10・2 リシャールの義父
背後で会議室の扉が閉まる音がすると、息を深く吐いた。
だいぶ生意気なことを言ってしまった。
けれど、今のところ咎められていない。国王は不愉快そうな表情をしていたけれど、私の言葉に対してはなにも言わず、ただ、『話はもう終わりだ』と一言、追い払うように手を振っただけだった。
このことをリシャール様に話したら、国王への嫌悪を深めるだろうな。相談するなら、ジスモンド様かキャロライン殿下かしら。でもリシャール様に対して秘密を抱えたくない気もする。
どうしよう。
「ヴィオレッタ」と私の名を呼ぶ声がした。
「まあ、ジスモンド様」
彼が片手を上げて、廊下の奥から歩いて来る。
「こちらで、なにを?」
「君が侍従に連れられてどこかへ向かっていると、教えてくれたひとがいてね。探したんだよ」
「庶民のくせに」と案内の侍従が、私たちに聞こえるように、つぶやく。
「庶民でも、僕たちには大きな後ろ盾があるからね」と笑顔のジスモンド様。「なにも持たずにあくせく働かなくてはいけないのは、かわいそうだ」
まあ。ジスモンド様はこんな意地悪を言うの。いつもにこにこ、物腰の柔らかい優しいひとだと思っていた。
と、背後で扉が開閉する音がした。見ると貴族の男性がひとり出てきて、私と目が会うと軽くうなずいた。
どなたかわからないけれど、うなずき返す。
「あなたもいらっしゃったのですか、トレーガー侯爵」ジスモンド様がそう声をかける。
彼の知り合いらしい。
意地の悪い侍従を侯爵が下がらせ、ジスモンド様とふたりで会議室のなかのできごとについて話している。
それが終わるとジスモンド様は、
「こちらの方はトレーガー侯爵だよ」と紹介してくれた。
◇◇
場所を移動して、ひとのいない小部屋に入った。侯爵は私に話があるみたい。
全員がすわると侯爵は穏やかな表情で、
「私は先代クラルティ侯爵の友人でね。リシャールの最初の妻は私の娘だ」
と、言った。
なるほど、どうりで。お名前に聞き覚えがあるような気がしたのだ。
ということは、この方のお嬢様はもうお亡くなりに――。
「ああ、お悔みはかまわない」と侯爵。「彼女の父親として、君にぜひとも伝えなければならないことがある。彼の二人目三人目の奥方がどうだかは知らないが、私の娘は間違いなく、事故死だった」
侯爵の言葉に、ジスモンド様が首を縦に振った。
「状況を知っているかな?」と侯爵が訊く。
「存じません」
「では話しておこう。私たちは挙式の翌日にクラルティ邸を発つ予定だった」
「僕もね。それとクラルティの一族も何人か」とジスモンド様が言う。うなずく侯爵。
「だが朝から天気が不安定でね。嵐がくるのは明らかだったから、出発をとりやめたのだ」
実際、お昼前には強風と豪雨が始まり、それは翌朝まで続いたという。嵐が止んでも、悪路の中の旅は危険だ。だから、侯爵一家もジスモンド様も、クラルティ邸にもう一泊することにしたそう。
「それで私たち夫婦と長男、ジスモンド、そしてリシャールの五人で午後のお茶席を囲んでいた時に、娘がバルコニーから転落したのだ」と侯爵。思い出したからか、沈痛な表情をしている。
「目撃者はいなかった」とジスモンド様があとを継ぐ。「だけど彼女の部屋で仕事中だった侍女が、落ちる音を聞いていた。だから僕たちは早く助けに向かうことができたんだ。でも打ち所が悪かったようで――」
「娘は首の骨が折れてしまっていた」と侯爵。
うなずくジスモンド様。
「あのとき」と侯爵が話を続ける。「バルコニーは相当濡れていた」
そうか、嵐のあとだものね。
「滑りやすくなっていたんだよ」とジスモンド様。「なのにどうして出たのだか。天気を確認したかったのかもしれないが、理由はわからない」
「ワガママな娘だったからね」と侯爵がため息をつく。
ひとつ、気になることがある。お茶席になぜ、彼女は加わっていなかったのだろう。
けれど侯爵に訊いていいものか、わからない。
「とにかく、だ。娘は事故以外のなにものでもない。誰かが秘密裏に殺したのでもない。もしも犯人がいるのだとしたら、侍女がそうか、もしくは共犯ということになる」
「そうですね」
「だが侍女は、娘が子供のころからうちで働いていた人間だ。クラルティ邸に適任者がいないというから、我が家から連れて行った。信頼できる者だ」
侯爵から熱意を感じる。『事故』ということを私に伝えたい気持ちが、とても強いみたい。
「わかりました。残念な事故だったのですね」
「そうだ」と侯爵。「呪いなんてものもない。先代クラルティは友人だが、彼のことはけっして擁護できない。だが夫人にも問題があったし、本人も自覚していた。彼女が自殺したのは、その悔いからだと思う」
「僕も同意見だよ」とジスモンド様。
「だから君のさっきの言葉には、なんというか」侯爵はしばらく、言葉を探しているようだった。
黙ってそれを待つ。
この方は、リシャール様の味方なのだ。そして私の。
侯爵と目が合った。
「――陛下にも、救いになったのではないかな。君はとても視点が優しい。リシャールに必要だったのは、君のようなひとだった」
どういう意味だろう。お嬢様が結婚をしていたというのに、私のほうが相応しいとでもいうのかしら。
そっとジスモンド様を伺ってみたけれど、彼はなにも引っかかっていないようだった。
侯爵はそれから、『リシャールが心配で、強引に再婚を取りまとめてしまったのだが間違いだった』とか、『三番目の奥方は多分なんかしらの事情があって、王宮勤めを辞めるために結婚に逃げたとの噂がある』なんてことを話した。
もしかしたらどの結婚も、リシャール様にとって、良いものではなかったのかもしれない。




