが慌てて衝突を避けようと数歩下がり、顔を上げたそのとき。
扉の中から現れたのは、探していた銀髪。陽の光が差し込み、彼の髪がきらきらと輝きアメジストの瞳が涼し気に映る。その瞳はイリスに気づいた瞬間驚きに揺れ、そして僅かに柔らかくほどけた。
「……イリス?」
低く柔らかな声が頬をかすめる。
後ろからアルバートとエドガーがひょいと顔を出した。
「おや?」
「お?」
なにやら興味津々の二人の視線がイリスに集まる。イリスは突然開いた扉への驚きと、諦めようとしていたところへ突然舞い込んできた相談のチャンスに落ち着かず、焦る胸を押さえながらぎこちなく口を開いた。
「えっと、今忙しい感じ…だよね?」
「話を聞く時間はある。何か用か」
「実はクライスに相談したいことがあって……」
「相談?」
クライスは一度瞬きをしてから、淡く首を傾ける。
「学院祭の、その…騎士科の模擬試合なんだけど、今年はペア戦らしくて……」
「え、まじか」
後ろからエドガーの声が驚いたようにこぼれた。きっと試合出場の候補者へ優先的に告知しているのだろう。クライスやアルバートもペア戦という変更に多少なりとも驚きがあるのか、成程…と新鮮そうに頷いた。
「で、私ってほら、ま…魔法がほとんどあの、あれでしょ!?だからその、魔法がすごく得意な人がいいかなって思って!」
エドガーの存在に気付いているため、この場で正直に"魔力が無いことを秘密にするために他の人とは組めない"と言えず、どうにか誤魔化しながら伝えれば、クライスは静かに黙って聴いていた。
イリスは勇気を振り絞り、一歩踏み出す。
「……だからね、クライス。その、私とペア、組んでくれたり、しないかな〜って…」
一瞬の静寂が辺りを包む。アルバートもエドガーもただ静かにクライスの反応を伺っていた。
クライスは目を細め、ゆっくり瞬きをした。けれど返事はない。彼の表情から返答は読めず、途端に不安が押し寄せたイリスは両手を胸の前でぎゅっと握った。
「特別科が催し側に参加しないっていうのは聞いた!それに、王族って当日も忙しいと思うってリチェルも言ってた!けど、でも……クライスしか頼れなくて……お願い!!」
騎士科の1年を代表して寄せられた期待に応えたい。その思いと裏腹に魔力が無い自分にはエンターテインメントとして剣技に魔法を組み合わせた試合など到底不可能。もし出場するとすれば、クライスの協力なくして成功はない。ぎゅっと目を閉じ、握り合わせた両手により力を込めた。
そんなイリスにクライスが静かに一歩、歩み寄る。大きくひんやりとした右手を彼女の両手の上に重ねた。
そして、低く厳しい口調で告げる。
「出るからには、負けは許されない。例え見せ物だとしても、だ」
重い声音にイリスの背がびくりと震えた。
けれどその直後——
「いいな?」
重ねた手に確かな力が込められ、イリスの両手を包み込んだ。その力強さと手のひらから伝わる体温にじわりと背中が熱くなる。
「わ、わかった!全力で戦う!絶対勝つ!!」
イリスの必死な声にクライスはふっと微笑んだ。向けられたその柔らかい笑みに自然と鼓動が早くなる。落ち着かない心臓に気付かないふりをして、イリスは不自然にならない程度にパッと手を離し熱くなった顔を誤魔化すよう視線を逸らし、後ろで腕を組んだ。
「忙しいはずなのにごめんね!ありがと、クライス」
「他に頼れる者がいないなら、仕方がないだろう」
頬を染めて視線を逸らすイリスを見て、言葉とは裏腹にクライスの目元が和らいだ。
状況を見守っていたエドガーが弾む声で叫ぶ。
「おおおお!!これってもしかしなくてもすげー試合が見れるってことじゃん!?俄然楽しみになってきたー!!」
アルバートも穏やかに微笑む。
「ふふ。良かったですね、イリス嬢」
アルバートの言葉に頷きつつ、イリスは安堵の息をつきぽつりと呟く。
「正直、半分くらい断られると思ってた…リチェルにも無理だと思うって言われたしね」
「よかったな〜、イリス!」
エドガーが頭の後ろで手を組み笑顔で声をかける。その瞬間、クライスが静かにイリスに歩み寄った。その距離は、ほぼゼロに近い。突然の至近距離になんだなんだ、と身構えるイリスの耳元に口を寄せ——
「……お前じゃなければ断っている」
一瞬でイリスの顔が真っ赤に染まり硬直した。
不思議そうに首を傾げるエドガーと、やれやれといった表情を浮かべるアルバート。そんな二人のリアクションも視界に入らず、踵を返し背を向け歩き出したクライスの背を、囁かれた耳を押さえながらぽかんと立ち尽くし見送るしかなかった。
「な……ん、……………え……何、今の……!!」
リチェルの元に戻る前に冷たい水で顔を洗おう。
両手で顔を覆いへなへなとしゃがみ込む。手のひらに伝わる確かな頬の熱さにしばらくの間うなだれるのだった。




