14・2 ジスモンドの決意
アルフレードが一礼して部屋を出ていくと、
「男の部屋にふたりきりというのは、よくないのだけどなあ」
と、ジスモンド様は苦笑した。
彼が向かっているライティングデスクの上には、ペンと書きかけの紙とインク壺がある。
「お仕事の邪魔をして、すみません」
「僕にはすべき仕事なんてものは、ないよ」と、生活力のない遊び人と思われたい人は嘯いた。「でも、今は手を離せなくてね。ここで失礼するよ。ヴィオレッタはそこへ」と、彼はデスクからやや離れたところにある、円卓の椅子を示した。「どうぞ」
礼を言って、すわる。
「それで用件はなにかな」
「リシャール様とケンカをしたのですね」
単刀直入に質問すると、ジスモンド様は目を見張ってから、
「本当に君は、ぽやぽやしているようで鋭いなあ」と笑った。
「リシャール様には『ちょっとした意見の食い違いだから、心配しないで』と言われました。私がお力になれることはありますか」
リシャール様にも同じことを尋ねたけれど、断られてしまった。ケンカしていること自体が、『いい歳をして……』と恥ずかしいらしい。
「ヴィオレッタはリシャールのためにがんばってくれるね」と、ジスモンド様は微笑んだ。
「お役に立ちたいのです」
「素直に口にできて、いいね」
優しい、いつもの口調だった。けれどジスモンド様は私から顔をそらし、それ以上はなにも言わなかった。横顔が、やけに辛そうに見える。
少しの間だけ逡巡し、それから、
「キャロライン殿下のことですか」と尋ねた。
返事はない。
でも、それこそが返事だ。
ジスモンド様になんて声をかけていいのか、迷う。
リシャール様とホーリー様の結婚の経緯は、あの予想で間違いないだろう。セドリック殿下もマグダレーナ様も同意見だった。
となれば、出奔したセドリック殿下を追って来たのが王女である彼女だったことも、クラルティ邸に着くまで追いつかなかったことも、ここでの滞在を許可して自分まで留まったことも、全部ジスモンド様が目的だったに違いない。
なにも言わず、なにも態度に出さず、ただ、そばにいるためだけに。
「僕にとってはね、可愛らしい、幼い姫君だった」
ジスモンド様はよそを向いたまま、懐かしそうな声で言った。
「よくあることだ。見目好いものへの憧れ。幼少期に起こりがちだ。いずれ現実を知り、目が覚める。そう思っていたよ」
言葉が過去形だ。幼い姫だと思っていたのも、目が覚めると思っていたのも。
「なのに、大人になっても目が覚めなかった。だけど奔放なようで、自分の立場をよくわきまえているひとだ。最後までなにも言わずに、凛々しく嫁いで行った。僕は父親のような気持ちで見送ったものだよ」
確かキャロライン殿下が結婚したのは、十八歳だ。今の私と同じ年齢だ。
想う人がいるのに気持ちを伝えることもできず、他の人と結婚するというのはどういうものだろうと考えて、なぜだかリシャール様の顔が浮かんだ。
「傷つけられて帰ってきて、それでも泣き言ひとつ言わずに立派だった。多くを経験してさすがに、僕にはなんの価値もないと、気づいただろうと思っていたんだけどね」
ジスモンド様はそこまで話すと、また沈黙してしまった。
そしてだいぶ経ってから、
「困ったものだね」と呟いた。
「難しい立場ではあっても、おそばにいることはできるのではありませんか」
ジスモンド様が私を見た。無表情だった。そんな顔は初めてだ。
「ジスモンド様は王宮内を自由に行き来できるようですし」
「僕はなにも望んでいないよ。望むことがあるとしたら、いい加減、目を覚ましてほしいということぐらいだ」
どうするか、再び迷う。
でも、思い切って、
「嘘ですよね」と言った。「だってジスモンド様はハンナローナ様とヘルミナ様のことはきっぱり拒絶して、距離をとったではありませんか」
脳裏に、王宮の庭園を楽しそうに散策していたジスモンド様とキャロライン殿下の姿が浮かぶ。
ジスモンド様が本当に困ったと思っているのなら、あんなことはしないだろう。
彼はしばらく私を見ていたけれど、また顔を反らした。片手で目を覆う。
「……君という子は、本当に鋭い」
「ごめんなさい」
やっぱり、余計なことを言ったのだろうか。
ジスモンド様がこんなに参ることがあるとは、思いもしなかった。
だけどどうして、キャロライン殿下の話になったのだっけ?
リシャール様とのケンカをなんとかしたかっただけなのに。それとも原因が、彼女だったのだろうか。
リシャール様のことだからジスモンド様の気持ちに気づいて、爵位を譲るという話になり、それで口論になったのかもしれない。
「私にお役に立てることはありますか?」
ああ。バカのひとつ覚えみたいに、同じことしか訊けなくて、情けない。
でも王女との身分差がある恋なんて、どうしていいのかわからない。本を読むことは好きだけど、恋愛小説はあまり嗜んでこなかった。
「そうだな」と言って、ジスモンド様は目を隠していた手を離した。「リシャールを支えてくれれば、嬉しい」
彼は私を見て、にっこりとした。とても悲しそうに。
「僕はどうにも卑怯な人間だ。昔から、ずっと」
「そんなことは――」
「リシャールの力になるふりをして、犯した罪を帳消しにしたかっただけだ。殿下のことも、身分を言い訳にして向き合おうとしなかった。僕はいつだって逃げている」
ええと。
なんて言葉を返すのが正解なのだろう。
気休めの言葉を言えばいい?
「ヴィオレッタは偉い」とジスモンド。「逆境にあっても、しっかり前を見据えて進んで行く。君がリシャールと共にいてくれれば、僕は安心だ」
「それはどういう意味ですか。まるで――」
リシャール様から離れていくかのような言い方だ。
「自立が必要ということだよ。リシャールも僕もね。全部、ヴィオレッタがクラルティ邸に来てくれたおかげだ」
「そう言っていただけるのは嬉しいですけど。ジスモンド様はここを離れるおつもりですか」
「元々、いるのは年の半分くらいだよ」
そう言って再び彼は笑った。今度は悲しそうではなかった。
「でも、ここを拠点にするのはおしまいだ。都に移る。その前に僕が知っていることは、話しておかないとね」




