12・3 リシャールの反応
セドリックの殿下の予想は、半分だけ当たっていた。
ジスモンド様は、ヘルミナ様にお誘いを受けたそうだ。だけど彼がきっぱり断ると、彼女は『冗談です』と誤魔化したという。
胸糞が悪かったジスモンドは、彼女にきつめに釘を刺してから、クラルティ邸を出た。けれど所用で戻ってきたところ、その翌日にヘルミナ様が亡くなったのだそうだ。
でも八百屋の青年との浮気は、本当に知らなかったみたいだ。
ヘルミナ様のことを聞いたリシャール様は、少しだけ困ったような表情で、『そうか』とだけ言った。そして執事長に『青年に、咎めるつもりはないと伝えてくれ』と頼んで、この件は終了したのだった。
「ヴィオレッタ様。いらっしゃいましたよ」
イレーネの声にはっとして顔を上げる。開け放した扉の向こうに、リシャール様の姿が見えた。
立ち上がって、彼の到着を待つ。
夕暮れ時の応接室。リシャール様から、書物談義をしようとのお誘いを受けた。私も話したいことがあるから、丁度よくはあるのだけれど――
彼の椅子を引く。
「ありがとう」と微笑むリシャール様に、
「お仕事は大丈夫なのですか」と、つい尋ねてしまう。
「もちろん」と彼は笑みを深くした。「この時間を励みに頑張ったのだ!」
「まあ」そんなことを言われると嬉しくなってしまう。「でもご無理はなさらないでくださいね」
「それは約束できないかな」
「ダメですよ」と言いながら彼の向かいにすわる。「私との時間をとってくださるのは嬉しいですけど、それで体をお壊しになったら大変です。私のことはどうぞ後回しにしてくださいね」
『淋しいけれど』という言葉はのみこんでおく。
リシャール様は口を開きかけて、すぐに閉じた。なにかを考えているようだ。
「どうかしましたか」
「いや……」彼の表情が困惑したものになっている。「そういえばヘルミナに、『仕事ばかりしている』『私を後回しにしないで』と何度も叱られた。それが彼女が浮気をした原因だろうか」
「そんな気がしますね」
私は夫婦のことはよくわからない。けれど。
ヘルミナ様は、都で生まれ育ったご令嬢だったという。明るく社交的だったのに、ここには友人はおらず、クラルティ邸は静かで来客もない。
淋しかったのが原因というのはありそうだ。
「恥ずかしいな」とリシャール様が視線を下げた。「新婚で浮気されるだなんて」
「恥ずかしいことだとは思いません。でも――」
一度自分で否定した、『ジスモンド殺人犯』説が頭に浮かんでしまった。リシャール様を理解せず、自分の淋しさを優先した彼女から、可愛い甥を守ろうと――いえいえ、ありえないはずよ。
「『でも』?」
リシャール様に続きを促された。どうするか迷い、でも正直に話すことにした。
「セドリック殿下が、ジスモンド様があなたに有益でない奥様を殺してまわっているのではとおっしゃって。私はそんなことはないと思ったのですけど、やっぱりその可能性があるのかもしれない、と。なんだか分からなくなってきてしまいました」
「ない」
リシャール様は断言し、それから柔らかい笑みを浮かべた。
「叔父上はそんなことをする人ではないよ」
「そうですよね。失礼なことを言ってすみません」
「いや。叔父上が掛け値なしに私を大切にしてくれていると、理解してくれてのことだろう?」
仕立て屋から聞いた話を思い出す。
でもそんなことを尋ねるのは、はばかれる。プライベートすぎる。ジスモンド様が殺人鬼ではない以上、調査に関係ないことだ。
うん、忘れよう。
「だが時どきアルフレードに怒られる」と笑うリシャール様。「いい歳なのだから、叔父上を頼るのをやめろ、と。叔父上はその逆だ。いつまでも私を子供扱いするな、とね」
「まあ」執事長の顔を思い浮かべる。「確かに彼なら言いそうです」
「クラルティ邸で一番発言力があるのは、アルフレードなんだ。一番長くここに住んでいるからな」
「はっ! まさか『犯人は執事』」
ミステリ小説の定番!
