クライス=ヴァリシエ
スティア魔法学院での生活が始まって3日。
ようやく少しずつ学院のことがわかってきた。
まず例の『特別科』についてだ。
学院内において明らかに特別科の生徒達は優遇されていた。学内には専用ラウンジやフードホールなどの『特別科専用設備』が用意されている。それだけの寄附金を納めているのだから相応の待遇なのかもしれないが。
「イリスちゃん、ほら」
「え、なに?」
廊下を歩いていると、前方から青色のマントを靡かせる2人の男子生徒がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。
リチェルに促されるまま廊下の壁際に寄り、真ん中の道を大きく開ける。私達だけではなく、そこにいた全ての生徒が同じように道を開け立ち止まった。
涼やかな顔で颯爽と廊下を歩く凛とした男子生徒の姿に頬を赤らめる女子達や、憧れの視線を送る男子達。
紫のベールを帯びたようなシルバーの髪は左右非対称で、前髪の間から覗く瞳はまるでアメジストのような輝きをしていた。薄い唇。二重のハッキリした少し吊り気味の切れ長の目。左耳で月を模したピアスが揺れる。
「今日も麗しいわ…なんて素敵なの、クライス様」
うっとりと頬に手を当て熱い視線を送る女子生徒達。容姿端麗、すらっとした長い足。涼やかな目元。色素の薄い肌。確かに素敵だとは思うけれど。
「なーんか偉そうなんだよなぁ」
「偉そうじゃなくて、あの人本当に偉い人だよ。イルーナ王国の第二王子、クライス様」
「顔は良いけど偉そう〜」
「イリスちゃん、聞いてる?」
というか、何故廊下を開けなければならないのだろうか。全員が壁際に退かなくとも廊下を歩くのを邪魔しないだろう。
「なんで壁に寄るの?」
「王族の人が通る時は立ち止まって道を開けるっていうのが常識なんだけど…」
知らないの?と言いたげにリチェルが小さく首を傾げた。それに対し素直に首を横に振る。
「知らなかった」
「……流石に田舎者の私でも知ってるよ」
「え、そうなの!?」
ぶつぶつとリチェルと小声で言い合っていると、目の前を彼らが通り過ぎた。一瞬、彼の視線がこちらに向く。
しっかりと視線が合い、その瞳の冷たさに思わず口を閉じた。黙れ、そう言われているような気がしたからだ。
彼らが通り過ぎ、廊下がざわつきを取り戻すとリチェルがふう、と息を吐いた。彼女も彼の威圧を感じていたのだろう。
「やっぱ偉そう」
「だから偉いんだってば」
偉いからって周囲にあんな威圧感を与える必要あるのだろうか。
「第二王子ってことは、お兄ちゃんがいるってこと?」
「うん。フェリス=ヴァリシエ、だったかな。あんまり公の場に出ないから、どんな人なのか知らないけどね」
「へぇ」
人前に姿を現さない兄、人を威圧する弟。随分と対極的な兄弟だな、と素直に思った。人を寄せ付けないという意味では似たもの同士なのかもしれない。
「ま、いいや。関わることないだろうし」
「まあそうだね。私たち一般庶民が王族と関わることなんて一生ないよ」
この時の私達はまだ、本気でそう思っていた。
***
特別科の教室に入り席へ着くと、斜め後ろに控えていたアルバートが薄ら笑みを浮かべながら言った。
「さっきの紫髪の一つ結びの女子、噂のイリス嬢ですよ」
言われて思い出すのは、廊下でこちらを怪訝そうに見ていた1人の女子生徒だ。教室で待っていた護衛が何のことだと話に入ってくる。
「噂の?」
「ジェフ卿の推薦で騎士科に入学した前代未聞の問題児、だそうです」
その言葉に思わず口を開いた。
「ジェフ卿の推薦だと?」
ええ、とアルバートが頷く。ジェフ卿と言えば、自身も幼い頃から剣術の指南を受けている王国騎士団の団長だ。
「あのジェフ卿の推薦って羨ましすぎるだろ…というか、推薦貰ってるのに問題児ってどういうことだよ?」
護衛の男、エドガーが気になって仕方がないという風にアルバートに視線を向けた。
「なんでも、入学テストの筆記試験…ブランクだったらしく」
「ブランクって…まさか白紙?0点!?なのに何で合格?!」
そんな事があり得るのか、と心の中で怪訝に思う。ジェフ卿は入試試験の結果に口を出すような姑息な男ではない。とすれば、合格だった理由がある筈だ。そう考えていると、その答えはアルバートからすぐに出た。
「実技試験の成績がトップだったそうです」
「トップって、じゃあ俺よりも…」
「そう、エドガー。同じ騎士科のあなたよりも、彼女の実力の方が上ということ」
エドガーは若くして将来を期待された王国騎士団の団員でもある。今年から騎士科に入学し、学院内での俺の護衛を任じられている実力者だ。そのエドガーよりも先ほどの女子生徒のほうが腕が立つとは俄かに信じ難い。
「え、てことは…頭は悪いけど剣の腕はピカイチ。だから前代未聞の問題児ってことか?」
「そういうことですね」
「うわあ、なんだそりゃ。気になる〜!ね、クライス様!」
エドガーが目を輝かせそう身を乗り出してきた。彼の純粋な視線は案外嫌いではない。
「どうでもいい。俺には関係ない」
「と、いうかエドガー。そろそろ鐘が鳴りますよ。騎士科の教室へ戻らなくて良いんですか?」
「うおっ、やべ!ではまた授業後に!失礼します!」
バタバタと走り去っていくエドガーを横目に小さくため息を吐いた。もう少し落ち着けないものか。そう思っていると、心を読んだようにアルバートが小さく笑った。
「エドガーらしくていいじゃありませんか」
「お前は心を読むな」
「申し訳ありません」
微塵も悪いとは思っていないような笑みでそう謝罪をしたアルバートにも、落ち着きのないエドガーにも随分慣れたものだと目を閉じ、授業開始の鐘の音を聴いていた。