13・1 突然の来客
クラルティ邸に戻ってきてから、ひと月が過ぎた。私は素敵なひとたちに囲まれて、楽しく過ごしている。
幸いなことに、お父様たちは隣国でなんとか暮らしているらしい。あちらに住むジスモンド様の恋人が手紙で知らせてくれた。
ただ、リシャール様の三番目の奥様の事件調査が行き詰まってしまい、困っている。キャサリン殿下の調査でも、芳しい成果がなかったそうだ。なにしろ、本当に手がかりも目撃者もゼロなのだ。
ホーリー様はクラルティ邸の誰にも心を開かず、ひとりで部屋に閉じこもりがちだったとか。
メイドたちも困っていたものの、ホーリー様は『あなたたちを嫌いという訳ではないのよ。ただ、ちょっと……』と言うので、いつかはこの屋敷に(というよりリシャール様に)慣れるのだろうと考えて、無理には近づかず、様子を見ていたのだそうだ。
だからホーリー様が亡くなったときも、そばには誰もおらず、事故の物音や悲鳴を聞いた者もいないという。
彼女が倒れているのを見つけたのは専属メイド。
そのときリシャール様は応接室で司教様からの陳情をきいている最中で、ジスモンド様は司教様が供として連れてきた見習いの少年と、別室で歓談していたのだそうだ。
状況からリシャール様もジスモンド様も潔白――のように見えるけれど、ホーリー様をこっそり殺害してからお客様の対応に出たという可能性が、ないでもないらしい。
もちろん、そんなことはないと私は信じているけれど、必要なのは確かな証拠だ。
でも、こればかりは、無理そうだった。
なんとかリシャール様のお気持ちを、軽くしてあげたかったのだけれど……。
◇◇
「馬車がくるな」
と、セドリック殿下が顔を窓に向けた。
「来客の予定はないはずです」とリシャール様が言って、やはり窓を見る。
ジスモンド様が、
「こういう場合はたいてい、イヤな親戚連中だ」と、顔をしかめる。
「もし、そうだったら俺が追い返してやる」
そう言って、セドリック殿下がにやりとした。
応接室で、みんなで午後のお茶を飲んでいる。
リシャール様がこんなにゆっくりした時間を持てるようになったのは、ここ二、三日のことだ。もしあの馬車が本当に、いやな親戚ならば、はっきりいって、邪魔されたくない。
なんでもなければ、よいのだけど。
でも、私たちのそんな思惑は外れ、やって来たのは驚くべきひとだった。
執事長アルフレードに呼ばれて玄関ホールに急ぐと、そこにいたのは公爵令嬢のマグダレーナ様だったのだ。
「なんでお前が!」と叫ぶセドリック殿下。
マグダレーナ様は戸惑い顔をリシャール様に向けた。
「キャロライン殿下からのお手紙を、お読みになっていらっしゃらないのでしょうか」
今度は私たちが戸惑う番だった。殿下からのお手紙なんて、誰も受け取っていない。
「手紙が届いていないのか? 郵便に文句を言わないとだな」
そう言ったのは、マグダレーナ様のとなりに立つ青年だ。従者なのかと思ったけれど、口調からすると、違うのかもしれない。
「お前は誰だ」とセドリック殿下が青年を睨む。
「これは失礼しました」と青年。「リシャール・クラルティの従弟で保健省に務めている、ダミアン・テールマンです」
リシャール様の従弟?
テールマンということは、ここへ戻ってきた日に会った、失礼な子爵の息子ということ?
