14・6 襲撃
どれほど経ったか。また、窓が叩かれた。
先ほどよりもっと具合の悪そうな隊長が、『申し訳ございません』と謝る。
「脱落者が何名か出そうです」
「構わない、あとで合流を――」
リシャール様の声が叫び声でかき消される。
「賊です! 賊が出ました――!!」
隊長が振り返り、舌打ちをする。
「横道から、ざっと八人ほど。脇を固めます」
そう言って隊長が離れていく。馬車の速度がますます上がる。
リシャール様が私のとなりにすわり直して、手を握りしめてくれた。その手を握り返す。
「ダミアンが雇ったのでしょうか。ずいぶん手回しがいいですね」
恐怖を紛らわせるため、ことさら笑顔を作って話しかける。
「ああ。テールマン子爵の到着など待たずに、発てばよかったのかもしれない」
「仕方ありません。殿下たちが滞在しているのですから」
そんなことを話しているうちに、窓越しに見える護衛たちが苦しそうに背を丸め始めた。
ひとり、ふたりと姿が見えなくなって、最後には隊長もいなくなってしまった。
でも賊が追いついている様子はない。
「大丈夫でしょうか」
リシャール様は窓の外をじっと見つめている。
「リシャール様?」
「……橋だ」
「橋?」
おうむ返しに訊き返すと、彼が振り返った。顔が青ざめ強張っている。
「この先に、昔私が事故にあった橋がある。あのときも雨上がりだった」
リシャール様の手を強く握りなおす。
「私がおそばにいます。もしものことがあれば、お助けします。だからなにがあっても、大丈夫です」
「……そういうのは、私が言うべきだな」
泣きそうな顔でリシャール様が首を横に振る。
「私がダメそうなときは、助けてください」
「ああ」
馬車が立てる音が変わる。たぶん、橋を渡っている。リシャール様が緊張しているのがひしひしと伝わってくる。
やがて、またもとの音に戻った。
リシャール様がほっと息をつく。
「ヴィオレッタ――」
ガタンという音とともに、馬車が大きく傾いた。
「――っ!」
体がすべり、リシャール様にぶつかる。
激しい衝撃と、バキバキというなにかが割れる音、馬のいななき。
なにが起こったのかよくわからないまま、気づくとリシャール様の上に倒れていた。馬車が横転している。
「リシャール様!」
「ヴィオレッタ!」
お互いに大きな怪我はなさそうだ。
割れた窓の隙間から、外に出る。まずリシャール様が杖を片手に。それから彼の助けを得て、私が。馬車の車輪が、地面に不自然に大きく開いた穴に落ちて壊れていた。落とし穴を掘られていたらしい。
なんとか馬車から出てみれば、目前に顔を隠し、荒くれ者のような格好をしていた男がひとりいた。
「お貴族様の護衛ってのは、強いんだな。俺しか残らなかったぜ」
リシャール様が私を守るかのように前に出る。右足を引きずり、杖に体重を乗せている。
あたりにほかには誰もいない。護衛騎士たちも、後続の馬車も、賊も。
恐ろしくて心臓が早鐘のように鳴っている。
ダメ、落ち着くのよと自分に言い聞かせる。リシャール様とふたりで、助かるのだから。
「誰の差し金だ」と、リシャール様が訊く。
「知らねえよ。それよりほら、出せ。大事なもん」
リシャール様は動かない。
「さっさとしねえと殺すぞ!」男が叫ぶ。
「なんのことか、わからない」
言い争うふたり。男が剣を抜く。
と、背後にひとの気配を感じた。
馭者かなと思い振り向こうとしたところで、背中側から首に腕を回され引き寄せられた。
苦しくなって咳き込む。
「ヴィオレッタ!」
「ほうら、さっさと出さねえと嬢ちゃんが死ぬぜ?」
咳き込みながらも、私を羽交い絞めしている男を見上げる。やはり顔を隠している。
でも、香る香水に覚えがある。ダミアンのものと同じだ。
青ざめたリシャール様が、ふところから封書を取り出して男に渡した。男がダミアンらしき男に見せる。
「小賢しい」そう言う声は、やはりダミアンだった。「よく似た封筒だが、偽物だな。これが見えないか?」彼は私の顔のそばで、剣をちらつかせた。「早く本物を出せ」
「……ホーリーを殺したのもお前たちか?」リシャール様がダミアンを見つめながら尋ねる。
「そうだと言ったら?」と、ダミアン。
ふたりの会話を聞きながら、必死に息を吸って気持ちを落ち着かせる。怖いけど、怯えるのはあとだ。
ケープにしがみつくふりをして、中に隠した短剣を逆手に持った。
手が震えそうだ。
でも、リシャール様が本物の封筒を取り出そうとしている。
きっと今なら、ダミアンはそちらを注視しているはず。好機だ。
思いっきり腕を振り、短剣をダミアンのお腹に突き立てた。
叫び声と共に、首を締めていた腕がとかれる。ドサリと倒れるダミアン。
「このっ!」男が叫んで剣を振り上げた。
リシャール様がすぐさま杖で男の手を打つ。首に次の一撃を入れ、よろけたところで心臓を正面から突いた。
男が倒れる。
「ヴィオレッタ! 逃げるぞ!」
リシャール様が差し出してくれた手を握る。
走り出そうとしたとき、馬が駆けくる音に気づいた。
賊の仲間か、と思った次の瞬間
「公爵閣下! ご無事ですか――っ!」との声が届いた。憲兵の一団だった。
「よかった、ヴィオレッタ!」リシャール様が私を抱きしめた。「すまない、恐ろしい思いをさせて。本当にすまない」
安堵なのか恐怖なのか。涙が出そうだ。けれど、必死に耐える。
これ以上、彼を心配させたくない。
安心してもらおうと、見上げて微笑む。
リシャール様は泣きそうな表情だ。
「いえ。リシャール様がいてくれたので、大丈夫です」
「ヴィオレッタ……」
更に強く抱きしめられた。
少しづつ、怖さと緊張がほどけていく気がする。
リシャール様の腕の中は、安心できる。
私は彼を好きなのだと確信した。




