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黎明のステラ 〜月の王子と竜の騎士〜  作者: 神崎とあ
国立スティア魔法学院
42/43

合格の代償



昨日のテストを終え解放感からいつもより和気あいあいとした雰囲気の昼下がりの学院の廊下は、生徒達の声で活気づいていた。


だがその中を歩いていたイリスの足取りだけは妙に重く、焦点の合わない瞳はかすかに揺れていた。


(……うーん、なんか……頭が……)


朝起きた時からなんとなく頭が重いような気はしていたが、昨日まで普段使わない頭を酷使していたことによる疲労だろうと対して気にしていなかった。しかし、昼に近付くにつれ視界がぼんやりとし、頭が働かなくなってきていよいよ風邪でも引いたのだろうかと疑い始めたその時だった。


どさり、と大きな音を立てて教科書が床に散らばり、イリスの身体もその上に崩れ落ちた。


「きゃっ……!」

「おい!誰か倒れたぞ!」


廊下がざわつき、一気に人だかりが出来ていく。


──その喧騒の少し後方。


クライスは本を片手に歩いていたが、その喧噪に一瞬足を止めた。眉を寄せ、冷ややかに人だかりに視線を上げため息を吐く。


「……騒がしい」

「どうやら生徒が倒れたようですね」


クライスの後ろからアルバートが人だかりの声に耳を澄ませ騒ぎの原因を突き止めた。


生徒の誰かが叫ぶ。


「誰か教員を呼んでこい!」

「薬学科の生徒はいませんか!?」

「おい、君!大丈夫か!」


そんな慌ただしい声にも、クライスの表情は何一つ変わらない。むしろ冷淡さを増し、わざと無関心を装うように視線を逸らした。


(俺には関係のないことだ。……どうせ、誰かが助ける)


胸に一切の動揺はなく、冷徹に割り切ろうとした。

だがその瞬間──


「ねぇ、あの子……騎士科のイリスじゃない?」


その名が、空気を震わせて耳に届いた瞬間。


バチン、と弦が弾けるように何かが切れる。

本を持つ指先が強く握られ、ページがしわくちゃに潰れた。


「──どけ」


低く鋭い声に周囲の生徒が息を呑み一気に道を譲る。

次の瞬間にはクライスの長い脚が床を打ち、人混みを一気に突き抜けていた。


ざわめく生徒達の中心で床に横たわるイリス。

その顔は青白く、額には汗が滲んでいた。


「……イリス!」


抱き起こす腕は震えるほどに力強く、頬に触れる指は驚くほどに優しかった。先程までの冷酷さは跡形もなく、そこにあるのはただ必死な焦りと温もり。


「イリス、聞こえるか?しっかりしろ」


囁きは周囲の視線もざわめきをも無視して、ただ彼女だけに向けられる。


「なんでクライス様が……!?」

「ほら、あの子って今年のパーティーの相手だった……」

「なによ、だからってそんな……」


生徒達の声が飛び交うが、クライスの耳には届いていない。腕の中で苦しそうに瞼を閉じるイリスを見て、彼の胸の奥に鋭い痛みが走る。


切迫した声音。普段の冷徹さとは正反対の必死さ。

クライスの珍しい姿にエドガーは目を丸くしてその光景を見つめていたが、その隣でアルバートは息を呑み──そして静かに瞼を伏せた。


(……やはり、彼女が特別なのですね)


ただ驚くのではなく、確信に至る。クライスが公の場で、誰かの名を呼んで駆けつけるなど前代未聞。その意味の重さを、理解できる者は少なくない。


(問題は……これを『あの人』が耳にした時)


胸の奥がひやりと冷たくなる。『あの人』ならいつか必ず嗅ぎつける。第二王子の心を揺るがす存在が現れたと知れば──それを許すはずがない。


(……いずれ必ず、矛先がイリス嬢に向かうでしょう)


厄介な火種。だが同時に、冷徹な仮面を被り続けてきた彼が、ようやく心を動かされる存在を見つけたことに、アルバートは僅かな安堵を覚えもした。


(しかし彼女はおそらくアルディハイトの関係者……クライス様はそれも分かっている筈)


アルバートは視線を逸らし、深く溜め息を吐いた。それはイルーナ王国の実権を握らんとする『あの人』の傲慢な恐ろし笑みを思い浮かべたからこそのため息だった。


廊下に倒れ込んだイリスを抱き上げたクライスに、周囲の生徒達が口々に声を上げた。


「だ、大丈夫でしょうか!?」

「保健室に運ばないと──」


けれど彼は一瞥すらせず、無言で歩き出す。その背中から放たれる冷ややかな気配に、生徒達は自然と口を噤み道を開けるしかなかった。


「……保健室には?」


アルバートだけが淡々と問いかける。

クライスは足を止めず、短く答えた。


「不要だ」


その声音に含まれた確信と拒絶を読み取り、アルバートは一拍置いて小さく頷いた。クライスが場を離れたことで、背後で再度騒ぎだした生徒達を手で制し、追ってこないように仕向ける。


エドガーはぐったりとしたイリスに「お、おい……大丈夫か…?」と不安げに声をかけつつ、アルバートと共にクライスから少しだけ距離を取りつつ後に続いた。



***



ステラ寮、クライスの自室。


陽の光が斜めに差し込むベッドへ、クライスはイリスをそっと横たえた。淡い頬に冷たい汗が浮かび、苦しそうに浅い呼吸を繰り返している。その身を覆うように残滓の光がちらちらと揺らめき──授与した魔力の余韻だとすぐにわかった。


