14・3 恐ろしい可能性
「それはどういうことですか」
という声と共に、リシャール様が開け放してある扉から、入って来た。戸口にランスが控えている。
「怒らないでくれ」とジスモンド様。「話さなかったのは、悪かったと思っている」
「違います。都に移る件です」
リシャール様がそばに来たので立ち上がり、椅子を譲る。
だけど彼は『これも訓練だから』と、私を座らせた。
「転居のほうか」とジスモンド様。「お前の足はいずれ元に戻る。それだけ努力をしているのだからね。だから僕も努力するよ。いや、全力を尽くすことにする。都に移って、お前からもクラルティからも、自立する」
それってもしかして、作家としての収入で生計を立てるということ?
リシャール様に打ち明けるの?
「ではあちらのタウンハウスをお使いください。名義を叔父上に変えます」
何も知らないリシャール様がそう提案すると、ジスモンド様は
「それでは自立とはいえないよ」と笑った。「援助は必要ない。隠していたけど、実はそれなりの資産がある」
それからジスモンド様は、作家としての名声と莫大な収入を、かなり昔から得ていることを打ち明けた。折よく机上には書きかけの原稿があったし、なにより私が出版社の方との打ち合わせを目撃している。リシャール様は驚きながらも、信じざるを得ない。
でもそのうちに、怒り出した。
「どうして隠していたんですか!」
それはそうだ。私もとても気になっている。
「他人よりも優れている面を少しでも見せると、父上がマティアス兄に、お前ではなく私を跡継ぎにしろと迫っていたからだよ」
そう言ってジスモンド様は困ったような顔をした。一方でリシャール様は愕然としている。
「作家になったころには父上はすでに亡くなっていたが、どこからそれを蒸し返されるかわかったものではなかったからね」
『特に陛下あたり』とジスモンド様は付け加えた。
「私が叔父上の足枷になっていたのですね」
「そうではないよ。僕は真正面から向き合わずに、逃げていただけだ。でも僕もリシャールのように、焦れるものを『欲しい』と言えるようになりたいし、言わせてあげたくなったんだ。ヴィオレッタのおかげだね」
リシャール様が私を見る。昨夜のように真剣な眼差しで、心臓が跳ね上がる。
鼓動があまりに騒がしくて、聞かれてしまいそうだ。
「そして僕の秘密、ふたつめ」
え?
驚いてジスモンド様を見る。作家のほかにも、隠していることがあったの?
「これは、たまたまそういう状態になってしまったのだけど」とジスモンド様。「高位貴族なんかの相談役のようなことをしている」
「お仕事でですか?」と尋ねる私。
「いや、無償でだ」
ジスモンド様によると、ことは近衛見習いとそのあとに少し働いていた官僚の時代に、遡るという。
『アドバイスを求められれば、的確で有益な返答をする。貴族の出ではあるが、どこかの派閥に与することもないし、口も固い』ジスモンド様は、そんな風に重宝されたそうだ。
そしてそれが、一部の貴族社会にひそやかに広まったという。
彼が王宮を自由に歩いていても咎められないのは、影で彼を重宝しているひとたちがいるから。それは悪口を叩いているような人間より、遥かに力のある人間らしい。
ジスモンド様が言う『人脈』は、実はご婦人たちではなくて、こちらの貴族たちのことだそうだ。
「だから」とジスモンド様。「頼めば、王宮で官僚か侍従として、働くことができると思う」
「叔父上――」
「これで僕の問題は解決。転居も就職も、クラルティの力はまったく必要はない」
ジスモンド様はリシャール様の言葉を遮って、宣言した。それから指を一本立てる。
「リシャールにとって重要な話はここからだ。まずは、ホーリー」
以前彼から聞いたところによると、三度目の結婚が決まったことを知ったのは、他国にいたときだそうだ。この結婚も急なもので、婚約期間は短かった。ジスモンド様はすぐさまクラルティ邸に駆けつけ、なんとか間に合った。
ホーリー様とはお互いに顔は知っていたけれど、会話をしたことがあるかどうか悩む程度の間柄だったという。
