2・1 死神公爵と遭遇
「ふぁっ! 『ソフラテフはかく語りき』の初版本! あ、ヴィンチの『建築全史』! うっ。『マルクン自省録』もある。どれにしよう……!」
選べないっ。読みたい本ばかりだもの。もしかすれば私の命は長くない。だとしたら読める本も少ないのだから、心して選ばないと。
部屋の壁すべてを埋める、素晴らしい本、本、本の海を前にして、どうすればいいのかわからず、うろうろと歩き回る。
クラルティ邸の図書室。さすが伝統ある公爵家だけあって、稀覯本がごろごろしている。もしかしたら最高の結婚なのでは?と思うほどに。
本当ならば招かれざる花嫁の私なんて、食事以外は部屋にこもっているべきなのだけど、蔵書を自分の目で見たい誘惑には勝てなかった。
だって禁書を所蔵しているような屋敷なのよ?
祈る思いで図書室に行きたいと執事長にお願いをしたら、あっさりと了承された。私がよほど悲壮な顔をしていたのかもしれない。
「ああ、どうしよう。どれを最初にする?」
「『王政の仕組みと変遷』は読み終えたのか」
突然背後で声がして、飛び上がった。振り向くと開け放したままだった扉のそばに、公爵と従者が立っている。杖の音に気づかなかった――と思ったけれど、屋敷の廊下には毛足の長い絨毯が敷いてあるのだった。
彼にお会いするのは初日に挨拶をして以来、三日ぶりだ。
「はい。お貸しくださり、ありがとうございました」膝を曲げる。「おはようございます、閣下。朝からお邪魔をして申し訳ございません。すぐに退出します。本を一冊選んだら」
「書物が好きなのか」
「はい」
「あれを三日で読み終えるのは、相当に早い」
「集中して読むことができたので」
起きている時間の、食事と身支度以外のすべての時間を読書に当てられたもの。
ふむ、とうなずいた公爵は、コツコツと杖の音をさせながら私のそばにやってきた。歩くのは早くもなく遅くもない。足はひどく悪いわけではなさそうだけど、引きずりぎみだ。バランスが悪い。杖がなかったら苦労しそうだ。
公爵はじろじろと私を観察した。そして、
「伯爵家は困窮しているのか? ずいぶんと粗末な衣服だ。それとも『死神』への供物はこの程度でも良いと考えているのか」
やっぱり、服装を指摘された。伯爵令嬢らしくないものね。言い訳を用意しておいてよかった。
「ほとんどのものを慰謝料のたしにするために、売り払ってしまったのです。みすぼらしい格好で申し訳ありません」
「そうか」
もちろん公爵が調べれば、すぐに嘘だとわかってしまう。今のヴィオレッタは豪華に装っているはずだから。彼女は外国の貴族嫡男にターゲットを変えるつもりらしい。都の社交界へは顔を出せないから、お父様と一緒に出国すると話していた。
公爵はなおも私をじろじろと見る。
「あの、なにか……?」
「『四人目』になる覚悟はできたのか? 今ここで私がお前に手をかけるかもしれないぞ」
「ああ、そういうこと」と言ってから、慌てて手で口をふさぐ。「失礼しました。『そういうことでございますか』」
ろくに屋敷を出ない生活をしていたから、敬語は苦手なのだ。
――いや、違う。会話が苦手だから、人付き合いをしたくなかった。
公爵はジロリと睨んだ。言葉遣いを怒ったのかと思ったけれど、違うようだ。
「なぜ私を恐れていない」
「それは、失礼ながら」彼の左足をちらりと見る。
「――私の足か」
「はい。いくら相手が女性でも、片手でバルコニーから突き落としたり、マントルピースに打ち付けたりは難しいかと。逆に杖を手放されたらバランスが悪くなり、暴力行為は難しいでしょうし、女性でも反撃できそうです」
足の不具合が演技ということはないと思う。そんなことをする意味がないもの。
それにイレーネによれば、先妻たちが事故にあったとき、いずれも公爵は別のところで何人かと共にいたという。もちろん彼女が嘘をついている可能性はあるけれど。
「だから自分は『四人目』にはならないというのか」と公爵。
「いえ。偶然事故が続いたとは言い切れないかな、とは考えています」
すべての件に目撃者はいないらしい。先妻たちはひとりきりでいたときに事故にあい、死んだ。
おかしいと思う。この屋敷には使用人が多い。専属メイドは頻繁に、ご用がないかと『奥様』の様子を確認しにくる。
「閣下以外に殺人鬼がいるのかもしれないし、公爵家が呪われているのかもしれない。私にはわかりません」
「逃げないのか?」
「閣下が逃げてはならぬとおっしゃいましたが」
公爵は眉を寄せた。
「それにこの蔵書を知ったら、離れがたいです」ぐるりを見渡す。「なんとか四人目を回避して、できるだけ長く本を読めたら嬉しいのですけど――閣下は迷惑ですよね。どうすればいいのか悩んでしまいます」
「……そうか」
「ところで閣下のお勧めはどの本ですか。自分では決められなくて困っています」
公爵は少しだけ横に動き、書架に手を伸ばした。その先にあるのは『ソフラテフはかく語りき』。かなり分厚くて大型だ。
「私が取ります」
近寄ると公爵は手をおろしたので、代わりに本を取る。見た目どおりに重くて、両手で持った。
「ありがとうございます。では失礼を」
「待て」
踏み出しかけていた足を止める。
「午後に叔父が帰ってくる」と公爵。「呼ぶから顔を見せるように」
「叔父様……?」
『帰ってくる』ということは、ここに住んでいるということ? 実家の執事が調べた情報には、そんな人物のことはなかったのだけど。
「父の末の弟なのだが」と公爵。「放蕩がすぎて祖父に絶縁され、別の姓を名乗っている。だが私にとっては大切な叔父だ。王都にも頻繁に滞在しているから、会ったことがあるのではないかな」
「……っ!」
なんてことだ。
そんな親戚がいただなんて。
かなりマズイ。私は社交界のことなんてなにも知らないのだ。きっとヴィルジニーではないと気づかれてしまう……。




