1・4 公爵家の書物
実家から持ち込んだ荷物は少ないとはいえ、すでに片づいていた。私が公爵に挨拶をしていたのは、ほんの短い間だったのに。
――そういえば、私は名乗ったけれど、彼はそうしなかった。歓迎されていないのはわかっているし、別に構わないけれど。
使用人たちは、きちんと仕事をするみたいだし。
メイドのイレーネは丁寧な態度で、私の旅装を解く手伝いをしてくれたもの。
目を合わせることも、余計なおしゃべりをすることもなかったけれど、歓迎されていないのだから仕方ない。
「私の専属はどのように決めたの?」
仕事を終えたイレーネに尋ねると、彼女は不快そうな表情になった。
「正直に教えてほしいの。メイド内の地位順? 執事長の指名? それともくじ引き?」
「……くじ引きです」と渋々ながらイレーネは教えてくれた。
「そう。閣下との婚姻が決まったあと、父に言われたの。『逃げ出したら、カヴェニャック家に仕える全使用人を監督不行届として、半年分の給与を払わない』と」
だから私はヴィルジニーとして嫁ぐしかなかった。それでも仲の良い執事やメイドたちが、辞職覚悟で私を逃がそうとしてくれたけど、断った。彼らまで、バカなお父様と妹の巻き添えにしたくなかったから。
だから『辞めるときは、ちゃんと退職金をもらってからにするのよ』と言って、紹介状を渡しておいた。
カヴェニャック家ではそれで済んだけれど、こちらではどうなのだろう。
「私が逃亡したら、あなたや他の誰かが罰を受けるかしら」
「……いいえ。旦那様は私どもにもお優しい方です」
「では閣下が陛下から、は?」
イレーネの目が揺れた。
「……わかりません。けど、たぶん」
「そう。ありがとう」
イレーネが一礼して部屋を出ていく。
これは困ったわ。本当は、クラルティ邸に到着するまでに、逃亡するつもりだったのだ。だけど、お父様が雇った護衛の監視が厳しくて、無理だったのだ。
そして恐らく、私が『四人目』にならないと、クラルティ公爵が困る。
三人もの妻が短期間のうちに事故死するなんて、信じがたいことだ。誰かが殺害していると考えるほうが自然だと思う。
だけれど今のところ、使用人の態度を見る限りは、公爵は潔白のように感じるのよね。
『死神公爵』こと、リシャール・クラルティ、二十八歳。母親は彼が十歳、父親は二十歳のときに死亡。変人で人付き合いが悪く、領地からはほとんど出ない。王家の公式行事への出席も無し。王都を訪れたのも、国王に会ったのも、爵位を継いだときの一度だけ――というのが、実家の執事が調べてくれた公爵の情報だ。
見た感じはちょっと陰気で、私に通じるところがある。
どうすればいいのかしら。
逃亡せずに死を回避。
部屋にこもっているしかない身で、なにができる?
神頼みしか思いつかない。
長椅子にすわって対策を考えていたら、執事長がやってきた。三冊の本がローテーブルに置かれる。
刊行されたばかりの、人気作家の恋愛小説。
古典語で書かれた叙情詩。
そして三冊目は――
「これ! 読みたかったものだわ!」
二、三年前に隣国の学者が書いた、『王政の仕組みと変遷』。
「我が国では禁書なのに」と執事長を見る。
「そうなのでございますか。贈呈された書物に紛れ込んでいたのでしょう」
執事長がその本をよける。
「待って! 読ませて」
ギロリ、と見られる。
「こちらの著者である教授に勧めてもらっていたのです。でも手に入らないから諦めていて。お願いします、読ませてくださいな」
「……わかりました」
執事長が本を渡してくれる。
「ありがとう! 心の底から感謝します! 読み終えるまでに死なないといいのだけど」
はやる気持ちをそのままに、表紙を開いた。