10・〔幕間〕公爵閣下は思い出す
ヴィオレッタを部屋に送り届け、ひとりで自室に向かって歩いていると、
「どうして先に帰ってしまうんだ」と背後で叔父上の声がした。
「お邪魔してはいけないと思いましたから」と振り向いて答える。
だから侍従に伝言を託して先に散策をやめたのだが、どうやら叔父上は追いかけてきたらしい。
「リシャールのために衆目を集めていただけじゃないか」
「そうですか。良い雰囲気だったので」
「ギスギスとした雰囲気で散策する理由がない」
「それはそうですが」
ふたりで並んで歩く。先ほどまで以上に、行き交う人々の視線を感じる。叔父上はいつでも注目の的だ。物珍しい私よりずっと、人目を集めるらしい。
そんな叔父上の恋の多さは伝え聞いている。だがその相手に会ったことはない。私は領地を出ないし、叔父上は相手をクラルティに連れてこないからだ。
だから、彼のキャロライン殿下に対する態度は、私が知らないだけで、特別のものではない可能性もある。
それでも、叔父上は彼女に好意があるのではと疑うほどに、良い雰囲気だと感じるのだ。
だが王宮に来て、無爵位というのがいかに立場がないか、思い知らされた。叔父上はひょうひょうとしてかわしているけれど、あからさまに軽視されている。とくに男性陣から。それでも王宮内を自由に闊歩しているのだから、仕組みがよくわからない。
だが少なくとも、王女との結婚は不可能に近いということだけは、確かだった。
「僕から見たら、リシャールたちも良い雰囲気だった。なにを話していたんだい」
「私の呪いについて」
叔父上の顔から笑みが消えた。
「それでもクラルティ邸に来てくれるかを、尋ねました」
「彼女は来ると言っただろう?」
「なんでわかるのですか」
「わかるよ」叔父上の顔に笑みが戻っている。「ヴィオレッタはそういう子だ」
「叔父上にもランスにもアルフレードにも言われていましたが」ヴィオレッタに言われたことを思い返す。「彼女の言葉で初めて、母は私を呪わなかったと信じられましたよ」
「それはよかった。それで?」
「それで、とは?」
「ほかに……いや」となぜか叔父上は嘆息して額を押さえた。「いいさ、ゆっくり進みなさい。どちらも常軌を逸してニブイようだから」
「どういう意味ですか」
「こっちのことだよ」
ニブイとは、私のことなのか?
「ヴィオレッタのことで、察せていないことでもありますか」
「そういうのは本人に訊きなさい。もっともないと思うけれどね」
よくわからないが、ないのなら安心だ。
共にクラルティ邸に帰れることも確定したし――ああ、そうだ。大切なことがあった。
叔父上に、セドリック殿下を預かることが決まったと伝える。
「驚きだな。まさか陛下が許可をするとは。なにを企んでいるんだろう」
首を捻る叔父上。
「なんでも構いませんよ。ヴィオレッタも年が近い者がいたほうが、楽しいでしょう」
「……そうかもな」
「私も仕事がある以上、つきっきりではいられませんからね」
それから、声をひそめて、殿下から聞いた陛下の話をする。
「ふうん。あの陛下に初恋ね。そんな可愛げがあったのか」
「それを聞いてしまうと、今までのことも許そうかという気になりますね」
「人が良すぎるぞ、リシャール!」
そういえば、と思い出す。いつだったか叔父上が陛下は『ますます狭量になった』と話していた覚えがある。確か、寵臣に裏切られたとかなんとか。
なんとはなしに叔父上に尋ねる。
「ああ、二年……いや、三年前になるかな」と叔父上が宙を見上げる。
「お前にも話したことがあるはずだ。都で危険な薬がはやった。使い始めは良い気分になるだけだが、中毒性があり、やがて廃人になる」
確かに、聞いた覚えがある。
「それを流通させていたのが、陛下が重用していた男でね。伯爵家の次男だったが、副大臣に採用して、いずれは爵位も授けるおつもりだったようだ。だが彼はライバルにその薬を盛って、排除もしていた」
「酷い話ですね」
陛下は陛下なりに大変だということか。
同情はしないが、せめてセドリック殿下は責任をもって預かろう。
私の私室にふたりして入り、円卓に向かい合わせにすわる。
すぐにランスがやってきた。銀の盆を差し出す。一通の手紙が乗っている。
「アルフレードからです」
思わず叔父上と目を合わせた。アルフレードは用もないのに手紙を寄こしたりはしない。
すぐに開封をする。
「なんだって?」と心配そうな叔父上。
「――私たちが発った数日後に、ダミアン・テールマンが突然やってきて、滞在しているとあります」
叔父上もランスも眉をひそめる。
ダミアンは父のすぐ下の弟の息子だ。どこかで官吏をしていたはずだが、親交はほぼないから詳しくは知らない。
叔父はクラルティが持っていた子爵位を受け継いでいる。だが、彼が亡くなったら私の息子が受け継ぐ決まりだ。ダミアンはそれが気に食わないらしく、私を嫌っている。
そんな彼が、なぜ急にクラルティ邸に来たのだ。
「叔父上、彼のことをなにか聞いていますか」
「いや。ここ何年かはなにも」
「またリシャールに言いがかりをつけにきまっている」とランスが不機嫌な声を出す。
最初の妻が亡くなったとき、母の呪いのせいだと思った私は、『二度と結婚しないし、子を持つつもりもない』と宣言をした。
だがトレーガー侯爵が強制的に縁組をして、再婚することになってしまった。そのときに彼がわざわざクラルティ邸にやってきて、文句を言ってきたのだ。『なぜ結婚をするのだ。約束を果たせ』と。
どうやら彼は、自分が次の公爵になれると考えていたらしい。直系は私で終わり。父に他に子はいない。祖父に遡ると、長男が父、次男がダミアンの父だ。おおむね順当とは言える。
だが宣言をしたときに私が想定していた爵位継承者は、叔父上だ。本当ならばすぐにでも、譲りたかった。叔父上が頑として首を縦にふらなかったから、今でも私が爵位を持っているだけに過ぎない。
手紙に目を落とす。
「――私の戻りを待つと言っているようです」
「アルフレードに、追い出すよう、言え」と叔父上が珍しく冷ややかな声を出した。「王子を連れて帰るんだ。不愉快な状況をつくってはならない」
「ダミアン様は執事の言うことなどききませんよ」とランス。
「確かにそうだな。わかった、僕が手をまわそう」
「そんなことができるのですか」
叔父上は微笑んだ。
「僕の人脈はすごいぞ。だてに遊んでいるわけじゃない。ほぼご夫人だけどね」
「そうですか」
それはいかがなものかと思うが、今ばかりは助かる。あんな男にヴィオレッタを会わせたくない。
再び手紙に目をやり、その拍子に突然思い出した。
母の最期の言葉を呪いだと言い出したのは、ダミアンだ。




