12・〔幕間〕公爵閣下は気がつく
一口大にしたパンの昼食を食べながら書類を読んでいると、また叔父上が入って来た。二日連続だ。
「今日もこんなひどい食事か。アルフレードが自分よりリシャールが先に死ぬんじゃないかと心配していたぞ」
「あながちありえない話じゃないな」と自分の机に座ったランスが呟く。「アルフレードさんは不死のような気がする」
「確かに」と楽しそうに笑う叔父上。「ところでリシャール、聞いたかい? 僕が君の妻を殺害した新説。セドリック殿下提唱らしい」
視界の端でランスがピクリとした。
「ええ。叔父上が私を大切にするあまり、妻に相応しくないと排除しているというのでしょう?」
『なるほど』とランスの呟きが聞こえる。
「何度も言ってはいるけれど、僕は殺していないよ」
「わかっていますよ。私もです」
「リシャールはそんな子じゃないさ。外の人間は知らないだろうけど。でもヴィオレッタはわかってくれている。いい子だ」
――まただ。胸の奥がもやっとした。
「ん?」
叔父上が机をまわってそばにやってきて、顔を私に近づけた。
「この香りは知らないな」
「本当に鼻がいいですね。記憶力も」叔父上の能力の高さに、思わず笑ってしまう。「昨日、ヴィオレッタとセドリック殿下からいただいた香水です」
「さっそくつけたのか。ヴィオレッタが相当時間をかけて、真剣にお前に似合うのを選んだらしいからな」
「大切に使いますよ」
「いいや。早く使い切って、また選んでもらえばいいのさ」
昨日のことを思い出す。ヴィオレッタに、『次に街に出るときは、一緒に行きたい』と言ってもらったのだ。私もぜひそうしたい。彼女になにか、喜んでもらえるものを、一緒に選んで贈りたい。
ああ、でも彼女が選ぶのは書物かもしれない。それはそれで彼女らしい。
書物の前で目を輝かせている彼女が脳裏に浮かび、思わず顔がほころぶ。
だけど私も、身につけられるものを――
「おや。ヴィオレッタと殿下だ。散策かな」
叔父上がそう言いながら、窓辺によった。
立ち上がり、杖をついて彼に続く。
確かに、庭に日傘をさしたヴィオレッタとセドリック殿下がいる。ふたりでなにを話しているのか、遠目から見ても楽しそうだ。
なんて似合いのふたりなのだろう。若く美しく健康的な彼女たちは、きらきらと輝いて見える。まるで一枚の名画のようだ。恋人同士と言われたら、百人が百人とも信じるに違いない。
セドリック殿下は素晴らしい方だ。素直で善良で、行動力もある。血筋は良く王子としての気品にあふれ、溌溂とし、なにより体のどこにも不具合がない。
――私とは、なにもかもが大違いだ。
どろりとした不快なものを、自分の内に感じた。
「お似合い、ですね」
ふたりから目を離すことができない。
「うん。まあ、そうかもね」と叔父上。
「ヴィオレッタの結婚相手には、セドリック殿下がいいのかもしれません」
「ううん。それはどうだろう。お前はどう思う、ランス?」
「身分的にもないと思いますが」
「だよねえ」
だが、それを抜かせば、きっと完璧だ。
ああ。
なんだ、この感情は。
頭ではふたりがお似合いだとわかるのに。それでも。
ヴィオレッタの隣に立つのは、私でありたい……!
私だって可能ならば、ずっと彼女と一緒にいたいのだ。
――そうか。
急に両目を覆っていた目隠しが外されたかのように。思考がクリアになった。
私はヴィオレッタと書物の話をするのが楽しいから、彼女を助けたいと思い、わざわざ王都まで行った。
でも違ったのだ。彼女を助けたかったわけじゃない。私が彼女のそばにいたかっただけなのだ。そのためには助ける必要があっただけ。
私はヴィオレッタに執着している。
このところ感じていた、もやもやしたものだってそうだ。
セドリック殿下にも叔父上にも、彼女と親しくしてほしくないと、無意識のうちに考えていたのだ。
私は――
庭園ではまだ、ふたりが楽しそうにしている。
「そんなに強く握りしめるのはよくない」
声と共に、杖を握る手に叔父上の手が重ねられた。
知らないうちに力が入っていたらしい。
「叔父上」
「なにかな」
叔父上は穏やかな表情だ。私より七つ年上で、社交的で、世界も、ひとの心のこともよく知っている。
「叔父上は気が付いていましたか。私が――」
言葉をのみこみ、窓の外を見る。
「惨めで、悔しいです」
「お似合いかどうかなんて、重要じゃない。自分たちがどう思うかだよ、リシャール」
『自分たち』。その言葉を心の中で繰り返す
ヴィオレッタから見たら私は、親に近い年齢の、足の悪い、妻に浮気されるような情けない男だ。いいところなんて、ひとつもないではないか……。