「……やはり、副作用か」


低く呟きながら、クライスは彼女の手首に触れ、脈を確かめる。かすかに早いが、致命的ではない。執事に用意させた布を濡らし、額の汗を拭ってやる。


倒れたイリスを生徒達が囲み、その額に触れようとしていた男子生徒。先ほどの廊下での光景を思い出し、苦々しく息を漏らす。


「倒れるなら無理せず休めばいいものを…」


その囁きは叱責のようで、同時に誰にも触れさせたくない独占欲の滲む声音だった。


その時、寝返りを打ったイリスが不意に彼の腕をぎゅっと掴んだ。細い指が震えるほどの力で絡みつく。


「……クライ、ス……」


苦し気に、縋るように紡がれたかすかな寝言。心臓を握られたように、クライスの胸が大きく揺さぶられその手を握り返す。


(……これは副作用だ。放っておけば回復する)


自分に言い聞かせるように瞼を伏せる。

だが、か細い寝息を見守っていると、とても放ってはおけなかった。


「……大丈夫だ」


小さく囁き、祈るように密かに心を寄せる彼女の額にそっと口づけを落とした。



ーーーーーーーーー

ーーーー



微かな鳥のさえずりと、冷たい夜風に揺れるカーテンの音。イリスは重たい瞼をゆっくりと持ち上げた。


目に入ってきたのは、深い木目の落ち着いた天井と豪華でありながら洗練されたシャンデリア。ルーナ寮の白壁でも、学院の教室でもない。どこか静かで、重厚な空気が漂っていた。


「……ここ……どこ?」


身体を起こそうとして、ふかふかのシーツに包まれていることに気付く。柔らかくてあたたかい。けれど、その居心地の良さが逆に違和感を際立たせていた。つい最近、この感触を味わったことがあるような気もする。


混乱した頭で周囲を見渡したその時──視線がぶつかる。


窓辺に立っていたクライスが、振り返ってこちらを見ていた。月明かりに照らされた横顔は端正で、アメジストの瞳が夜気を切り裂くように鋭く光っている。


「……目が覚めたか」

「えっ……ク、クライス!? ちょ、なんで!? ここ、クライスの部屋!?私なんでここに!?」


慌てふためき、目を丸くして意味もなくシーツを胸元に引き寄せるイリス。知らないうちに彼の私室にいるという事実が、さらに彼女の頬を熱くさせた。


クライスは動じることなく、淡々と告げる。


「忘れたのか。廊下で倒れたんだ」

「た、倒れた……かも…」

「保健室に運ぶわけにはいかないからな…ここに連れてきた」

「えっ……なんで保健室はダメなの?」


イリスが問い返すと、クライスの目が一瞬だけ伏せられた。月光が彼の睫毛に影を落とし、微かな逡巡を映し出す。


だがすぐに冷静さを取り戻し、端的に答える。


「……魔力授与の副作用だ」


その言葉に、イリスの心臓がドクンと跳ねた。


魔力授与のことを知っているのは、クライスとアルバートだけ。自分が学院にとって“異質”だということを改めて突きつけられた気がして、胸がぎゅっと苦しくなる。


「ご、ごめん。迷惑かけて……」


小さな声で縮こまるイリス。その姿を見たクライスはゆるやかに歩み寄り、ベッドの端に腰掛けた。


「調子が良くないなら無理せず休め。その判断も自己管理の一つだ」


低く落ち着いた声。冷徹な響きのはずなのに、不思議と胸の奥にあたたかさが広がっていく。


「……うん、ほんと…そうだね」


イリスは唇を噛みしめ、視線を落とした。そんな彼女をクライスは静かに見つめた。僅かばかりの静寂のあと、彼女はシーツをぎゅっと握り締め小さく口を開いた。


「ずるして合格したくせに…情けないね、こんなの。……ちゃんと自分の力だけで頑張ったわけじゃないのに……」


ぽつり、ぽつりと零れる弱音。普段の彼女からは想像もつかないほどのか細い声に、クライスはしばし沈黙した。


そして──迷いなく彼女の両手を包み込む。


「お前の力だろう」

「……っ」


アメジストの瞳が真っ直ぐに射抜く。

冷たさと鋭さを帯びたその光の奥に、確かな熱が宿っていた。


「そもそもあれだけの魔力授与を行い即座にコントロールするなど、普通に考えれば無謀だ。それも魔力を持たない身で、簡単に出来るはずもない。だが、お前はやり遂げた。それがお前の力だ」


真剣な声音に、イリスの胸がじんわりと熱くなる。心のどこかで抱えていた後ろめたさ、真剣に自分の力で向き合っている他の生徒達への罪悪感。誰が許す許さないでもないそれを上手く消化できない。


クライスの言葉に救われると同時に、本当にそれでいいのだろうかという迷いも浮かぶ。落ち着かない心に堪えきれず、涙が滲んだ。


「……クライス」


無意識のうちに、縋るように彼へと身を寄せていた。いつしか当たり前のように彼を頼る自分がいたことに彼女はなんとなく気付いていた。その理由を考えたことはなかったけれど、今はなんとなく分かるような気がしてぎゅっと目を閉じた。


イリスの額が彼の肩に触れた瞬間、彼は静かに、しかし力強く彼女の肩を抱き寄せた。その温もりは、不思議なほど安心できて──イリスは細い腕をその背中に回し、しがみつくように彼の胸元に身を預けた。


「もう少し、このまま……お願い」

「……好きなだけ、こうしていればいい」


低く、甘い囁き。

その声色は、耳の奥に溶けるように残り、イリスの不安をすべて静かな夜に溶かしていった。




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