11・1 クラルティの複雑な事情
馬車を降りて、威風堂々たるクラルティ邸を見上げる。ここで過ごしたのは二週間足らず。離れていた期間は倍以上。それなのに、なぜか涙がにじむほどの安堵を感じる。
リシャール様に、
「帰ってこられて、すごくほっとしています」
と伝える。
「ここを実家と思うといい」そう言って優しく頬むリシャール様。
そこへ出迎えの執事長アルフレードが近づいてきて、
「旦那様、実はご客人がお待ちです」
と言った。彼らしくもない、不愉快そうな表情で――
◇◇
応接間に入ると、その客人は長椅子にどでんとふんぞり返って、お茶を飲んでいた。顔もスタイルもいいけど、態度はまったく宜しくない。
「ようやく帰って来たか」
と不機嫌そうに言って、じろりと私たちを見る。が、すぐに慌てて立ち上がり、
「なぜセドリック殿下がこのようなところに」と戸惑いの声を上げた。
リシャール様は小さくうなずいて見せるとセドリック殿下と私を向いて、
「叔父のテールマン子爵です」と手短に紹介した。
屋敷に入る前に客人がどのような方なのか、彼とジスモンド様が教えてくれたから、紹介はそれで十分なのだ。
子爵はリシャールのお父様のすぐ下の弟で、クラルティ領のすぐ隣に領地を持ち、そこで暮らしているそうだ。でも、リシャール様ともジスモンド様とも、仲は良くないみたい。
「子爵」とリシャール様がテールマン子爵を見る。「ご存じのようですが、こちらは第二王子セドリック殿下であらせられます。諸事情から、一年間ほどクラルティ邸に滞在していただくことになりました」
「本当か」子爵の顔が青ざめる。「陛下が憎むお前に殿下を託すとは思えぬ。まさか誘拐……」彼は私を見る。「いや駆け落ち……?」
「違います」とリシャール様。
「ならば、なぜ!」
「諸事情と言ったでしょう」
子爵は気分を悪くしたのか、顔をしかめた。
「生意気な!」
「あなたこそ、連絡も無しの来訪だなんて失礼ですよ」リシャール様が私を見る。「こちらの令嬢は――」
「お前が四度目の結婚をするとの噂を聞いたから、確かめに来たのじゃないか。なぜ私に知らせない」
遮って主張する子爵に、リシャール様は呆れたように小さく嘆息した。
「結婚はしてもいないし、予定もないからですよ」
「執事長もそう言っていたが、本当にか。陛下から押し……陛下が縁を結んでくれたと聞いたが」
「行き違いがあったのですよ」とリシャール様は実に簡潔に説明した。
子爵が疑わしそうに私を見る。
「彼女は私がお預かりすることになった、ヴィオレッタ・カヴェニャック嬢です」
膝を折って挨拶をする。だけど無視された。
「お前が結婚する予定だった娘の関係者か?」
「ええ」とだけ答えるリシャール様。
アルフレードが子爵はこちらの事情に詳しくはないと話していたけど、そのとおりみたいだ。
「用件がそれだけでしたら、お引き取りを」
リシャール様の言葉に、子爵の顔色が変わった。
「お前、妾の子の分際で私に指図するのか!」
「兄上がそのような態度を取るからですよ」ずっと静かにしていたジスモンド様が前に進み出た。「殿下に骨肉の争いをお見せするわけにはいかないでしょう」
「リシャールは親戚と不仲なのか?」セドリック殿下が名前呼びを強調しながらも無邪気な声を出す。「いつになったら私はゆっくり休めるのだ」
子爵は顔を歪めて口をパクパクしていたけれど、王子の存在に屈したようで、
「御前で失礼いたしました」
とセドリック殿下に謝った。私のお父様よりは常識があるみたい。
「だが――」と子爵がリシャール様をにらむ。「結婚する予定は本当にないのだな!」
「ええ」
「断言しないほうがいいと思うぞ」と口を挟むセドリック殿下。
「予定は変わるものですからね」とジスモンド様も言い添えた。
