学院祭準備Ⅱ
午後の陽光が柔らかく差し込む特別棟二階のサロン。
大理石の床に反射した光が微かに揺れ、銀のカップに注がれた紅茶からは上品な香りが立ち昇っていた。
周辺の特別科生徒たちは華やかな声で学院祭の話題に沸いている。しかし、その騒がしさからまるで隔絶されたようにサロン奥のソファ席だけは静謐そのものだった。
そこに座るのはクライス、アルバート、エドガー。
学院でも特に異彩を放つ三人だ。
アルバートが優雅にカップを置き、微笑を浮かべて言う。
「今年も我々は“観覧側”というわけですね」
「それが学院の伝統だからな」
クライスは紅茶の縁に目を落としたまま穏やかに答えた。普段なら冷たい印象のその横顔も、午後の光に照らされるとどこか柔らかい。
アルバートは肩をすくめる。
「準備に駆り出される他の学科には同情しますが、貴族が協力して行事の準備などまともにするはずもありませんしね」
「俺は楽しみですけどね!」
エドガーがぱっと顔を上げた。
特別棟の空気に似合わない元気さだが、不思議と場を壊さない。
「騎士科の出し物に協力すんの!つーか、絶対イリスはしゃぐだろうな〜」
アルバートの口元が緩む。
そして意味ありげに視線をクライスに流し、目を細めた。
「たしかに。今頃イリス嬢はいつも以上に歩き回っているかもしれませんね」
クライスの指が一瞬止まる。視線は落としたまま、口元だけがほんの僅かに柔らかく動いた。
(……クライス様って絶対イリスのこと気に入ってるよなぁ)
エドガーが心の中で突っ込むと、それを察したようにアルバートがわざとらしく紅茶をひと口飲み、軽い口調で尋ねた。
「クライス様は学院祭、イリス嬢をお誘いに?」
「えっ!」
エドガーがそんなストレートに言うのかよ、と言いたげな表情を浮かべたその瞬間、クライスの視線が横に流れ静かにアルバートを射抜いた。そんな刺すような視線もいつものこと、とアルバートは楽しそうに視線を逸らす。
クライスはため息と共にカップを置いた。
「…そんな時間があればな」
アルバートは、案の定否定しなかったクライスを幼馴染としてからかうように目元を緩めた。
「そうだクライス様!そのイリスがさ、模擬試合の候補に上がってるんすよ!」
エドガーが思い出したように言った瞬間、クライスの瞳の色が変わった。
「……彼奴が模擬試合に?」
その声音は低く、わずかに鋭い。
アルバートもその変化を見逃さなかった。
「模擬試合といえば、毎年恒例の騎士科のメインですね。前代未聞の問題児であれば、出場もあり得る話でしょう」
「模擬試合はショーみたいなもんだからな!イリスが魔法を組み合わせてどんな戦い方すんのか、正直すげー気になるっつーか!まあ、まだ候補ってだけで確定ではないけどよ」
アルバートが静かに尋ねる。
「彼女の出場が確定しない要因は?」
「なんか、本人が微妙でさ。変だろ?イリスのことだから喜んで立候補するかと思ったら、“ちょっと考える”ってよ」
アルバートがちらりとクライスを見る。クライスは静かに目を伏せたまま、わずかに眉を寄せている。そんなクライスの様子に気づかずエドガーは続けた。
「そうだ!クライス様が背中押してやってくださいよ!クライス様が言えばやる気出ると思うし!」
クライスは少しの沈黙の後、
「……考えておく」
紅茶をひと口。
静かに頷き、差し込むの日の光に目を細めた。
***
その頃一般棟のラウンジでは、昼下がりの柔らかな光が差し込み薬草の香りがほのかに漂っていた。
リチェルが机の上で魔法薬の材料を並べ、丁寧に魔法薬の調合を進めている。その隣でイリスは“葉っぱちぎり係”としてせっせと緑の葉をちぎっていた。
「へっ……っくしゅん!!」