「ないない」とリシャール様。「彼は誰よりも、クラルティの不名誉になることはしない」
「そうですね」
そもそも彼は、すべての事故のときに仕事中だったことが確認とれている。
それにハンナローラ様とヘルミナ様は、事故と結論が出たのだ。
リシャール様に話が逸れたことを謝ると、以前から訊きたかったことを尋ねた。
「本好きになったきっかけはなんですか」
「きっかけ?」
リシャール様は顎をつまみ、空中をにらむ。彼の答えが出るまで、じっと待つ。
「ああ、そうだ」と声を上げたリシャール様は「母上だ」と言葉を繋げてから、微妙な表情で私を見た。「あまり面白くない話だな。母は読書家だったから。同じものを読めば、私と会話してくれると思ったんだ。だが結局、母と同じ本を読めるようになったのは、だいぶ大きくなってからだった」
予想外の答えに言葉に詰まる。
「ヴィオレッタは?」
「あ、ええと……乳母です」
子供のころ何度か、寝る前に乳母が読み聞かせをしてくれた。当時はヴィルジニーと同じベッドで眠っていて。彼女は『退屈だ』と毎晩怒り、私は『もっと読んで』とせがんで寝ないものだから、すぐにやってもらえなくなってしまった。
「だから自分で読もうと思って」
そう伝えるとリシャール様は、
「よいきっかけだね」と微笑んだ。
その笑顔に胸が痛くなる。
「私でよければ、毎晩読み聞かせをします!」
「ヴィオレッタが?」目をみはるリシャール様。
「はい」悲しい思い出が上書きできるように!
「魅力的だが、それは叔父上にもっと叱られそうだ」
そう言われてハッと我に返った。
確かにそうだ。毎晩読み聞かせ? 寝る前に? どこで?
あまりに考え無しに、勢いだけで言ってしまったことに急激に恥ずかしくなった。
「でもヴィオレッタの声を聞きながら眠るのは、良い夢がみられそうだ」
「そんなたいそうなものではありません」
でもリシャール様は喜んでくれるのだと思うと、なんだか嬉しい気がした。
◇◇
リシャール様との時間が終わってしまい私室に戻ると、ほどなくしてアルフレードがやって来た。
「先ほどの旦那様とのお話を、少しばかり耳にしたのですが」
扉はすべて開け放してあったものね。通りがかれば聞こえただろうけど、それがどうかしたのだろうか。
「セドリック殿下にも尋ねられましたが、ジスモンド様は旦那様の奥様を手にかけるなんてことはいたしません」
ああ、そのことなのね。
「ええ。失礼な質問をしてしまったと後悔しています」
「ジスモンド様は先代に、二度とリシャール様を傷つけないと、誓っておられます」
『二度と』?
それは仕立て屋が話していたこと?
「ヴィオレッタ様にはお伝えしておきたいと思いまして。では、失礼を」
アルフレードはそう言って、頭を下げた。そのまま部屋を出て行こうとする。
「ちょっと待って」
アルフレードが足を止めて振り返る。
「どうして私に?」
「このことは今やジスモンド様と私しか知りません。そして私はもうこのような歳でございます。どなたかに伝えておく頃合いかと判断いたしました」
アルフレードは一礼して、今度こそ去ってしまった。
結局、私の質問の答えは、もらえていないじゃないの……。
◇お詫び◇
以下の回に出てきた、それぞれのネタ
9・3 ジスモンドの秘密 → 『リシャールが自己肯定感が低いことに、ジスモンドも原因がある』
12・2 ジスモンドへの疑惑 → ジスモンドがリシャールを死なせかけた
これらの詳細は本編には出ません。ごめんなさい。
ジスモンドの番外編に出す予定……なのですが、番外編を書けなかったら、更にごめんなさい。
彼が人気作家であることを秘密にしている理由は、完結までに明かす予定ではありますが、新のことなので気が変わるかもしれません。土下座m(_ _)m




