新生活のはじまり
「諸君、スティア魔法学院へようこそ。そして騎士科への入学おめでとう!」
渋い妙齢の教師が教壇に立ち、高らかに両手を広げた。
その様子を教室の後ろの方で目立たないよう頬杖をつき眺める。
今朝は朝ごはんを食べ損ねてしまったので、正直お腹が空いて集中できない。早く終わらないだろうか、今日の夕飯は何が食べられるのだろう。心ここにあらずのまま教師の説明になんとなく耳を傾ける。
「君たちが入学した騎士科は、武力・体力を重視した実力主義クラス。強き者が道を切り開くのだ!鍛錬を重ね切磋琢磨し己を磨き上げろ!」
空腹にこの熱量は胸やけしそうだな、と先生にばれないようにため息を吐いた。
「スティア魔法学院には、騎士科の他に特別科、魔法科、医療薬学科、魔法工学科がある。互いに協力しあう授業もある。しっかりコースの特性を理解しておくように」
先生の魔法なのか、チョークが宙に浮き軽やかに音を立てながら黒板に文字を描いていく。そこに書かれた「特別科」という見慣れない文字に首を傾げるが、それについての説明は一切なく熱血教師は寮の説明へと移った。
正直に言うと、入学試験は絶対に落ちたと思っていた。だから合格通知が届いた時は驚いたものだった。
まさか孤児院育ちの私が学校に行けるなんて夢にも思わなかったな、と自分の制服姿を見下ろした。ジェフおじさんに感謝しなければ。
太陽と月を信仰するイルーナ王国によって創設された国立スティア魔法学院は、その名を世界に轟かす有名校だ。入学希望者は毎年増える一方で偏差値も高い。それに加えて、専門的な知識や技術を学ぶ場として大袈裟でもなく膨大な費用がかかる。入学金、授業料、寮費、その他諸々。
孤児院出身の私がこの学校に通えるのは、王国騎士団の団長であるジェフおじさんの援助があったからだ。
教会の保護をしているジェフおじさんは、孤児院に顔を出す際に子供達に運動の一環で剣の稽古をつけている。その時、ジェフおじさんに剣の腕を見込まれ、スティア魔法学院への入学を勧められたのだ。
とはいえ、勉強なんてほとんどしてこなかったため筆記試験は絶望的だった。文字通り頭が真っ白だったが、実技試験でなんとか滑り込んだのか奇跡的に合格だったのだ。これを奇跡と言わずしてなんと言う。筆記試験の結果がジェフおじさんに知れたらと思うと寒気がするが、結果良ければ全て良しだ。
それにしても、と教室の中をぐるっと見渡す。後ろから眺める限りでは男子8割といったところだろうか。騎士科である以上それなりに覚悟はしていたが、まさかここまでとは。数少ない女子同士仲良くなれたらいいな、と頭の隅で思いながら教師の話を最後まで上の空で聞いていた。
学院内を巡るオリエンテーションが終わり、授業は明日からということで午前で解散となったその足で、早速今日からお世話になる女子寮へと向かった。
寮の部屋割りは学年毎で、学科は関係なくランダムに組まれた二人一部屋だ。いい子だといいな、と期待しながら寮母に渡された鍵を握り締め、寮内図を頼りにアンティークな螺旋階段を上がり深紅の絨毯が敷かれた廊下を歩く。その突き当たりに私の当てがわれた部屋はあった。
「角部屋だ、最高〜」
思わずそう口にしながら扉を開けると、目の前に大きく目を見開いた薄桃色の髪をした少女が固まっていた。
「あ、はじめまして。イリスです」
「は…はじめまして!リチェルです!えっと」
肩につくくらいの長さでふんわりとウェーブを描いた髪が、彼女が動くたびに軽く揺れる。彼女の肩にかかるマントの色は緑。と、いうことは。
「魔法薬学科?」
「え、なんでわかったの!?」
「マント緑だから」
「あ、そっか。そうだよね」
「うん」
もしかしてこの子、天然なのかもしれない。
そう思っていると、こちらの制服をようやく認識したらしいリチェルが閃いたように人差し指を立てて言った。
「もしかして、騎士科なの!?」
「うん。マント赤いからね」
「え、すごい!じゃあ強いんだ!」
「強いの定義が分かんないけど、体動かすのは得意かな」