突如響いた大きなくしゃみに、リチェルが手を止める。
「イリス、風邪じゃないよね?」
「いや、めちゃくちゃ元気だけど……」
むむ、とイリスは眉を寄せ──
「……はっ!もしかして噂されてるのかも!!」
リチェルは即答した。
「それはいつものことだよ」
「えっ……人気者は困っちゃうな〜!!」
「はいはい、これその袋じゃなくてこっち。あとそこは切りすぎ」
「リチェル!?せめて聞いて!!」
笑いながらも葉っぱを受け取るリチェル。イリスは頬を膨らませつつも、ちぎる速度はさらに上がった。
ふと、イリスが手を止めて呟いた。
「……あのさ。模擬試合の候補に選ばれたんだ、私」
リチェルはぱちくりと瞬きをした。
「え!?すごいね!」
「いやぁ……でもあんまり自信なくて」
どこか歯切れ悪いイリスに、リチェルは意外そうに首を傾げた。
模擬試合は体術だけでなく魔法を組み合わせたパフォーマンスが必要らしい。となれば当然、魔法の実力もそれなりでなければ観客を楽しませることは難しいだろう。出場を渋っている本当の理由。魔力がないことは言わない方がいい、クライスがそう言うなら恐らくそうなんだろう。けれどリチェルには言ってもいいのでは、いやでもやっぱり──イリスは口を開きかけては閉じてを繰り返した。
「どうして?」
「いや……あの……なんか……ほら、ねぇ?」
誤魔化した笑みを浮かべるイリスに、リチェルは不思議に思いながらも深追いしない。そのなんとも言えない空気を破るように元気な声が飛び込んできた。
「おっ、いた!イリス!!」
騎士科の男子生徒がイリスに駆け寄ってくる。
「先輩から伝言!今年の模擬試合、趣向を変えて“ペア戦”にするんだってよ!もし出るなら早めに相手見つけとけってさ!」
「ぺ、ペア……!?」
まさかの通告にイリスの顔が凍りついた。
(……終わった)
一人で魔力が無いのをどう誤魔化せばいいのか悩んでいたのに、ペアだなんて誤魔化すのがもっと難しくなる。絶望の文字を頭上に浮かべたイリスに、リチェルは混乱しながらも意見する。
「でもほら、ペアなら協力出来るわけだし、一人で出るより心強いんじゃ…」
励ますようにそう言ってくれるリチェルに、イリスはうまく答えられず顔を引き攣らせた。ペアを組んだ相手に魔力が無いことがバレるのを防ぎたい、と正直に言えないもどかしさに頭を掻きむしりたくなる。
魔力がないことを告げるということは、自分がアルディハイト帝国、いわば敵国の出身であると告げると同義だ。
二人の間に微妙な沈黙が生まれる。
いつの間にか騎士科の男子生徒は居なくなっていた。
その沈黙の中、イリスの脳内で“ある人物の姿”が浮かんだ。
銀髪。アメジストの瞳。
──イルーナ王国最高位の魔法使い。
「……クライスしか、ない?」
イリスの呟きにリチェルは驚き、目を溢れんばかりに見開いてガタッと身体を浮かせた。
「は!? ク、クライス様っ!?いやいやいや、誘うの!? 無理でしょ、催しに参加しない特別科の中でもさらに特別な王族だよ!?というか、めちゃくちゃ忙しいんじゃないかな…」
イリスは立ち上がりながら意気揚々と宣言した。
「ダメ元で相談してみる!無理だったら諦めて、他の出し物に回るよ!!」
「ちょ、ちょっとイリス!?葉っぱまだ半分残ってるってばーー!!」
イリスは振り返りながら手を振る。
「帰ってきたら倍ちぎるからーー!!」
ばたたたっ、と駆けていくイリスの背中がどんどん小さくなり、すぐに見えなくなった。残されたリチェルは盛大にため息をこぼす。
「クライス様は流石に無理だと思うんだけど……ま、いざとなったらカイルかエイミーに相談してあげようかな」
そう呟いて、リチェルはまた静かに薬草を刻み始めたのだった。