そしてクラルティ邸での彼女は、王宮にいたときとは違って、いつも神経を尖らせていた。ジスモンド様ともろくに口をきかなかったそうだ。
やがて、ホーリー様は事故死した。
事件後に王都へ行ったジスモンド様は、ホーリーについてそれとなく聞きまわった。けれど親しい間柄のひとはみつからず、結婚の経緯も、彼女がどう思っていたかもわからない。
一番信憑性のある情報は、とある上位貴族が教えてくれた『陛下はクラルティ公爵に、身分が低く婚期を逃したつまらない令嬢をあてがって、悦に入ってるようだ。あれは嫌がらせの結婚だよ』というものだった。
「僕が調べたときは、キャロライン殿下の名前なんて一度もでてこなかった」とジスモンド様。
「意図を悟られないように、ご本人が隠したのではありませんか」
「そうだとは思う。だた、徹底しすぎている気もする」
「それにホーリーが漏らしていることも変ですね」とリシャール様。
「そうなんだ。はっきりしないことが多い。それが気にかかる。とはいえ、キャロライン殿下に尋ねれば、明らかになるだろう。だけどここで次の問題だ」
ジスモンド様はそう言って、表情を強張らせた。
「ダミアンも、情報が集まらなかった」
彼は私に向けて、『王都にいたときに必要があってね』と言い添えた。
「外見が目立つから、その点での噂話くらいならあった。だけど官吏としては、ほぼなかった。地方へ移動になったことも、話題になっていない」
「そんな人が、王太子殿下の命でマグダレーナ様の監護につくのは、不自然に思えてしまします」
「そのとおり」とジスモンド様が大きくうなずいた。「僕の知る限り、交友関係の繋がりもない」
「今回の件は怪しいということですね」そう言ってリシャール様は息を吐いた。「昨夜はすみませんでした。叔父上の心配を理解できていなかった」
「それは、もういいさ。きちんと伝えていなかった僕が悪い」
よくわからないけれど、これで仲直りしたのだろうか。
リシャール様の横顔を見つめていたら、『もう大丈夫』と微笑んでくれた。
よかった。
ほっと胸を撫でおろし、思い出したことを伝える。
「昨日、彼はセドリック殿下とマグダレーナ様が再び婚約するように、密命を受けていると話していました。でも、そのわりには部屋から出てきません」
「なるほどね」とジスモンド様。「命令自体はありうることだ。だが彼の行動はおかしい」
「ですね」とうなずくリシャール様。
それから、
「ダミアンが王太子殿下と繋がっているとしたら、厄介だな」と呟いた。「真の目的はなんだ? ふたりで私から爵位を奪う計画でも立てているのか?」
「殿下に大きな得があるとは思えない。だが、僕たちにはわからない、何かがあるのかもしれないぞ」
ジスモンド様とリシャール様で、考察し始める。
ただ、私はもうひとつ、思い出したことがあった。
王太子殿下。
私と雰囲気が似ているホーリー様。
「リシャール様、ジスモンド様。私は一度だけ王太子殿下とお話をしたことがあるのですが」
ふたりが私に目を向ける。
「そのときに、化粧っけがなく、根暗で弱そうだと気に入られて、侍女になれと言われました。キャロライン殿下によると、王太子殿下はお気に入りの顔を自分のまわりに置きたがるとか」
「ああ、それは聞いたことがある」とジスモンド様。
「先ほどマグダレーナ嬢が、ヴィオレッタとホーリーの雰囲気が似ていると言っていたな」と、リシャール様が目をみはる。
「はい。もしかしてホーリー様もお気に入りだった、なんてことはないでしょうか」
不審死を遂げた、元侍女のホーリー様。
彼女を気に入っていたかもしれない王太子殿下。
殿下と謎の繋がりがあって、ホーリー様が亡くなった屋敷に無理やり滞在しているダミアン。
「お気に入り侍女の不審死に立腹し、それを利用してリシャール様とジスモンド様に冤罪を着せ、ダミアン様がクラルティを手に入れる。――考えすぎでしょうか」
思いついた可能性は、あまりに突飛だ。
でも、なぜだかこれが正解のような気がした。