なるほど~、と感嘆するリチェルを横目に制服の肩にかかったマントを外す。マントの色は学科ごとに違う。騎士科は赤で、リチェルのつけている緑は魔法薬学科。黄色が魔法工学科だったはずだ。そう言えば、と思い出した耳慣れない言葉についてリチェルなら知っているだろうかと聞いてみることにした。
「ねえリチェル。特別科ってどんな学科なの?」
「うそ、知らないの?」
「聞いたことないよ」
素直にそう伝えると、リチェルは驚いたように何度も目を瞬かせた。そこまで驚くことだろうか。
「入学パンフレットにも一応載ってたよ。小さくだけど」
「入学パンフレットなんてもらってないんだけど」
「じゃあどうやって入学試験申し込んだの?」
「知り合いのおじさんが10時にこの学院で試験だって言うから…」
怪訝な顔をしたリチェルが、ハッとして声を抑えて言った。
「………まさか裏口入学?」
「推薦入学!ズルはしてない!多分!」
「多分なんだ」
自信はない。正直、ジェフおじさんのコネで入学できたのかもしれない。真実は分からないがとにかく入学できたのだ。細かいことは気にしないに限る。
気を取り直してマントを壁掛けに引っ掛け、リチェルの荷物が置かれていないほうのベッドに腰かけた。小さくギシ、と木の軋む音がしたが、孤児院の何倍も柔らかいベッドに小さく感動した。それを見ていたリチェルも同じようにベッドに腰かけると、わっ!と小さく声を上げた。
「すごい、ベッド柔らかいね!」
「ね、私も今地味に驚いてた!」
些細なことだが、同じ気持ちになったことで一気に心の距離が縮まったような気がして嬉しくなる。価値観が似ているというのは一緒に生活する上でとても大事なことだと思う。彼女とは仲良くやっていけそうな予感がした。
「えっと、なんだっけ。特別科についてだった?」
「うん。他の学科はジェフおじさんから聞いてたけど、特別科なんて聞いたことなかったから」
「うーん。もしかしたら入学に関係ないから言わなかっただけかもね」
「関係ないって?」
「特別科は入学時に学院にお金をたくさん寄附した子が入れる特別クラスなの」
つまり、と一度話を止めたリチェルは、ゆっくりと息を吐いてから眉間に皺を寄せ再び口を開いた。
「金持ちの集まり。入学試験もカタチだけ。お金で全部解決するような奴らってこと」
嫌悪感隠さず吐き捨てるようにそう言った彼女がなんだか意外だった。何か事情があるのだろうか。かといって初めて会ったばかりの私が踏み込むべきじゃない。そうなんだ、と相槌を打つに留めた。
「教えてくれてありがと」
「というか、イリスはどうして推薦入学できたの?」
「あー…孤児院出身なんだよね、私」
「え…?」
戸惑うように眉尻を下げたリチェルに苦笑いして手をひらひらと振った。
「しかも7歳くらいまでの記憶がなくてさ、嫌な思い出とかも一切ないから全然大丈夫。普通に毎日楽しく暮らしてたよ」
「そんな…」
理由はどうであれ親に捨てられた子。家族から逃げてきた子。身売りされそうになった子。孤児院に暮らすのはほとんどがそういった事情を抱えた子供だ。リチェルが痛ましそうに胸を抑えるのも普通の反応だ。むしろ彼女の反応は好ましいほうだった。同情してくれるなら優しいほうだ。
酷い時は差別を受けることさえあった。商品を売ってもらえなかったり、盗みをしたと濡れ衣を着せられることも一度や二度じゃない。教育がなってない、卑しい子に違いない。そんな思い込みと偏見の目を向けられることの方が多い。
「ありがとね。孤児院出身って言うと大体引かれるから」
「ううん…それに私だって」
そこまで言って、リチェルはぎゅっと口を閉じた。きっと言いたくないのだろう。それなら言わなくていい。空気を変えるようにグッと両腕を上に伸ばして立ち上がった。
「さて、と!食堂いかない?もう朝からお腹ペコペコでさ~」
「!うん、そうしよう。私もお腹空いちゃった」
彼女の顔に笑顔が戻ったのを確認して、よし行こう!と元気よく二人で女子寮の食堂へと向かった。