驚いてリシャール様を見ると、珍しく苦々し気な表情をしていた。ということはつまり、この青年も『イヤな親戚連中』に含まれるのだろう。
ジスモンド様も、あからさまに不機嫌な表情だ。
そうよね、いくら従弟とはいえ公爵を呼び捨てだもの。関係が伺えるわ。
でもダミアンは気にすることなく、続けた。
「私は現在休職中なのですが、ブランドン王太子殿下のご命令で、マグダレーナ公爵令嬢の監護責任者をしております」
「どういうことだ」とセドリック殿下が迫る。
マグダレーナ様は、表情を強張らせてうつむいた。
◇◇
簡単に言うと、マグダレーナ様は父親のウンケル公爵から逃げてきたらしい。
公爵は彼女を第一王子のブランドンと結婚させて、王妃にするつもりでいた。ところがその目論見は外れ、第二王子の婚約者に選ばれてしまった。それだけでも不満だったというのに、第二王子にまで婚約破棄された。
憤懣やるかたないが、でもこれは他の国の王族に嫁ぐチャンスだと気持ちを切り替え、あちこちに釣書を送ったそうなのだが、色よい返事はひとつも来ない。
公爵の不満と怒りは、娘に向いた。
『王妃になれない不出来な娘などいらない』
そう詰って、公爵は彼女を修道院に押し込めようとしたという。
修道女になりたくなかったマグダレーナ様は、キャロライン殿下に助けを求めた。
そしてキャロライン殿下は、ウンケル公爵に対抗できる地位を持つリシャール様のもとへマグダレーナ様を避難させることにして、陛下の了承も得たのだそうだ。
「その過程で、どうしてお前が出てくるのだ」と、ジスモンド様がダミアンをにらむ。
場所は応接室に移った。
マグダレーナ様はずっと黙っていて、すべてを語ったのはダミアンだ。
彼は柔らかな物腰に流ちょうな口調で、好青年のように見える。おまけに『クラルティらしい』金髪碧眼で、見た目も良い。
でも、どことなく、私は好きになれそうになかった。
先入観があるのかもしれないけれど。
「ウンケル公爵から彼女を守るための役人がいたほうがよいと、ブランドン殿下が判断なさったのだ。確かにリシャールには地位はある。だけど世間知らずだからな」
……失礼な人だ。
「だから、なぜそこでブランドン殿下とお前が出てくる。マグダレーナ嬢が頼ったのは、キャロライン殿下なのだろう」
そう尋ねたリシャール様の声も、不愉快そうだった。
「そもそもの発端は、ブランドン殿下が彼女を妃に迎えなかったことだからな。気にしていらっしゃるんだ。で、俺は」とダミアン様は初めて、困ったような顔をした。「実は人間関係でつまずいてな。医師に仕事から離れて療養するように勧められている。一度クラルティに助けを求めに来たんだが、お前たちと入れ違いになってしまった」
「図々しい!」とジスモンド様。「なぜリシャールがお前を助けなければならない」
「ほかに行く当てがないんだ。父上には情けない姿を見せたくないし。それで殿下が、療養も兼ねて俺に行ってこいと命じたわけだ」
「迷惑なことだ」とジスモンド様。
「これが」とダミアンが手紙を差し出した。「ブランドン殿下からの正式な依頼書だ」
確かに封蝋に王家の紋がある。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ありません」と、マグダレーナ様が頭を下げる。
「あなたのことは、歓迎しています」と、すかさずリシャール様が言った。「テールマンを屋敷に入れたくないだけのこと。身内の恥をさらして、こちらこそ申し訳ありません」
「そうですよ」と笑顔を向けるジスモンド様。「女性はいくらでも大歓迎です」
「私もマグダレーナ様がいらっしゃって、嬉しいです。私には親しいご令嬢がいないのです。もしよければ、私に令嬢界のことを色々と教えてくださいな」
「令嬢界ってなんだよ」とセドリック殿下が笑った。それから、プイっとそっぽを向く。「まあ、マグダレーナが俺がいる屋敷でも構わないのなら、好きにすればいいんじゃないのか」
マグダレーナ様が儚げに微笑む。
家族からひどい扱いを受けていたなんて、他人事とは思えない。
ダミアンはともかく、マグダレーナ様にはぜひとも、クラルティ邸でゆっくり過ごしてもらいたい。