「なんでもいい!」と子爵。「爵位を手放すときは、ダミアンに譲れ。いいな! 間違ってもそこのクズには」とジスモンド様を指さす。「渡すなよ。父上が墓の下で泣く」
「ですがダミアンがクラルティになると、結婚できなくなりますよ。呪われているのはクラルティの当主ですからね」
リシャール様の言葉に子爵は怯んだのか、口を閉じた。
ダミアンがどなたかは知らないけれど、きっと子爵の息子なのね。
「ところで子爵」とリシャール様。「ダミアンは今どこにいるのですか。都にはいないようでしたが。官吏は辞めたのですか」
「いや、一年ほど前に別の都市に移動した。役職も上がったぞ」と子爵は得意げに胸を張った。
嫌な感じのひとだと思ったけれど、子煩悩ではあるみたい。
「しばらく会っていないが、頑張っているようだ」
「そうですか」
ここで会話は終わり、子爵は帰ることになった。リシャール様だけが見送りについていく。
彼が不快な思いをしているのに、私はなんの役にも立たなかった。へたにしゃしゃり出たら、状況が余計に悪化しそうで、黙っていたのだけど……。
身分もなにもないなかで大切なひとを守るのは、難しい。
「いけ好かない男だな」とセドリック殿下が椅子に腰を降ろすなり、不満げに文句を言う。
「本当に」
と、賛同してうなずく。
「申し訳ありません。クラルティの一族はみなあの調子です」と彼のとなりにすわったジスモンド様が笑う。
その顔を見て、改めて『似ている』と思った。彼と、子爵が。そっくりというわけではない。髪や目の色も違うし、喋り方も表情も違う。だけどどことなく似通っている。兄弟だから当然なのかもしれないけれど。
いつだったかジスモンド様が、自分の外見はクラルティそのものだと話していた。
そしてリシャール様は、ふたりのどちらともまったく似ていない。
「一族みなって」セドリック殿下が、呆れた表情になる。「リシャールはクラルティの当主にしては珍しい外見をしているとは聞いているが、優秀なのだろう? だから父上も嫌がらせをすることぐらいしかできなかったとぼやいていたぞ」
「ええ、ですからただの妬みに過ぎません。あの子は生来の能力にあぐらをかかず、当主になるためひとの何倍も努力をしたのですからね。誰に文句を言われる筋合いもないのですよ」
「ふうん。だがジスモンド。放蕩で絶縁される前には、お前がいずれ当主にという話もあったと聞いたぞ」
え? そうなの?
「そんな話。誰に聞いたのですか」とジスモンド様が苦笑する。
「父上」
「陛下もどこから聞いたのだか。与太話ですよ」
ちょっと待って。
ジスモンド様は生活力のない遊び人と思われていたいと、言っていたわよね。それはこの話になにか関係があるのかしら。
「事実ですよ」
と声がした。リシャール様だった。応接室に入ってくると、私のとなりにすわる。
「先々代は、叔父上を私の父の養子にして、いずれは当主にしようと考えていたのです。私の外見が、あまりにクラルティらしくなかったものですからね」
リシャール様の話によると。彼が誕生した当初は、先々代――つまりリシャール様のおじいさまは、直系だからとその存在を認めていたのだそう。だけれど長じるにつれ、どんどんとクラルティの外見から離れていく孫を嫌ったのだという。ひどい話だ。
一方でジスモンド様は一層クラルティの特徴を濃くしていくものだから、おじいさまはそのような考えにいたったのだそう。
「最後のほうは年をとったせいで頑固になっていたんだよ」とジスモンド様が言う。「老人の戯言さ。結局それだけ気に入っていた僕のことも、ちょっと気に食わないからといって絶縁したわけだしね」
「ちょっとではないんじゃないか」
そう言ってセドリック殿下が笑う。
だけど私は頭がこんがらがってしまって、笑うどころではなかった。




